第13話 ものいうけものたち

 榴国りゅうこくの南方、海を隔てたところに、ひとつの大きな島があった。よく晴れた日には漁港からでも見えるため遠い距離ではないが、そこは誰も行くことのできない謎に包まれた島でもあった。

 というのも、その島の周辺の海域では、まるで来る者を阻まんとばかりにいくつもの海流が渦を巻いているからである。熟練の船乗りであるなら渦の一つや二つは乗り切れようが、三つ四つともなれば簡単ではなく、それが十を超えるとなれば誰も寄りつこうとしないのは道理であった。

 ごくまれに、時化に巻きこまれて命からがら生き延びた先がその島だった、という話が浮上することもある。そういった者たちは口を揃えて島に鬼が住んでいたなどと話すらしいが、では行けもしない島からどうやって帰ってきたのかと聞けば分からないと答える。普通に聞けばあまりにも信憑性に欠ける話ではあったが、誰も近づけない曰く付きの島を前に、いつしか大陸の者は噂を信じこみ、その島を『鬼の住まう島』と呼ぶようになった。

 その鬼の住まう島に国があることを知っているのは、大陸にいる者でもごくわずかであろう。ましてやそこに住む民たちを知っている者となれば――。


 えんじゅの国――。

 島の中心あたりに、大きな屋敷が建てられていた。乳濁色の漆喰が塗られた壁に黒々とした瓦屋根が葺かれた、重厚感のある屋敷だった。玉砂利の敷かれた庭園には灯篭や池があり、苔の生えた庭石の影から見える松や楓の樹木などにおいては中々に風流な趣を醸しだしている。

 そんな屋敷の縁側で、

尾真びしんさま、尾真びしんさまぁ!」

 と、声も高らかに叫ぶ女がひとり。

 歳の頃は十二、三ほどの、彩り鮮やかな着物を着た少女だった。まだ幼さを残した顔立ちは咲きかけた花のように生き生きとしており、黒く輝いた瞳は好奇心に溢れていた。

 少女は縁側で二度三度ほど叫ぶと、今度は庭に出てまた同じ言葉を叫んだ。

 しかし返ってくる言葉は何もなく、自分の声が虚しく響いているだけだった。

「もう、どこにいったのかしら」

 腰に手をあてふくれっ面をした少女は、すたすたと屋敷に戻って行った。


「ねぇ、呼んでましたよ?」

 屋敷のすぐ外には樹齢数百年は経っているであろう巨木があり、その枝の上には、人間の大人が四人くらいは寝れそうなほどの大きさをした鳥の巣があった。

「ねぇねぇ尾真さま、聞いてます? ねぇったら、ねぇ」

 その巣の中で、子犬ほどの大きさをした獣が必死になって喋っていた。ぼってりとした丸っこい、太ったネズミのような獣で、しきりに鼻をひくひくと動かし、ぼんぼんのようなシッポをふりふりさせている。

「聞こえねぇ」

 ネズミの前にいた、黒い獣――尾真がいった。尻尾の先が二つに割れていることをのぞくと、どこからどう見ても猫のそれだった。

 この上ないほど面倒くさそうに答えた尾真は、丸めた体に顔を突っこんで耳をたたんだ。その傍では、卵から孵ったばかりの尾真よりも大きい雛が数匹、ぴーぴー鳴いていた。


「聞こえないって、さっきから乃夜だいやがずっと呼んでいるじゃないですか、ねぇねぇ、ねぇ、ねぇねぇね――」

「だああ! うるっせえな、さっきから! 聞こえねえって言ってんじゃねえか!」

 牙をむいた尾真の声に、ネズミは「ひぇっ」と声をあげて涙目になった。

「うっうっ……何もそこまで怒らなくても」

「なんども同じことを言わせるからだろうが。ったく、昼寝くらいゆっくりさせろってんだ」

 尾真は悪態をつくと、ごろりと寝返って目をとじた。

 暖かな日差しのなか、シッポだけが気持ちよさそうに揺れている。


「はぁ、長がこんなのでいいのかなぁ。沙炎しゃえんさまはあんなに頑張ってるのに」

 巣の上から海を眺めてネズミはたそがれた。丸い耳が雛につつかれているが、気にはしていないようだった。

「わかってねえなぁ、おまえは。ちょこまかと動かず、何かあった時にだけ本気を出す。それが長ってもんだ」

「そ、そうなのかなぁ……?」

「そうなのですよ」

 ネズミが首をかしげた時、羽音とともに空から声がした。

 二匹の頭上に、獅子と見まがうほどの体をした大きな鳥が羽ばたいていた。黄金色の体毛をしており、光の角度によってきらびやかに変色する長い尾が特徴のその鳥は、大陸では快鳳かいほうと呼ばれ苑人えんびとの遣いとして崇められている。昔は大陸にも住んでいたのだが、権力や所有欲の象徴とも見なされ乱獲された時代もあってか、今では槐にしか生息していない鳥でもあった。

 

 快鳳は巣に降りると、獲ってきた魚を雛に与えはじめた。

「長は揺るがず動じず。どっしりと構えておればよいのです」

「見たかこの広い心、ねずみいずくんぞ快鳳かいほうこころざし知らんやだ」

 魚を一匹横取りした尾真は、それにかぶりつきながら続けた。

「そもそも、槐を安泰させるのがおれの役目なわけで、大陸に関わる必要なんかねえはずだろ。それなのに沙炎のやつが勝手に走りまわるから、乃夜も小うるせえこと言うようになっちまったんじゃねえか。いい迷惑だぜ、まったく」

 尾真の言うことも確かなもので、もともと槐の民は外部との接触を絶つようにして生きてきた。ごくまれに嵐にのまれて人が流れ着くこともあるが、その場合は死ぬまで島に住むことを約束させるか、でなければ、さも恐ろしい体験をさせて大陸に送り返すかのどちらかで、槐の方から大陸に関与することはなかったのである。

「でもでも、先代もされていたことなんだし、せめて國立くにたちの一族との連絡くら――」

「おいこら! おれの前でその名前を出すんじゃねえよ」

 尾真は前足で魚を叩くと、緑色に光る宝石のような目でネズミを睨んだ。

「まったく、思いだしただけで腹が立ってくらぁ」

 大粒の涙を流しているネズミをよそに、尾真はまた魚にがっついた。

 

 二年ほど前、尾真が大陸に渡った時のことだ。本人いわく決して乃夜に口うるさく言われたとか、沙炎のことが心配だったとかではなく、ほんの気まぐれであったらしいのだが、ともかく尾真は、渡った先でひとりの死にかけた女を見つけたのである。

 それは深い谷を流れる川で、水を飲んでいる時だった。

 川岸の浅瀬でうつ伏せになって揺らいでいるそれを見て、最初は死体かと思った尾真であったが、どうやら息をしていることに気づいてどうしたものかと思案した。

 放っておいてもよいのだが、もし乃夜が知ったとなれば何を言われるか分かったものではない。しかし助けたところで連れて行く宛てがあるわけでもない。

 そういえば、ここは蘭国らんこくに近い場所だったか。だとすれば、頭首である國立の一族には沙炎も世話になってるようだし、ついでにこの女もそこで世話してもらえばいいだろう。

 

 などと勝手きわまりない考えで、女を助けて蘭国へ連れていったのであるが、沙炎はおらず頭首も留守であったため、代理の彩雪あゆきとかいう女に事情を説明して助けた女を預かってもらったまではいいのだが、その彩雪が大の猫好きであったことが災いし、預かる代わりに様々な条件を尾真にふっかけてきたのである。

 それは顔をスリスリされたり肉球をムギュムギュされたり尻尾をニギニギされたりと、尾真からすればこの上ないほどの屈辱で、本気で蘭国との戦を考え、槐に戻るとすぐに槐馬かいば(槐国軍の呼称)を集めろと勅令を出したものの、国の者が誰ひとりとして了承しなかったので泣き寝入りしたのである。

 それ以来、尾真が大陸へ渡ることはなかった。


「あの女、もしおれに沙炎のような力があったら腐らせてやるのに」

「それだけ愛されているということでありませんか」

 穏やかな声で快鳳は言った。尾真は骨だけになった魚を巣の外へ投げ捨てると、

「冗談じゃねえ」

 と悪態をついて、ごろりと横になった。

「それで、その女性はどうなったのでしょうか」

「さあな。沙炎に聞いた話だと、葛国のやつが連れて行ったと言ってたが、どっかで生きてるんじゃねえのか」

 大きなあくびをした尾真は、もう話しかけるなと言わんばかりに体を丸めた。

 餌を食べおえた雛も眠りについたようだ。

 静かな時に包まれたなか、ネズミのため息が風に流れていった。

 

 所は変わり、榴国りゅうこく王都紅革おうとくかく――。

 都を一望できる丘の上で、甘祢かんねはつつましやかに立っていた。

 白く透きとおる凛とした顔立ちはまことに美麗であるが、都を眺望する黒く大きな瞳には愁えともとれる影がちらついている。

 時刻は昼五つ(午後2時)。

 丘を駆けあがる風は草原に白波をつくり、甘祢の艶やかな黒髪をなびかせている。 陽光に映える都は賑わいを見せているが、喧騒はここまで届いてこない。

 

 深い呼吸を繰りかえし心身の調整をはかった甘祢は、すっと瞳を閉じた。

 鮮やかなほどの赤い唇から小さな呪が漏れはじめる。

 大氣が躍動をおこしているのか黒髪が乱れはじめ、いくつもの半透明の文字が周囲に浮かびあがった。

 

 仙氣 ― 言跡げんせきのしらべ ―

 

 甘祢の頭に夥しい言葉の羅列が流れこんだ。

 それは都で産み落とされた言の葉の数々だった。

 家、路地、畑、茶屋、屋敷――この三日間、都の人々が至るところで口にした言葉の一言一句を、甘祢はいま拾集しているところだった。

 せんおくちょうけいがい……さいごく恒河沙ごうがしゃ阿僧祇あそうぎ……。

 頭の中が膨大な量の言の葉に埋めつくされていく。

 

 すべての言の葉を頭に収めた甘祢は、瞳を閉じたまま心の中で呟いた。

(蘭国 頭首 紅革)

 すると瞬時に、頭の中からすべての言の葉が消え去った。

 何も残されていない空間に佇む甘祢は、少しばかり気落ちた息をもらした。

(さすがに絞りすぎたかしら……じゃあ)

 甘祢はふたたび心中で呟いた。

(蘭国)

 今度は頭の中に、全体から考えると二割ほどの言の葉が蘇ってきた。


”蘭国で買った水車が――”     ”米の質は蘭国の方が――” 

  ”蘭国に行くには栄山を越えてだな――”   ”やめとけよ蘭国の女なんて――”

”おれも昔は蘭国で――”   ”蘭国が藤だった頃はだな――”

 

 それらはみな、蘭国という言の葉に絡んだ都の人々がかつてした会話だった。

(ここから探していくしかなさそうね)

 甘祢は、それらをひとつひとつ読み調べていった。二割といっても膨大な量であることに変わりなく、すべて調べるのは実に根気と労力を要する作業であったが、甘祢は顔色ひとつ変えずに黙々と続けていく。

 

 やがて太陽が西に傾き、都が夕日に染まりはじめたころだった。

”だからあれは蘭国の者だ、関わっちゃあいけねえんだよ”

 甘祢の眉がぴくりと動いた。

”布の下から刺青がちらついていたのを見てなかったのか。あれは蘭国でも一部の者しかできない証しみたいなもんだ。通行料なんか取ってたら殺されてたぜ”

(これは……昨日の言の葉のようね)

 甘祢は集中を強めると、その言の葉に宿された情報を捉えはじめた。

(場所は石赤せきせき……紅革に近いから一緒に拾われたのかしら)

 

 深く息を吸いこんだ甘祢は、時間をかけて長い息を吐いた。

 それに合わせるように、頭の中にあった言の葉が霧のように消滅していった。

 瞳をあけると、すでに都の家々からは夕餉の煙が立ちのぼっていた。

 どこか寂しげな表情で眼下に映る風景を眺めていた甘祢であったが、やがていつもの凛々しい顔つきに戻ると、丘を降りて石赤へと足を向けた。

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