第08話 月夜の出立

 梓季しきの屋敷に岨采そばなが訪れたのは、陽も傾いた夕刻の頃だった。

 下人に話を通すことなく玄関に上がりこむと、夕餉の匂いが立ちこめる廊下をずかずかと突き進み、正面にある板襖を開け放つなりひと言、

「まったく、おまえは何を考えている」

 子供に叱咤するような口調で言った。


「申し訳ありません。少し反省していたところです」

 来ることがわかっていたのか、梓季はすでに酒を用意していた。

 部屋の広さは十畳ほどあるが、ほとんどが書物や巻物で埋め尽くされているために人がいられる範囲は少ない。ふたりは真中に置かれた小さな机を挟んで座ると酒を酌み交わした。

主仙しゅせんにあのような態度、どうなるかと思ったぞ。ましてや相手は妥由だゆどのだ、おまえも知らないわけではあるまい」

 梓季は黙ってうなずいた。

 

 妥由が主仙の長となったのは半年ほど前、それまでの主仙も政治の助言や吉凶を占ったりしていたが、そこまで国政に入りこんでくることはなく、ましてや戦の可否を指示することなど決してなかった。それが妥由となってからは何かにつけて口を出すようになり、その意見に対して否と答えようものなら容赦のない裁きを下すまでになっていた。つい最近でも社の修繕に使われた国費について疑問を口にした高官が死罪となり、論理性の欠いた言動に物申した王族がひとり投獄されている。どちらも王の信頼に足る人物たちだった。

 いまや王宮内は異常なほど神経質となり、もとより心根が優しく慈悲に深かった梗王桔安こうおうきあんは、妥由の冷酷なまでの応対に何も言えない己を責めて情緒不安定になりつつあった。


「それで、話はどうなりましたか」

「かなりまずい方向に向かっている。大王は沢桔さわきを将に置いて柊国しゅうこく討伐の勅令を正式に出した。せいに駐屯させているおれの軍と合流して、そのまま北上するつもりでいるらしい」

「愚かな……犀鳥せいちょうが黙っているわけがない」

「それはおれも言ったが、沢桔のやつが聞く耳もたん。制圧下にあれば何でも言うことを聞くと思っているようだ」

 そう言って岨采は杯の酒を一気に飲み干すと、

「くそが、何でこんなことに」

 机に叩きつけるようにして置いた。


 岨采の苛立ちは梓季の苛立ちでもあった。硬猿こうえんのほとんどは岨采に信頼を置いているため、その岨采が立つとなれば兵はついてくるだろう。しかし、大義名分もなければ目的すらわからない戦で、どうすれば士気をあげられるというのか。犀鳥が寝首をかきにくることを警戒しつつ、柊犬という強敵を相手にし、葛羊かつようの脅威にも備えなければならない。どうあっても無謀といえる戦に、梓季も頭を抱えるしかなかった。


「悩んでいるところ悪いが、おまえにもうひとつ悪い報せがある」

 口にしにくいのであろう、言いあぐねている岨采の目を、梓季はじっと見つめた。

「なるほど、蟄居を言い渡されましたか」

 岨采は一瞬だけ片眉をあげ驚いたが、すぐに納得した顔になり、

「大王の計らいだ。沢桔のやつは投獄が妥当だと最後まで言っていたがな。どちらにしろ、不利な戦が輪をかけて不利になったってことだ。おまえの言っている通り、梗は滅びるかもしれんなぁ」

 投げやり気味に言った岨采の言葉に、梓季はくすりと笑った。


「なんだ、えらく余裕だな。なにか策でも浮かんだか」

「いえ、そうではありません。しかし、ここでおとなしく滅びを待つつもりもありません。この機を活かし、私は柊国へ行ってみようと思いまして」

「柊へ? 何をしにいくつもりだ」

「妥由どのが柊討伐を決めたのは、知来太子が柊にさらわれたかもしれないという憶測ゆえです。実際に柊王に会ってその是非を確かめれば、戦を回避できるかもしれません」

「なるほどな……。しかし間に合うか」

「今晩すぐにでも釣挑ちょうちょうをつれて発ちましょう。ですが、どうしても岨采どのにお頼みしたいことが」

「大王の書簡か」

 梓季は頷いた。王宮を訪れるにはそれなりの理由と貢物が必要となる。貢物は梓季でも用意できるが、理由ともなれば大王の意がどうしても必要になってくる。


「柊討伐は大王も反対されているから、意図を話せば書してくださるだろう。だが何としたためる。まさか犀国の太子をさらいましたかと書くわけにもいくまい」

 冗談まじりに岨采は言った。

「柊王と面会さえできれば、口実は何だってかまいません。そうですね、此度の犀国制圧はあくまで梗の体裁を保つためであって領土が目的ではない、といった文面でよいかと。あとは私が何とかします」

「確かにおまえなら是非を見極められるだろうが、仮に太子がいなかったとして、はたして妥由どのが素直に信じるかどうか」

「そのおりには犀国の主仙に口添えしてもらいましょう。自国の太子が行方不明になれば探すのは道理ですからね。柊国にも使者を送ったが見当たらず、と主仙の口から言われたのであれば、さすがに妥由どのも独断はできないでしょう」

 

 主仙は苑の民の遣いであり、皆が一様に苑人えんびとの子であるという思想のもとに成り立っている。王族をも裁ける主仙であるが、同じ主仙を裁くことは事実上できない。もし裁ける者がいるとすれば、それはせんの国にいるといわれている、主仙総本家の首長くらいであろう。

「彼らには恩を売っていますので、引き受けてくれるでしょう」

「もし柊国が本当にさらっていたらどうする」

「その時は大義名分が成り立ちますから、梗猿が先陣をとらずとも、太子奪還のために犀鳥が先に動いてくれるでしょう。葛羊の脅威は消えませんが、活路は見いだせると思います」

「なるほど。であろうな」

 岨采は酒を飲みほした。

 

 その晩、梓季は釣挑を呼びつけると、共に柊国へ行く支度を整え馬にまたがった。

 手筈通り、岨采は梗王の書簡を携えて見送りにやってきた。

「何ごともなければ数日で戻れるでしょう。岨采どのはできるだけ時間を稼いでください。開戦だけは避けねばなりませんから」

 いななく馬をあやしながら梓季は言った。

「ああ、わかっている。沢桔もああ見えて修羅場はくぐってきているからな。あまり無謀なことはせんだろう」

「沢桔どのは柊との戦を恐れています。口にこそ出しませんが、戦略について岨采どのの指示を仰ぎたいとも思っているようでした。上手くすれば優位に動けます」

 岨采は目を丸くすると、声を大にして笑った。

「あいつめ、内心ではそのようなことを。これはいいことを聞いた、おおいに利用させてもらおう」

「ご武運を」

 梓季と釣挑は馬腹を蹴ると、月夜の山道を柊国へ向けて旅立った。

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