第04話 おおきな男

 青い空がびょうの目に映った。

 いくつもの雲が優雅に流れている、穏やかな空だった。

 ふと、自分はここで何をしているのかという疑問が浮いて、寝ころんだまま脳を働かせた。

 すぐに思い出したのは、無数の矢が飛んでくる光景だった。

「ひぃ!」

 と声をあげた描は、自分の体を庇うようにして身を小さくした。

 しかし矢は飛んでこなかった。

 いったい何がどうなっているのか。

 おそるおそる目をあけて、おそるおそる起きあがった。


「お、目が覚めたか」

 野太い声がした。

 描は座った格好のまま、首だけを動かして声の方を見た。

 大柄な男がひとり、何かの上に座って芋のようなものをかじっていた。

 うす汚れた僧衣姿で無精ひげをはやし、髪は乱雑、お世辞にも立派とは思えない風体をした男だった。

「あんたは……?」

藍銅らんどうってもんだ。ちょいと道に迷ってな。うろうろしてたら屍のなかで動いているおまえさんを見つけたってわけだ」

 そう言って藍銅は、自分が尻に敷いているそれをぽんぽんと叩いた。

「屍……? 屍!」

 ようやく描は周囲の現状を理解した。

 いたるところで転がっている死体に、地面に突き立った矢、燃やされて崩れ落ちた兵舎からはまだくすぶりがあがっており、きな臭い匂いを漂わせている。

 

 横を見ると、こうなる前に話をしていた門番の変わり果てた姿があった。熱く乾いた感覚が胸の奥から這いあがり、それが涙となって描の目からこぼれ落ちた。

「なぜ……こんな。なんで……」

「ん、ああ。三日くらい前に戦があったらしい」

「わかってるよ、そんなことは!」

 あっけらかんとした藍銅の態度は、描の神経を逆なでさせるものがあった。

 しかし、

「……三日? あれから三日も経ったのか? じゃあ、この国はどうなったんだ? 犀王さまは? 硬猿に勝ったのか?」 

「わしが知るか。それより、元氣が戻ったのなら行くぞ」

 横に置いてあった黒く長い棒を握ると、藍銅は立ちあがった。

 

 でかい――。

 身長もさることながら、山のような威圧感を前に描は圧倒されそうになった。

「行く? 行くってどこに?」

「おいおい、ただで助けたわけじゃないぞ。おまえこの国のもんだろ、だったら主仙の社まで案内してくれや」

「助けた……?」

 そういえば、あの状態でどうして生きているのか。そう思った描は、服がひどく破れ、いたるところに穴があいていることに気がつき、服をひらげて自分の腹を覗いてみた。

「な、なんじゃこりゃあ!」

 そこにいくつもの傷痕があることを知って気を失いかけた。

「こ、ここ、これ、あんたが治してくれたのか?」

「ん、ああ。治療なんぞあまりやったことないから少々粗いがな」

 粗いというが、膿も出ていなければカサブタもない。すでに傷跡は完全にふさがっており、皮膚の色が少しちがうくらいである。


「わかったなら、さっさと案内してくれや」

「え……どこに?」

「主仙の社だと言っただろうが。どうも前に来た時とは違っていてな。ここがどのあたりなのかよくわからん」

 呆けた顔で聞いていた描であったが、ほぼ完治している腹の傷と、藍銅が口にした言葉を手掛かりに、やがてひとつの回路を脳で組みたてた。

 とつぜん血の気のひいた真っ青な顔になると、地面に頭をこすりつけ、

「も、もも、申し訳ありません、申し訳ありません。主仙さまだとはつゆ知らず、あばばば」

 何度も何度も地面を頭で叩いた。これほどの短期間で傷を治せる仙氣せんきが使えるのは主仙でしかありえない、描はそう思った。

「だれが主仙だ」

 藍銅はすこし苛立っているようだった。

「え、主仙さまでない? では、お社への参拝が許されている保仙さまでしょうか。なんにしろ命の恩人に無礼な態度をとってしまい、いえ、決して悪気があった訳ではなく――」

「めんどうなやつだな、こいつ」

 ぼりぼりと頭をかいた藍銅は、拉致があかないと思ったのか、描を放って歩きはじめた。

 あわてて描は後に続いた。

 

 主仙の社は王宮近くの小高い丘の上に建てられているはずだったので、描はこのまま山道を北上することにした。大路を通った方が距離的には近くなるが、戦の行方がわからないだけに避けた方がいいだろうと思ったからだ。なにより硬猿が怖かった。あの迫りくる青い旗と飛んでくる矢を思い出すだけで、今でも腰が抜けてしまいそうだった。

 

 ふたりは木々に挟まれた小道をもくもくと進んだ。

 案内役の描であったが、その実、藍銅の後ろで召使いのように頭を伏せながら歩いていた。自分の前を大股で歩いている男が何者かわからないが、あれほどの仙氣が使えて主仙を訪れようとしているのであれば、かなり高位の者であろうことは間違いなかった。本来なら平伏して姿を目にすることすら許されないであろう人物を前に、息もつまって気が気でないものの、こういった方々はどういう様相をしているのか逆に気にもなり、ちらちらと頭をあげては藍銅の背中を見たりしている。


「なんだ、聞きたいことでもあるのか」

 振りかえることなく藍銅が言った。びくっと体を強ばらせた描だが、もとより死んでいた命、思いきって聞いてみることにした。

「あ、その、藍銅さま……は、どちらの国からこられたのですか?」

「あっちの方だ」

 藍銅は杖がわりにしている黒棒で東の方をさした。描からすれば返事にこまる返事である。

「えっと……りゅうの国ですか」

「榴? おお、あの南海に面した小国のことか」

「え、小国……?」

 たしかに榴は南海に面しているが、北は崋山の界壁まで統べている大国である。描がそのことを言うと、

「ほう、そうなっているのか」

 さほど興味がなさそうに答えた。描はますますわからなくなってしまった。榴の国でないとしたら、さらに東のどうの国であろうか。しかし榴を小国と言うくだりもよく理解できない。


「あの、以前にもせいに来られたと申されていましたが、それはいつぐらいのことなんですか?」

「そうだな、十年ほど前になるか。この国もずいぶんとちっぽけになったもんだ」

 そういって藍銅は豪快に笑った。十年前であるなら今と領土は変わらないはずだが、描はそれよりも「ちっぽけ」という言葉に反応して、

「そうですね。犀王記せいおうきのように、またこの国も大きくなってほしいです」

 と、空を眺めながら言った。

「犀王記? なんだそれは」

 藍銅が顔をふりむかせて聞いてきたので、描はあわてて頭をさげたが、犀王記を語りたい誘惑に勝てず顔をあげて説明をはじめた。これが意外にも藍銅の気をひいたようで、ちらほらと質問が飛んできたりもして、描はだんだんと饒舌になりはじめた。はじめのうちこそ遠慮した口調と態度で喋っていたが、それでも変わることのない藍銅の態度と、高位といっても他国の者だという考えもあいまって、王都が見えはじめたころには、

「もうすぐで王都ですよ、藍銅さん」

 などと、もはや少し目上の者にでも話しているかのようになっている始末であったが、藍銅の方もとくには何も思っていない様子だった。

 

 さすがに王都までくると、否がおうでも屍の姿を見るようになった。道のそこら中で横たわっている硬猿こうえん犀鳥せいちょうの兵は五分五分で、壮絶な戦いであったことが見てとれる。歩いてきた道中にもそういった戦火の跡をちらほらと目にしたが、ここに至っては比にならない。両脇にある家々の壁には槍や矢などが突き刺さり、血しぶきで染まっている木戸が風にふかれて乾いた音をたてていた。ここにきて現実を目の当たりにした描は気持ちが悪くなり、少し座らせて欲しいと藍銅に願いでた。

「ひどいありさまですね……」

 片隅に転がっていた木箱に腰をかけて、描は深くうなだれた。今まであたりまえのように見ていた光景が、経った数日でなくなってしまった。心にあるのは絶望感ではなく、穴があいてしまったかのような虚無感だけだった。

「よくあることだ」

 藍銅は素っ気なく言うと、そのまま歩きはじめた。

「あ、待ってくださいよ」

 足腰を奮い立たせてあとを追う。

 

 と、蹄の音が遠くから響いてきた。

 引きつった顔で描が前方を凝視すると、宮廷のある方角から馬郡が向かって来ているのが見えた。

「ら、藍銅さん! 硬猿だ、はやく隠れないと!」

 馬郡のなかに青い旗幟を確認した描は、あわてて藍銅の服をつかんだ。

 心臓が早鐘をうつ。あの時の光景が脳裏に蘇えってきた。

 しかし藍銅に歩を止める気配はない。

「なにやってるんですか、はやく!」

「ええい、うるさい。黙ってそのまま歩いていろ」

 やっぱりこの人の言うことはわからない。そんなことをしていたら、たちまち取り囲まれて殺されてしまうではないか。

 

 描は逃げたいと思ったが、なかなか行動に移せず、そうこうしていると硬猿はすぐそこまで迫ってきてしまい、もはや姿形がはっきりと見えるまでになっていた。

 馬の数は三十ほどだろうか。先頭を走っているのは他の者より派手な鎧を着た、長い髪を後ろでひとつに束ねている、聡明な顔つきをした男だった。

 もうだめだと思った描は、覚悟を決めて藍銅の背中に貼りつくようにして歩いた。

 はたして、馬郡はふたりの横を素通りしていった。

「え、え、なんで……?」

「さあな。なにかと忙しいんだろう」

 我が目を疑うかのように振りかえるも、描の目に映ったのは、砂ぼこりを立てながら走り去っていく硬猿の後ろ姿だった。

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