第05話 暴流の宴
「おう、ここだ」
王宮から北東へ進んだところにある小高い丘をのぼると、五つに連なった大きな鳥居門があり、そこをくぐった先に、切りたった崖を背にするようにして荘厳な社が建てられていた。
時刻は昼ふたつ(午前十一時)をまわった頃だった。
「おまえ、ほんとについてくる気か?」
藍銅が聞いた。描はこくこくとうなずいた。
実のところ、丘が見えたのをもって描の役目は終えていたのだが、こんな所でひとりにしないでくれと涙ながらに懇願したため、ここに至ってもふたりは一緒にいるのだった。
「まぁ、わしは別にかまわんが。どうなっても知らんぞ」
「え、それはまたどういう……」
意味深な言葉が気になりつつも、今さら戻ることもできない。なにより描は、この男が何をしようとしているのか気になって仕方がなかった。
木々の細道を抜けて岩壁が見える場所まで来ると、古びた小さな祠が姿をあらわした。それは主仙の社とはくらべものにならないほど簡素な作りをしていたが、しかし描は、その祠に何かしらの寒気を感じた。
藍銅が持っていた黒棒で祠の扉を突っつくと、きしんだ音をあげながら扉は開いた。
入口は描の背丈ほどだったので、藍銅は頭をかがめながら中へ入っていった。おそるおそる描も続くと、がらんとした何もない部屋の正面に、黒い穴があいているのが見えた。それは岩壁にあいた洞窟のようだった。どうやらこの祠は岩壁とくっついているらしく、洞窟の入口がわりになっているらしい。奥からはひんやりとした冷たい空気が流れてきていた。
藍銅は慣れたようすで、洞窟の中へはいっていった。置いていかれまいと描も洞窟に足を踏みいれたとき、おぞましいほどの悪寒が背中を走りぬけ、全身の毛という毛がいっきに逆立ったかのような感覚に襲われた。
あまりの激しい体調の変化に気分が悪くなり、思わずその場で吐きそうになる。しかし何とかこらえ前方に目を向けるも、すでに藍銅の姿は闇のなかに消えていた。
「藍銅さん……? 藍銅さん!」
震える足で前に進む。
視界の闇はすぐに濃くなり、もう何も見えなくなった。
なにかいる――!
勘違いではなかった。あきらかに何者かがいる気配があった。それもひとつやふたつではない。無数の息づかいと気配が闇の中でうごめている。
「ら、らら、藍銅さん! どこにいるんですか!」
破裂しそうなほどに心臓が脈をうつ。恐怖に飲みこまれそうになり、声のかぎり叫んだ。
「ん、なんだ。見えんのか。待ってろ、いま明かりをつけてやる」
この時ばかりは、その素っ気ない態度に救われた気分になった。
少し離れた所でちかちかと火が打たれ、やがて、ぼわっと松明の明かりが周囲を照らした。
安堵の息を漏らしかけた描の目に、それも顔が触れそうなほど近くで、この世の者とは思えないほどの異形で異様な崩れかけた顔が映った。
「ぎいやああああああ!」
叫ぶに叫び、ふっと意識が飛びかけた描であったが、迫りくる矢の恐怖を体験したのが幸いしたのか、気を失うまでにはいかなかった。しかし腰が抜けて動けないのに変わりはない。少しでもそれから離れようと足掻くも、まったくどうにもならない。
細い手足に膨らんだ腹、背丈は腰ほどで小さいが、目は異様に大きく血走っており、眼球の半分が飛びだしている。口には歯がなく鼻もなく、変わりに顔には穴があいていた。
奇怪なそれは描を見て、にたぁと笑うと、けたけた笑いながら奥へ消えていった。
いるのはそれだけではなかった。先ほどと似たようなものはもちろんのこと、形の崩れきった獣のようなものや、昆虫と獣が変な割合で混ざりあったようなものが、そこらじゅう無数にいた。
「
藍銅が横にきて言った。
この世にいながらこの世のものではない者。
悪鬼。魔物。魍魎――。
なるほど、確かにその言葉があてはまると描は思った。
「で、でも、なんでこんなに――」
言いかけたとき、一匹の獣に似た、頭がないのに胸のあたりに顔がついている暴流が、涎をたらしながら襲いかかってきた。
描は悲鳴をあげて顔をかばったが、しかし暴流はすぐ手前で動きを止めていた。まるで見えない壁に阻まれているように、前足でがりがりと宙をかいている。
「結界が張られているからな。出てはこれんよ」
黒棒で透明の壁をこんこんと叩くと、目の前の景色が水面のように歪んだ。
ようやく描は、安堵の息をもらすことができた。
「あの、なんでこんなにも集まっているんですか……?」
「あそこに大きな裂け目があるのは見えるか」
奥の暗闇に目を凝らすと、確かにそれらしきものは見える。大人の背丈ほどある、爪で引掻かれた傷口のような裂け目であった。しかしそれは岩壁の表面にあるのではなく、空間の中で浮いているようだった。
「あれは
「じゃあ、あそこから暴流はやってくるってことなんですか」
「そういうことになるな」
よく見ていると、確かに氣裂から暴流が出たり入ったりしている。
「しかし面倒だな」
「な、なにがですか?」
「育ちすぎだ、この氣裂は。修復するのに思ったより時間がかかりそうだ。まったく、対象者も探しに行かにゃならんというのに」
藍銅が言うには、腕の太さくらいの氣裂であっても大きい部類になるらしい。それが大人の背丈ほどともなれば、さすがに骨がおれるとのことだった。
「あの、主仙さまを呼びに行かれては……」
我ながら名案だと描は思った。おそらく結界を張ったのは主仙さまたちで、人知れず暴流から犀の国を守ってくれていたのだ。力を合わせればきっと――。
「その主仙がこれをほっぽり出して逃げたから、わしが来るはめになったんだがな」
「え、逃げた……?」
描の脳裏に、関所を通過する牛車の姿がよぎった。その後すぐ、梗猿が怒涛のごとく攻めてきたのだ。
「じゃあ、主仙さまたちは知っていた……?」
「わしが知るか」
素っ気なく藍銅は言った。
描は頭のなかで何かが崩れるような感覚がした。王族よりも偉く、神のように崇められていた存在であった者たちが、一番になって国を見捨てて逃げていた。それも、このような危険なものを置いたままにして。
放心状態となり、そして呆れた。だんだんと怒りがこみ上げてきた。
「国を守るべき人たちなのに……!」
「どのみち主仙などいても役に立たん、せいぜい結界で抑えることが関の山よ。それよりも描といったか、悪いが少し頼まれてくれんか」
そういって、藍銅は描に向かって何かを投げた。
それは細長い、掌におさまりそうな大きさの、木で作られた小札だった。
「これは……?」
「わしはしばらくここから動けん。おまえ、代わりに宮廷までいって太子を探してきてくれ」
「太子って、
「確かそんな名だったか」
「む、無理ですよ。来る途中に見たでしょ、宮廷は
犀が戦に負けたことは、道中に知ることができた。描が藍銅と離れられないのも、それがあったからだ。
「だからそれを使え」
藍銅は描に渡したものを指さした。
「それは
「はぁ」
言われてもぴんとこない。よく見ると片方の面に何やら見たことのない文字が書かれていたが、その他はどう見ても細い板切れにしか見えなかったからだ。
「それを握りしめて、自分のことを梗の兵士だと思え。そうすれば相手の目にはそう映る」
「ま、まっさか~」
ありえないと言わんばかりに手をふる。
「つまらんこと言ってないで早く行け。そろそろこの結界を解くぞ」
「わ、わかりました!」
すっくと立ちあがった描は、あわてて洞窟の外へ足をむけた。
「ああ、おい。あまり高望みはするなよ」
「はい?」
「分相応でなければ、相手の目は誤魔化せんってことだ」
つまり、平民だった者がいくら念じたところで王族に見られることはない、ということらしい。
一抹の不安を抱えながらも、とりあえず丘をおりて宮廷の方へ向かってみることにした。
道すがら、言われたとおり自分のことを梗猿の中兵だと思ってみる。
上兵はさすがに分相応ではないと思ったし、下兵は何となく自尊心が許さなかった。なんだかんだと番兵をやっていた時期は長かったわけだから、中兵であっても大丈夫だろう、たぶん。
などと思いながら歩いていると、ばったりと見回り中の梗猿の兵と鉢合わせてしまった。
「あの、その」と描がしどろもどろしていると、
「ご苦労さまです」
と挨拶だけして梗猿は通りすぎていった。
あっけにとられ信じられない思いで氣札を見やると、何も書いていなかった面に文字が浮かび上がっていることに気づいた。理由はわからないが、ちゃんと発動しているようだった。
そうとわかれば後は早い。描は警戒しながらも足早に宮廷の近くまでいくと、警護にあたっている中兵らしき者を捕まえてさっそく聞いてみた。
「太子? どうも
兵はあたりを見ながら小声で言った。
「上の方も焦ってるみたいでな、軍師さまは報せのために梗へ戻られたみたいだ」
これには描も驚きを隠せなかった。
「なんで太子さま……いや、太子が柊国に?」
「それは知らないけど、正直、気が重いよ。今度は
描はすぐに社へ引きかえした。
なにかとんでもないことが起こりそうな気がしてならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます