『おっぱい』とは何かという思索
俺はよく考える。
『おっぱい』とは何なのか。『おっぱい』の何がこれほどまでに人の心を捉えるのか。
改めて問う。『おっぱい』とは何であろう。
あらゆる種類の哺乳類のメスが持つ、授乳のための器官。なるほど、確かに乳房のもつ機能と役割についてのみ語るならば、それで全ての説明がなされているように思われる。
しかし、人が『おっぱい』に思いを馳せるとき、そこにはもっと浪漫だとか情緒だとか、生物学的側面からだけでは語りつくせない何かがあるはずだ。少なくとも、我々が『おっぱい』という言葉から連想するものは大抵の場合人間の女性の胸部についているそれのことであり、以後は人間の女性の乳房についてのみ言及することとする。
『乳房』。読み方は『ちぶさ』でも『にゅうぼう』でも構わない。これは、『おっぱい』のことを述べる上で最も格式ばった言葉であると言えよう。
『乳房』は大胸筋と皮膚、そしてその間に蓄えられた大量の(これには個人差がある)脂肪と、授乳器官としての乳腺及び乳輪、乳頭から構成される。母乳は母体の血液を元に生成され、乳幼児は乳頭部分を口に含みこれを吸い込むことで母体から栄養を補給することができる。『おっぱい』がしばしば母性の象徴として捉えられるのは、このためであろう。
人間が二足歩行をするようになり、視点が下半身から上半身へと上がったことによって、臀部のかわりに乳房が性的アピールの役割を果たすようになったという説もある。だが、俺はこれを疑問に思っている。性器に近い場所にある尻が性的なアピールの意味合いを持つのは論を待たないが、しかし『おっぱい』は性器ではない。大きさによって代用的な行為ができないわけではないが、それでも、尻や性器とは全く役割が違うのである。
これは、男が女体の中で性的魅力を感じる部位が、年齢が上がるにつれて乳房から尻へと緩やかに移行していくことによって暗示されているように思える。尻が露骨な性的アピールの部位であるのに対して、『おっぱい』にはもっと純粋な憧憬のニュアンスが含まれているのだ。
では、女性の胸部にあってこれらの条件を満たしていればそれは『おっぱい』と呼べるのか……?
俺の見解は些か異なる。
我々が『おっぱい』という言葉から連想するイメージは何であろう?
率直な意見をお聞かせ願いたい。あなたが今思い浮かべたのは、豊かな膨らみを持った乳房ではなかろうか。
ある層の女性に反感を買いそうな考察であることは承知の上である。しがない喪男の勝手な妄想と聞き流して頂ければ幸いだ。
すなわち、『おっぱい』に対して抱く憧憬がもし無意識下にある幼児退行への願望の発現であるとしたら、それはやはり、母乳以外に栄養の補給路を持たない乳幼児である自分へ良質な養分を豊富に与えてくれそうな、美しく豊かな乳房なのである。
無論、俺は小さな『おっぱい』の存在と魅力を否定するつもりはない。『ちっぱい』には『ちっぱい』なりの魅力があるだろう。だが、『おっぱい』の持つ魅力の根源が上記のようなものだとするならば、それは『ちっぱい』の持つ魅力とは明らかに趣が異なるものであると言わざるを得ない。
では、『おっぱい』と『ちっぱい』の間を分かつ境界線はどこにあるのか。
それは、妊娠した女性の乳房が肥大する現象を元に説明できると俺は考える。
妊娠した女性の乳房が肥大することはよく知られている。厳密に統計を取ったわけではないが、ネット上のカキコミ等を見ると(こんなことを実生活で聞いて回ったら確実に変質者扱いされてしまうため、情報の信憑性には目を瞑りつつもネット上の情報に頼らざるを得ない点ご了承願いたい)、大体2カップほど成長する女性が多いらしい。
つまりはこういうことである。女性の乳房の下限がAカップであるとすると、そこから2カップ肥大したCカップが、『おっぱい』と定義し、呼ぶことのできる最低限のラインなのだ。
あっ、やめてください! AカップとBカップの女性の皆さん、石を投げないでください! ちっぱいの存在を否定するつもりはないんです! 単なる定義の問題です!
乳幼児期にCカップ未満のおっぱいから母乳を飲んだ記憶がある者のみ俺に石を投げなさい!
……ふう。だいぶ大人しくなったようだ。とにかく、『Cカップ以上』。これが、母性の象徴となり得る、俺の考える『おっぱい』の定義である。
俺は横目で果雨ちゃんの様子を窺った。彼女は今日も居間で真面目に宿題に取り組んでいる。今日はタンクトップにショートパンツという服装。夏場ゆえ、ボディラインが非常によく視認できる。
果雨ちゃんはまだブラジャーを使っていない。何故それを知っているのかって? 女の子の箪笥を漁ったのかって?
チッチッ。想像力が足りないな。そんなことは洗濯物を見れば誰でもわかることだ。親父との二人暮らし時代から今までずっと、洗濯は俺の仕事なのである。
ブラジャーを使っていないぐらいだから、当然ながら、果雨ちゃんの胸部の膨らみは俺が提唱する『おっぱい』の定義を満たしていない。だがそれは彼女がまだ幼いからであり、食べ盛り育ち盛りである彼女には、まだまだ成長の余地が残されている。
果雨ちゃんの養育者である俺には、彼女を健やかに成長させる義務がある。だが、それだけではない。俺が彼女の養育者であるということは、俺が彼女の『おっぱい』に対する養育義務をも背負っているということである。
果雨ちゃんは今でも毎日1リットルの牛乳を飲み続けている。牛乳は体の発育に重要な役割を果たす食品であると同時に、『おっぱい』の発育にも大きな影響を及ぼすと言われている。
だが、果たしてそれだけで大丈夫だろうか。牛乳の効果が身長にばかり反映されて、乳房には何の影響も与えないということはないだろうか。
俺は俄かに不安に襲われ始めた。
牛乳だけじゃダメだ。
もっと、もっと、『おっぱい』の成長に寄与する食品を与えなければならない。
果雨ちゃんと、その未発達の乳房の養育者として。
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