初めての共同作業

 あれから一年。果雨ちゃんは十五歳に、おっぱいはD……ではなく、Cカップのままである。


 おや、と思われた方も多いことだろう。このところ順調に毎年1カップずつ成長してきたのを考えると、ペースダウンした感が否めない。それは認めよう。

 果雨ちゃんのおっぱいは成長が止まってしまったのか……?

 答えは否である。果雨ちゃんのおっぱいは依然として成長を続けているはずだ。では何故いまだにCカップのままなのか。


 その問いに答える前に、思い出して欲しい。おっぱいのサイズの規格である『カップ』はどのように算出されるのかということを。


 そう、カップがアルファベットの何番目にあたるかを決めるのは、トップ、つまり胸囲の最大値と、アンダー、つまりおっぱいの下の部分の差によって決まるのだ。

 いや、これ以上の言葉遊びは無意味だ。率直に言おう。


 果雨ちゃんは、全体的に少しぽっちゃり気味になってきたのである。


 我ながら何たる失態であろうか。彼女のおっぱいを巨乳に育てようとするあまり、鶏の唐揚げを作る頻度がかなり上がってしまい、カロリーの管理を怠ってしまったのだ。おっぱい云々以前に、果雨ちゃんの養育者として失格である。全責任は俺にあるから、どうか彼女のことをデブだなどと思わないでほしい。


 ちなみに、成長期でもないのに果雨ちゃんと同じペースで唐揚げを食べ続けた俺はメタボ一直線である。こちらについては、ブタだのデブだの自由に罵ってもらって構わない。彼女に比べると基礎代謝が落ちているため、元に戻すには倍の努力が必要になるかもしれない。トホホ。


 いや、俺は別にぽっちゃりの魅力を否定するつもりはない。ぽっちゃりにはぽっちゃりなりの良さがある。

 ぽっちゃりを目指したわけでもないのにぽっちゃりに導いてしまったことが問題なのである。事実、体重の増加を気にした果雨ちゃんは、食事の量を若干セーブするようになった。しかも最近では、夜に近所でジョギングを始めたのである。

 しかし、夜中に一人歩きなんて危険な真似をさせるわけにはいかない。彼女にそう伝えたところ、同じく体重が増加傾向にある俺も一緒にジョギングさせられる羽目になってしまったのだ。とんだやぶ蛇だったが、これも自ら招いた事態。反論はできなかった。


 そんなわけで、今日は初めてのジョギングの日である。

 昔から運動が大の苦手な俺にとって、ジョギングなどは苦行でしかない。しかも今は我が人生における最高体重を記録しているのだ。年老いたメタボ体型に鞭打ってティーンエイジャーの果雨ちゃんについて行かなければならないわけで、想像するだけで気が滅入る。だが、人目の少ない時間帯に彼女を一人で外出させ、もし万が一のことがあったら、俺は自分を許せないだろう。

 然るに、残念ながらジョギングは不可避である。せめて表現を変えてどうにかテンションを上げるしかない。例えば、『初めての共同作業』とか。


 部屋着のTシャツとジャージのまま玄関の前で待っていると、果雨ちゃんは少し遅れて出てきた。


「ごめんお兄ちゃん、待った?」

「あ、いいや、全然……」


 彼女はタンクトップにホットパンツという、なかなかに刺激的な服装だった。髪はやっぱりポニーテールで、首にはタオルをかけている。一緒に走ることにしてよかった、と俺は気楽な感想を抱いた。要するに、何だかんだ言いつつも、この時はまだちょっとしたデート気分でいたのである。


 しかし、そんな淡い幻想はものの数分で砕け散った。


 若干ぽっちゃりしてきたとはいえ、若い果雨ちゃんの体力は、三十路メタボデブのそれを遥かに凌駕していたのだ。

 まともに彼女についていけたのはおそらく二、三分ぐらいのものだったはず。そこから先は、悲鳴を上げる膝と心臓との戦いだった。夜の住宅街でのジョギングはおよそ十分ほど続いたが、俺の体を突き動かしたのは、目の前で左右に振られる果雨ちゃんのおしりと、その前でぶるんぶるんと揺れているであろうCカップのおっぱいのイメージ、そして一人きりになって不審者扱いされることへの恐怖であった。


 再び我が家の玄関まで戻ってきた時、果雨ちゃんは軽く息が上がっている程度だった。


「ふう……。まあ、今日は初めてだし、これぐらいかな。本当は二十分ぐらい走った方がいいんだってね。これから一緒に頑張ろうね、お兄ちゃん」


 そう言って笑う彼女の頬を、珠のように清らかな汗が伝う。若く張りのある果雨ちゃんの肌はしっとりと濡れながら汗を弾き、水と塩化ナトリウムの化合物を芸術品へと昇華させていた。

 一方の俺はというと、膝に手をつきゼエハアと肩で大きく息をしながら、肌にねっとりと貼り付く汗の不快感に耐えるばかりだった。人間、歳は取りたくないものである。


 こうして地獄のジョギング月間は幕を開けた。明くる日も、そのまた明くる日も。

 果雨ちゃんは学校が休みの週末、友達と遊ぶ予定がない日などは昼間にジョギングをすることにしたらしい。昼間ならばまあ危険もないだろう、ともっともらしい理由をつけて俺も週末だけはジョギング地獄からは解放されることになったのだが、それにしても、この生活を続けていたら身が持たない。

 たしかにジョギングを始めてから俺も若干ズボンが緩くなったような気はする。メタボ解消が健康に資することに疑問を差し挟む余地はない。しかし、そのためにここまでぐったり疲れてしまっては本末転倒ではないだろうか。

 果雨ちゃんのダイエットに関しても懸念はある。おっぱいとは脂肪の塊であり、ダイエットの際にも真っ先に減りやすい部分だからだ。なんとか速やかに彼女のダイエットを成功させ、尚且つおっぱいは落とさないようにしたいのだが、今の状況でそれを食事で補うのはさすがに難しそうである。


 というわけで、一計を案じることにした。


 俺は再び広大なインターネットの海にダイブして、アンダーバストをシェイプアップする運動を調べ上げた。肋骨やら肩甲骨やら背中の筋肉やら、数え切れないほど多くの体操がヒットしたが、それらの具体的な内容について述べると冗長になってしまうので割愛させていただく。

 聡明なる読者諸兄が既にお察しの通り、これを果雨ちゃんにやってもらおうというわけなのだが、このページをそのまま見せてしまったのでは、これがバストアップ体操であることがバレてしまう。

 そこで俺が考えたのは、ここに書いてある図や文を少々弄って、それがさも体全体のシェイプアップ運動であるかのように見せかけ、尚且つそれをチラシ風に装飾して印刷し、それとなく彼女の目につくところに置いておく、というものである。


 今日は日曜日。果雨ちゃんは友達と遊ぶ約束があるとかで、昼過ぎから外出している。ネタを仕込むには絶好の機会だ。

 WEB上から拝借した図を見やすく配置。文章からバストに関する部分だけを削除して改変し、種々のソフトを駆使しながら折り込みチラシ風のレイアウトに仕上げてゆく。息抜きに自分でもこの体操をやってみたのだが、あまりにも馬鹿馬鹿しくなったのですぐにやめた。

 貴重な休日の半分を費やしてバストアップ体操、もといシェイプアップ体操のチラシは完成した。A4判の用紙数枚にプリントアウトしたそれを、郵便受けに押し込まれていたダイレクトメール等と一緒にそれとなく居間のテーブルの上に置いておく。あとは果雨ちゃんがこれを目にするのを待つだけだ。


 俺の休日の生活パターンは、主にゲームである。果雨ちゃんも週末は友人と遊びに行くことが多いため、俺はせいぜい食事を作って部屋に篭もってゲームをするぐらい。それでも一日はあっという間に過ぎて行き、夜になると再び襲い来る月曜の魔の手に怯えるのだ。

 だが今日に限っては、あのチラシの作戦の成否が気になってしまい、ゲームをする気分にはなれなかった。居間の隣にある台所をそわそわと歩き回りながら果雨ちゃんの帰りをひたすら待つ。いつも一瞬で過ぎてゆく週末の午後が、無限に続くかと思えるほど長く感じられた。


「ただいま~」


 果雨ちゃんが帰ってきたのは八時頃だった。夕食は友達と一緒に食べるから用意しなくていいよ、と予めLINEで連絡があって、俺は一人でインスタントラーメンの夕食を済ませていた。


「おかえり、果雨ちゃん」


 果雨ちゃんも年頃の女の子、男の存在は当然気になるところではある。今のところばっちりめかしこんで出かけたりはしていないので、そういうことはまだないと思っているのだが、どうだろうか。


「お兄ちゃんただいま。あ、晩御飯食べた?」

「ああ、うん。果雨ちゃんは何食べたの?」

「普通のファミレスだよ~。でもちょっと調子乗って食べすぎたかも。またダイエット頑張らなきゃ……」


 果雨ちゃんはそう言いながら居間に向かい、テーブルの上に仕掛けておいたチラシに目を落とす。


「ん……?」


 彼女は何通かの郵便物の中から俺が作ったチラシを拾い上げ、しげしげと眺めはじめた。


 よし。

 俺は心の中で密かにガッツポーズを作った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る