苑の国物語

穏休

八華迎来の章

探訪編

第01話 非道なる侵略

 序

 犀暦せいれき3600年――。

 かつては大陸全土を手中におさめ栄華を極めたせいの国も、今は虚しく、はすの東に広がる扇状地で細々と存続していた。時の覇王、吟桂王ぎんけいおうの威光が衰えるや、大国はふたたび分裂と吸収を繰りかえし、今では八つの国が互いの存亡をかけて争っている。

 中でも柊国しゅうこく丹国たんこくの戦は新しく、その戦禍たるや、かつての大戦を想起させるほど凄惨なのものであった。

 

 大国小国の多々あれど、人の欲望に際限はないようだ。

 欲しては奪い、奪ってはまた欲する。

 すべては己を守るためであろうか。 

 やがては得た物すべてを手放し死にゆくことになろうとも、意志を継ぐ者たちがそれを止めることはない。

 すべては何かを守るためであろうか。

 まるで見えざる手に翻弄されているかのように、ここにもまた新たな戦禍が起きようとしていた。


一 侵略

 せいの国、南東――。

 拳がはいりそうなほどの大口をあけて男はあくびをした。

 空は晴天。透かした雲が崋山の界壁をなでているが、宙の青さを背にするとその存在もはかなく、大気のあるがままに姿を変えていた。

 春の陽気があたりを包み、草木は微風に揺れている。

 男はたまらず、また大きなあくびをした。

「おいびょう、あんまり不抜けた声を出すなよ」

 描の反対側に立っていた門番が咎めるように言った。

 

 場所は国境付近の山道に置かれた関所である。

 石造りで頑丈な作りをしているが、他にくらべると規模は小さい。他国との道なりで構える関所ではなく、どちらかと言えば役人や、専属の商人などが利用する通用口のようなものだからである。

 そのため人の往来は少なく、一日に数えるほどしか見ることはない。ましてや北方にある柊国しゅうこくとの国境であるならともかく、こちらは友好関係を築いている梗国こうこく側の国境である。

 形式上は門のかたわらで槍を片手に真顔で立ってはいるものの、さほど警戒する必要もないため、今日のような日和だと、どうしてもあくびが出てしまうのだった。


「はは、どうせまた夜もおそくまで夢物語でも読んでいたんだろ」

 関所上部の見張り台にいた門番が、描を見下ろしながら言った。

「ばかやろう、夢物語っていうな。歴史書だ、歴史書」

 顔を真上にむけて駄目出しをする。言ってろ、と上の門番は鼻でわらった。

「どうせ初代王のあれだろ、華山かざんにのぼってえんたみに願いを叶えてもらいましたっていう。いまどき子供でも信じないよ、そんな話。それよりもっと金が儲かりそうな書物をだな――」

 うるせえ、と言葉をさえぎった描は、ぷいと顔をもどした。


 男が言ったとおり、描はいま犀国せいこくを創りあげた初代王のことが書かれている書物を読んでいるところだった。

 事のはじまりは、奉公先の家を掃除している時にたまたま見つけた「犀王記せいおうき」という書物だった。

 描自身、子供の頃によく聞かされていた話だったため、おとぎ話のつもりで読みかけたのだが、これがなかなか。読み進めているうちに物語の壮大さに心を奪われてしまい、今では寝る間も惜しんで読みふけっている。


 なんでも初代犀王が唯一にして覇王となり天下を統一できたのは、華山の頂きに登り、そこで苑の民から力を授けられたからだという。崋山とは大陸の中心に存在する山のことなのだが、雲よりも高くそびえ立つ界壁かいへきに周囲を囲まれているため、実際に描が目にしたことはない。

 伝承では、華山に登頂すれば苑の民が楽園より降りてきて、願いをなんでも叶えてくれるといわれている。今でこそ伝説的な扱いになっているが、昔はそれを信じて多くの者が崋山を目指して旅立ったというが、登頂に成功したという話は誰も聞いたことがなかった。

 

 その難攻不落の山を、ただひとり登りきった人物。それが犀国の初代王にして覇王となった、吟桂王ぎんけいおうだった。

 いま描が読んでいる犀王記には、その辺りのくだりや、その後、吟桂がいかにして覇者となっていくのかが書かれているのである。これが実におもしろく、描の心を湧きたたせた。子供に聞かせる昔ばなしは、たいていが崋山登頂の辺りまでで、確かにそれだけだと夢物語と思われても仕方がないという面はある。しかしそれは物語の導入部にしか過ぎず、犀王記の真髄はそれ以降にあったということに描は気がついたのだ。


「おもしろいのになぁ、読んでみりゃいいのに。もったいない」

 誰に言うでもなく、ひとり呟いた。

 楽しみ方は人それぞれである。他人が興味を持たないことを無理に勧めるつもりはないが、かといって、自分がおもしろいと思っていることを馬鹿にされるのも気分が良いことではなかった。

「おーい、いつまでもふくれてないで気を引きしめろ。お偉いさんのお通りだぞ」

 上からの声に、描は首をのばして門の中を覗きこんだ。

 牛に引かれた車が数台、ゆっくりと近づいてくる。装飾された車に幟が見えることから、確かにお偉いさんであることがわかった。


「へぇ、めずらしいな。どこのお役人さまだろ」

 数台の牛車ともなれば、何かの遣いであることは明白である。大路の関所ではよく見かける光景であるが、くぐり戸に近いここでは奇妙ともいえた。

「お忍びでこうの国へ遊びに行くんじゃないか。なにせあの国は美人が多いからな」

 隣にいた門番が言った。

「いい身分だなぁ。おれも一度でいいから行ってみたいもんだ」

「なんだ描、おまえ行ったことないのか。なかなかいい国だぞ、活気もあるし飯もうまいし。ただちょっと味付けが薄いけどな。それこそ、おまえが好きそうな書物が置いてある店もあったりしてよう」

「それほんとうか」

「あたりまえだ、梗は学問の国だぞ。そこらじゅう書物の店だらけよ。いくなら長葉ながばじゃなくて雛桔ひなきつだな。王都というだけあって人の多さがちがう」

 長葉や雛桔が梗の都であることは描も知っているが、人づてに得た知識しか持っていないため、話を聞いているだけで胸おどる気分だった。


「お、おい! ばかな話はそれくらいにしろ。あれは主仙しゅせんさまの牛車だ。はやく持ち場にもどるんだ。下手すると首がとぶぞ!」

 見張り台からの声に、描の顔は一瞬にして青ざめた。すぐに門の横へ戻ると、持っていた槍をまっすぐにたてて直立不動し、目線を前方の一点にとめた。

「な、なんで主仙さまがここを……?」

「ばか、しゃべるな。通りすぎるまで石になってろ」

 横で同じように直立不動している門番の声は震えていた。

 

 国には保仙ほせんと呼ばれる、祭事や周易をおこなう職業がある。主仙とは王家専属の保仙のことで、立場でいえば国政などを助言する補佐役となるのだが、その権力は絶大であるために王族よりも力を持っていた。

 普通なら地面にひれ伏して姿を見ることも許されないが、描たちは門番であるために立って通過を見送らなければならない。それがとても苦痛だった。万が一にでも間違いがあれば、本当に首を飛ばされるからだ。過去にもそういったことは多くあり、なかには主仙の気を害したという理由で死罪になった王族もいたという。


 息もできないほど硬直している門番の横を、牛車は砂利をはねながらゆらゆらと通りすぎていく。

 <主>というのぼりの文字が風でなびくたびに、描は心臓が握りつぶされそうな気分になった。

 やがて何事もなくそれらは関所を抜けて、山道の向こう側へと姿を消していった。

 全部で五台のようだった。


「なんだったんだろうな。こんなこと初めてだ」

 完全に見えなくなるのを確認してから、描は力の抜けきった声をあげた。

「さあな。でも近ごろは暴流ぼるの報告も多いみたいだから、もしかするとそれ関係かもしれないな」

「そういや、うちのいとこも前に憑かれたと言ってたな。まったく嫌な世の中だよ」

 見張り台の門番が思い出したように言った。


 暴流とは、この世にいながらこの世のものではない生き物のことで、その姿はじつに奇怪で醜く、物を壊したり人に憑いたりといろいろな悪さをすると言われている。そういった悪鬼どもを駆除したり、あるいは憑かれた者を治癒したりするのも保仙の仕事なのである。


「それに加えて、最近はやけに地震も多いしなぁ」

「おお、この前はすごく揺れたよな。思わず机の下に潜りこもうと思ったほどだ」

「はは、こりゃあれか。天変地異が起こるなんとやら――ん?」

 見張り台の門番は言葉をとめると、手をかざして目を細めた。


「どうした?」

「向こうから、なにか来るな」

「まさか、主仙さまが戻ってきたのか」

 あわてて前を見た描の目に映ったのは、牛車ではなく薄らいだ砂ぼこりだった。

 しかし、すぐにそれはもうもうと立ちのぼる土煙りとなり、数えきれないほどの馬や人の群れへと変わっていった。


「な、なんだあれは!」

 大気を震わせるかのような重音がとどいてくる。

 全身を震えあがらせた門番たちは、しばらくのあいだ荒波のように押しよせてくるそれを理解するのに苦しんでいたが、はためいている旗幟きしを見てすべてを把握した。


 薄青色の旗地に、桔梗の花と猿の影絵が印された紋――。

「こ、梗猿こうえんだ……」

 見張りの顔は信じられぬと言わんばかりになっている。

 梗猿とは梗国軍の異称である。国の象徴する動物を戦の守り神とする風習から、いつしか国軍は別の呼称を持つようになったという。


「な、なんで梗猿が攻めてきているんだ!」

 たまらず描は見張りに叫んだ。

「そんなこと知るわけ――がっ」

 飛んできた矢に容赦なく首を貫かれた門番は、手すりに身を乘りだすようにして倒れこんだ。

「な、なな……なんで」

 描は腰がぬけてしまい、なさけない格好で後ずさった。となりにいた門番は呆然と突っ立っている。なにが起きているのかわからないでいるようだが、それは描も同じことだった。

「も、門を……門をはやく閉めるんだ!」

 そう叫んだ描の目に映ったのは、空を滑空してくる黒々とした矢群だった。

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