第07話 理不尽な勅命

 梗国王宮、岩蛍宮がんけいきゅう――。

 玉座の間の雰囲気は張りつめており、通路を挟んで座している武人や官人は緊張した面持ちでそのやりとりを見ていた。

「……つまり、太子はいましゅうの国にいると?」

 玉座に腰かける梗王桔安こうおうきあんの目は、床に置かれた小刀に向けられていた。その眼差しは傍目に見ても弱々しく、不安の色を隠せていない。色白で小柄な風体がいっそう威風を削がせているようにも見えた。


「いえ、必ずしもそうであるとは」

 小刀を挟んで、王の向かい側で座している梓季しきの口調もまた重たいものがあった。

 部下の釣挑ちょうちょう知来ちき太子の変わりに持ち帰ってきたもの。それが目の前に置かれている小刀だった。

 調べたところ、それが柊の国で作られた小刀であることは判明したのだが、それ以外は何もわからない状況だった。犀国せいこくの話だと、知来太子は逃亡の際、世話役とふたりの武人に付き添われていたというが、それらの者はみな死体となって見つかっており、太子だけがいなくなっている。

『手口からして相当の手練れかと』

 実際に現場を見てきた釣挑が言うには、ほぼ一刺しで殺されていた武人などを見るかぎり、行きずりの犯行とは思えないとのことだった。だとすれば、犯人は太子がそこを通るのを知っていたことになるが、なにより目的がわからない。

 普段はあまり心ゆさぶられることのない梓季も、さすがにこの時ばかりはもどかしい気持ちになった。


「大王、これは柊犬しゅうけんの仕業でありましょう。横取りはやつらの常套句、おそらく我々の目的が太子であったと聞きつけて奪いとったのでしょう」

 王の左側近くに座っていた武人が、いきり立ちながら言った。梗国太子にして武将を務める、色白で体の線が細い男だった。

沢桔さわきどの、その判断はさすがに早計すぎるのでは」

 諫める口ぶりで言ったのは、右側に座っている武人だった。沢桔とは違い、褐色肌で風格のある男だ。梗王の甥にして、やはり武将を務めている。

「何を言うか岨采そばな、かの国の小刀が落ちていたのは揺るぎない事実。これは紛れもなく、あの臭い犬どもの仕業よ。大王、やつらは梗を舐めているとしか思えませぬ」

 意見を否定されたのが癪にふれたのか、沢桔の言葉は感情にまかせるようでもあったが、岨采の方は冷静な態度で王に進言した。


「大王、ことはそう単純ではございません。確かに柊犬は血の気の多い輩でありますが、戦いに関することとなれば実に厳格な面を持っております。そのような者が武器を落として帰るなど、ありえるとは思えませぬ」

 これを聞いた沢桔は声を張りあげた。

「岨采、貴様は硬猿の武将でありながら、あの犬どもを擁護するというか!」

「落ちつかれよ沢桔どの、大王の御前ですぞ」

「なにをきさま!」


 顔を真っ赤にして吠える沢桔の言動は異様とも思えるが、場にいる者たちからすれば見慣れた光景でもあった。戦の武勲もさることながら、自身の親である王の信頼をも勝ち取っている岨采という男に嫉妬しているのである。そのため事あるごとに突っかかるが、岨采の方も慣れたもので、よほどのことでない限り受け流すようになっていた。

「沢桔よ、少し落ちつけ」

 子供をあやすように梗王が言うと、沢桔は鼻息を荒げながらも押し黙った。


 梗王は梓季に目をむけた。

「おまえはどう考える、梓季よ」

「おそれながら、私も岨采殿と同じ意見であります。何者かが意図的に落としたものではないかと」

「何者とは」

「正直なところ検討もつきませぬ。せめて知来太子を招きいれる理由がわかれば」

「それは余にもわからぬ。前にも言ったが、これは主仙の意、余の知ることではないのだ」

 梓季は内心で歯噛みした。今まで幾度となく軍を指揮してきたが、大義名分が成り立たない戦は初めてだった。ましてや今回の犀攻略は非道な奇襲に一方的な制圧である。これでは程度の低い盗賊と同じではないか。誇りを持って戦に挑む梓季にとって、その思いは耐えがたい屈辱でもあった。


「それで、おまえはどう責任をとるつもりだ、青葉の梓季」

 たまりかねたように沢桔が言った。岨采と親しい者は誰であっても許せないようだった。

「聞き捨てなりませんな、沢桔どの。犀の制圧は梓季のもと、見事に成功したではござらぬか。太子の不明は想定の外であって、そこに責任を求めるのは行き過ぎでは」

 岨采の表情が険しくなったのを見て、沢桔は勝ち誇ったように笑った。

「理由はどうあれ、目的は太子をここへ連れてくることであったはず。それが果たせておらぬのなら失敗と言えようし、当然、軍師が率いた岨采軍の将である、おぬしにも責任が及ぶことになりますなぁ」

 岨采は何も言い返さず、感情を抑えるように息を吐いた。確かに道理は通っている、とその顔は言っていた。

 

 と、その時だった。

「主仙、妥由だゆさま、おな~り~」

 女中の妙に間の抜けた声が、玉座の間に響きわたった。

 王を除いた者すべてが、一様に両の拳を床につけて頭をさげた。

 玉座の右奥にある扉から、女中ふたりがすだれを手に持ち、主仙を隠すようにしながら歩いてきた。


「あげよ」

 王の右隣りまできた主仙が、簾の向こう側から言った。女の声であるが、声音からして若くはない感じだった。

 沢桔と岨采、それに数名の者が顔をあげたが、他の者は頭を伏せたままだった。

 王族以外は主仙を仰ぎ見ることも許されぬ仕来りゆえのことだった。


「報せは受けましたぞ、桔安どの。知来太子の招致に失敗したそうな」

 ひどくゆっくりとした、生ぬるい口調で妥由は言った。

「うむ……思いもよらぬことがあってな」

 言葉使いは王のそれであるが、表情にあきらかな緊張がうかがえる。それは沢桔や岨采をふくめた、他の王族も同様だった。

「して、知来太子の行方はいずこか」

「それが、まだわかっておらぬ」

「ほう――」

 簾の向こうから届く冷ややかな声に、場の空気が張りつめた。

「お、おそらく、柊国にいるものかと」

 取繕うように言ったのは沢桔だった。

「柊国とな。それはまた、なにゆえ」

 沢桔は柊犬が悪であるという誇張を大いに盛りこみながら、今までの経緯を妥由に説明した。その話術はある意味見事なもので、経過を知らぬ者が聞いたとすれば犯人は柊国に違いないと思えるほどのものだった。


「さようか。ならば、返してもらわんとのぅ」

「しかし、まだ確実ではござりませぬゆえ、早計な判断は――」

「いかにするかは、わらわが決めること」

 厳しい言葉が岨采に刺さった。沢桔の口元が嬉しそうに歪んでいた。

「妥由さま、なにとぞ易断を」

 沢桔の言葉に、頭を下げている者達が一斉に口を揃えて、

「妥由さま、なにとぞ易断を」

 と復唱した。

 妥由は簾の向こう側で何やら唱えはじめた。しばらくすると別の女中が現われ、妥由から受けとったであろう紙片を梗王に深々と手渡した。

 目を通した梗王の表情が瞬時にして強ばった。


「妥由どの、これは……」

「そこに書かれてある通りじゃ。さぁ、読みあげられよ」

「だがこれだと……」

「それは苑の民のお言葉ですぞ、わらわは代弁者にすぎぬ。梗の国を繁栄へと導くため、苑の民が降臨され助言を与えてくださったのじゃ。それを否とするは苑人えんびとを愚弄すること、災禍により国は傾倒し、やがては滅びゆくであろう」

 梗王は固唾をのんで紙片を見つめた。

「さぁ、読みあげられよ」

 梗王は震える声で言った。 


「柊国の討伐――」


 場がざわつきはじめた。

「聞いての通りじゃ。いま、王より勅命が下された。みなの者。苑人の名において柊国をただちに――」

「なりませぬ」

 みなの目が一斉に梓季へと向けられた。

「わらわの聞き違いか、ならぬと聞こえたが」

「はい、そう申しあげました」

 周りの者は青ざめている。あの沢桔ですら、気でも狂ったかと言わんばかりの顔になっていた。

「そなたは、確か軍師であったか」

「青葉の梓季と申します」

「知っておる。なかなかに見事な采配を振るうそうな」

「ありがたきお言葉。願わくば、なにとぞ私の考えに耳を傾けていただきとうございます」

「よかろう、申してみよ」


「いま柊を攻めてはなりません。それこそが梗国滅亡の引金となります」

「それはどういうことか、梓季よ」

 問うたの梗王だった。梓季は頭をさげたまま、

「確かに全軍を持ってすれば柊犬とも互角に渡り合えましょう。しかし、そうなると誰が国を守りましょうや。硬猿が北へ向かえば今が時かと言わんばかりに南方より葛羊かつよう(葛国軍の呼称)が攻めてくるのは必定。我が国は大国に挟まれ引くに引けずの攻防となり、またたく間に全滅となりましょう」

 

 先々代の頃より続くかつの国との確執は、いまを持ってしても消えぬほど根強いものがある。梗の民であるなら誰もが理解できる言い分だった。

「おそれながら大王、犀国に風説を流布したのも、もとは葛羊を警戒してのこと。梓季の言うとおり南方を手薄にするのは危険であるかと」

 岨采が言った。数か月まえより間者を使って、柊犬が軍備を整えているという風説を犀の国内に広めていたのである。これにより犀鳥せいちょうの兵力は北方へ向けられたため、梗猿は兵力のほとんどを葛羊の警戒にあてることができていたのだ。

「ふん、武将ともあろう者が弱気な。此度のように奇襲をかけて拙速に畳みかければ済む話でござろう」

「沢桔どのは柊犬を甘く見すぎておりますな。個々の兵力ならば硬猿よりも上であることを確か。梓季が互角と申したは、策をもってその差を埋めるからでございますぞ。そのような者を相手取り拙速とは過信もいいところ。なにより此度の奇襲が成功したは、風説が思いもよらぬ形で使えたからこそ。柊犬相手ではそれも上手くはいきますまい」

 沢桔は顔を真っ赤にして唇を噛みしめた。何か反論しかけたが、さすがに言い返す言葉がないようだった。


「そなたらの言い分はわかった」

 妥由が言った。梓季は内心ほっとしたが、

「しかし、柊国討伐をやめることは叶わぬ」

「なぜゆえに……」

「易でそう出ておるからじゃ」

 梓季は床についている拳を強く握りしめることで衝動を抑えこんだ。

「梗が、滅びるのでございますぞ」

「そうならぬよう、そなたが策を弄すればよかろう」

「明らかな結果を前に、策も役には立ちませぬ」

 声音に怒りが隠せていない。さすがにまずいと思ったのか、

「梓季、控えよ」

 岨采が制した。


 突如として妥由が笑い声をあげた。

 重く異様な空気に耐えきれず、官人の中には震えあがる者もいた。

「天賦の才に長けた者とはいえ、所詮は人の子よのう、青葉の梓季。そなたとわらわとでは、見えているものが違いすぎるのじゃ。まぁ野山を駆けまわる狐に森の姿が見えぬというのも無理からぬ話。だからもうよい、下がれ。梗を想う気持ちに免じて、此度の狼藉は水に流してやろう」

 しかし梓季は動かない。

 近くにいる者は気が気でないのか、頭をわずかに持ち上げて様子を見ている。 

「のう、桔安どの。これはいかがしたものか」

 妥由の声は冷えきっていた。今まで人形のように簾を持っていた女中の顔が、ここにきて鬼でも見たかのように引きつった。

 梗王は額に汗を噴かせて、即座に退席するよう梓季に命じた。

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