第02話 十分の交渉

 せいの国、王都。桂銀けいぎん――。

 王宮前の広場には、武具に身をつつんだ兵が隊列を組んで待機していた。

 時刻は夕ふたつ(午後5時頃)。

 国境の関所がやぶられてから、三日が経っていた。

 いま王宮前で勇ましく掲げられている旗は、犀鳥せいちょう(犀国軍の呼称)の旗幟ではなく、薄青色の梗猿こうえんの旗だった。

 

 刻にしてわずか二日と半。梗猿はまたたく間に王都へ攻めあがり、王宮の制圧に成功したのである。これには犀王義来ぎきも憔悴しきった顔でただ、

「ありえぬ……」

 と呟くより他なかった。

 弱小国であることは否めぬまでも、有事に際して兵を鍛え、国力の強化に手は抜いていなかった。にも関わらず落城したのは策に翻弄されたからだった。


「在り得ない、ですか。しかしこれが現実なのです」

 うなだれている犀王を前にして、その男は悠然とした態度で言った。

 歳のころは三十前後だろうか、長い髪をうしろで束ねている、聡明な顔つきをした男だった。王を見据える眼はどこか冷ややかでありながらも、対象を射抜くような光を帯びている。

「大王、この者が岨采そばな軍の軍師……青葉あおば梓季しきです」

 犀王の横で膝をついている武人は小さな声でそう告げると、憎悪に満ちた目で梓季を睨んだ。

 

 宮廷内の空気は張りつめている。ともすれば今にも斬りかかりそうな武人たちの怒りと、びくついた様子で事の成りゆきを見守っている官人たちの怯えが、ひとつの情念となって場を圧していた。

「そうか、この者が……」

 青葉の梓季のうわさは犀王も耳にしていた。梗国こうこくには知略に優れ思うがままに戦を操る武神がいる、と。できれば宮廷に招待し、兵法について問答したいと考えていた犀王であったが、まさか我が身をもって教えこまれるとは思ってもみなかった。


「して、青葉の梓季どのよ。この国に攻めてきた目的はいかに」

「お戯れを。国を攻める理由が獲る以外にありましょうや」

 周囲のあらゆる情念をものともせずに、梓季は涼しい声で言った。これに王の側らにいた武人は怒りを露わにしたが、犀王義来は片手をあげて制すると、ふくみ笑いをうかべた。


「あまり余をあなどるでないぞ、青葉の梓季よ」

 その声音には、あきらかに王の威厳があった。

「貴国がいま、南方のかつを警戒しているのは知っておる。その渦中に兵力を割いてまで我が国を攻めるは、他に理由があるとしか思えぬであろう」

 梓季は微笑を浮かべると、五本の指先を合わせ手でつぼみのような形をつくり、犀王に向かって深々とお辞儀をした。それは由緒正しき礼儀作法だった。

「ご推察、おそれいりました。では言外に言うのを止め、率直に梗王の勅令をお伝えいたします」

 周りの者は息をのんで次の言葉を待った。


「犀国の王位継承者である知来ちき太子を、こちらに引き渡していただきたい」

 ふたたび官人たちにどよめきがはしる。

 みな言葉の意味を掴みかねているようだった。


「おい……ふざけるなよ、きさま!」

 叫んだのは側近の武人だった。

「もしそれが目的であったとするならば、なぜ軍を動かしてまで国を攻める必要がある。他にやりようがいくらでもあろうが!」

「余も同じ意見だ。太子を渡せなどという要求もさることながら、その理由で我が国を攻めたというはいかがなものか。まずは交渉をもってするのが道理というものではないか」

「ですから、いま交渉をしているのです」

「……きさま、まだ言うか!」

 荒ぶる武人に梓季は鋭い目をむけた。

「勘違いをなされないでいただきたい。この国は、今日をもって我が国の支配下に置かれたのです。ゆえに貴国は、知来太子をこちらへ引き渡し属国として生き長らえるか、それとも今ここで滅びるかの二択を選ぶ権利があるのです」


「どうあっても、交渉と申す腹づもりか」

 犀王の口ぶりは静かであったが、膝の上で握りしめている手は怒りで震えていた。

「話は最後までお聞き願いたい。我が主、梗王桔安こうおうきあん様はこう申されております。もし太子をお渡していただけるのであれば、梗国は貴国に対して制約はいっさい課さぬと」

「そんな話、信じられ――」


「のみならず」

 武人の言葉をさえぎるようにして、梓季は言葉をつづけた。


「梗国東方の都、長葉ながばを貴国に献上し、それに伴う漁業権も同様のものとする――とのことです」

「な……!」

 犀王は絶句した。

「だ、大王、これはまたとない申し出ですぞ」

「さようでございます。ここは是非ともお受けになった方がよろしいかと」

 官人たちはざわめき、口々に提言しはじめた。


 無理もない話だった。長葉はちょうど国境を越えたところにある梗の都で、この土地は葛と、その隣国のりゅうとも接しているため交易に適している。山脈から平地へとのびていく斜面は陽当たりがよく作物の実りもよい。閉鎖的な土地柄の犀国にとっては喉から手がでるほど欲しい土地ともいえた。これに官人たちが食いつかないはずはなかった。

 

 そんな中、武人の声が宮廷にひびいた。

「ええい、みな騙されるな。これは詭弁だ。長葉を得たとて、属国であるなら梗のものであることに変わりはなかろう。うまいように言ったつもりかもしれんが、おれはだまされんぞ!」

「しかし、梗王は制約をかけぬと言ってくれているではないか」

 すかさず官人の誰かが言った。すでに交易の利権について考えているのは、他の官人も同じようだった。

「そうですぞ。それに、受けなければ滅びるのであれば、これ以上は考える余地もあるまい」

「そこがおかしいのだ。不利な立場ならともかく、なぜ制圧しておきながらそのような好条件を出す。裏があるとしか考えられんではないか!」


 その問いに答えたのは犀王だった。

「否と言わさぬため……か」

 武人は少しおどろいた顔をして王を見た。

 いくら好条件の交渉であっても、それが和平的だと相手には断る余地がうまれる。十割十分の交渉とするには、その余地を埋める必要があり、そのために梗は戦をしかけてきた――犀王はそう考えたようだった。

「狂気の沙汰……」

 ある種の恐怖心が武人のなかで生まれた。王の前で静かに立っている、先ほどまでは己が太刀で一刀両断できそうだった硬猿の軍師が、いまは山のような大きさに見えていた。


「答えはお決まりでしょうか」

 涼しい声で梓季が聞いた。

「太子を、どうするつもりか」

 何も答えない梓季を見て、犀王はなおも続けた。

「なぜ梗の国は、そこまでして太子を所望するのだ」

 しかし、これにも梓季は無言の返答をかえした。

「答えられぬ……か。まあよい、最終的な判断は主仙に委ねるゆえ、それまで――」

「その必要はありません」

 梓季は微笑を浮かべると、

「主仙は、すでに我が国へ亡命しておりますゆえ」

「な……なんと、それはまことか」

「ええ、すでに彼らとは話がついております」

「主仙が、国を捨てて逃げていたとは……」


 しばらく呆然としていた犀王は、やがて自嘲すると赤らんだ顔で天井を見上げた。

「情けない。主仙も、余も。これがいまの犀国であるか」

「どの国も主仙などそのようなものかと。賢王が気に病む必要はございません」

 敵であるはずの梓季の言葉に、犀王義来は目がしらを熱くした。

「すまぬが、太子はここにおらぬ。香丈こうじょうへ逃げるよう指示した」

「それはいつほどですか」

「昼五つ(午後二時)の頃だ」

 梓季は犀王の目をじっと見つめると、

「なるほど、確かに」

 とひとり頷いた。


釣挑ちょうちょう

 後ろで待機していた兵に言葉を向ける。

 切れ長の目をした小柄な男が、梓季の横にきて片膝をついた。

「聞きましたか。あなたは隊を連れてすぐに追ってください」

 無言でうなずいた釣挑は、足早に宮廷をでていった。

「では、私も外で待たせていただきましょう」

 そう言って犀王に一礼した梓季もまた、きびすを返すと宮廷をあとにした。

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