彼女の脳に寄生した僕の記憶とその構造
これを他人に話すととても驚かれるのだけれど、僕は、僕の脳が何故死んでしまったのかを知らない。
僕の意識と知的活動が、麻梨丫の脳に移植された僕の記憶を元に行われていることは、既に話した通りだ。では、麻梨丫の脳に移植された僕の記憶が元々どこにあったのか。死んでしまった僕の脳から記憶を取り出すことはできないから、今彼女の脳の中にあり、僕という存在を定義している僕の記憶は、僕の脳以外の場所からコピーされた情報だということになる。
勘のいい人はきっともう気付いているだろう。答えは、僕が個人的に記憶の保存に使っていた外部ストレージだ。
人間の記憶ってやつは、意識的にも無意識的にも、自分で思っている以上によく改変されている。ここから先は若干蘊蓄っぽくなるけど、ちょっとだけ我慢してほしい。
記憶には三つのプロセスがあって、覚える段階を『記銘』、覚えておく段階を『保持』、思い出す段階を『想起』と呼ぶ。
記銘のエラーは、新しく得た情報に対する理解が間違っていたり、認知が誤っていたりした場合に起こる。覚えておくべき内容そのものがおかしいのだから、記憶が正しいわけがないってこと。
それと、脳が『これ要らねぇ』と判断した記憶は、当然ながら、長期間保持されない。記憶には『短期記憶』『長期記憶』があり、パソコンで例えると、短期記憶はメモリ、長期記憶をハードディスクといったところだろうか。長期記憶に保存されなかった記憶は、数秒から数分の間に消滅してしまうと言われている。
保持のエラー、つまり『忘却』という現象について。忘れる、というと、あたかも一度記憶したはずの情報が跡形もなく消滅してしまったかのような印象を受けるけれど、実際は、完全には失われていない。ただし、余り使われなくなった記憶に対しては、そこに至るまでのアクセス回路――ニューロンとシナプスという単語なら、誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか――がどんどん鈍っていくようになっていて、最終的には目的の情報にアクセスできなくなってしまう。その現象を、人間は『忘れた』と呼んでいるのだ。
だから、一度忘れてしまったように感じたものでも、何かのきっかけがあれば取り戻すことができる。『昔取った杵柄』という言葉があるけれど、昔覚えてから長い間使っておらず、ついには思い出せなくなってしまった知識や技術でも、ほんの少し再学習したら、意外と簡単に思い出せてしまった――そんな経験はないだろうか。記憶が完全に失われているのなら、最初に学習したのと同じだけ苦労するはずなのだが、実際にはそうならない。それこそが、忘れたと思い込んでいた記憶が実はまだ保持されていたことの証拠となる。
想起のエラーとは、長期記憶に保存された情報を思い出す際に、周囲の状況や精神状態、文脈などによって、記憶の曖昧な部分が無意識のうちに変容してしまう現象だ。誘導尋問がそのいい例で、困ったことに、質問の仕方次第で人の想起はある程度コントロールできる。はっきり覚えていないけど、何となく相手の言われた通りのような気がしてしまう……なんて時は、誤った想起をさせられている可能性が高いので、気をつけた方がいい。
さて、この記憶のスリーステップの中で、機械による補助が可能なのはもちろん『保持』である。外部ストレージに保存して管理する限り、知らず知らずのうちにアクセスできなくなる、なんてことはない。
記憶の変質が起こらないのだから、『想起』のエラーも防げるのではないか、と思うかもしれないが、外部ストレージに記憶を転送する際には一度その記憶を思い出さなければならず、転送前の記憶が既に改変されている場合は、この限りではない。つまり、外部ストレージに保存されているのは、一度何らかの手段で記憶し、それが想起されたものであって、現代のテクノロジーでは、それがなるべく損なわれないように保存しておくことしかできないのだ。
こう言うと案外不便なようにも思われるかもしれないけれど、それでも、忘れたくないことを選んで保存しておけるようになっただけでも、僕たちのQOLはかなり向上した。自分にとって大事な思い出をいつまでも鮮明に思い出せるようになったからだ。
そりゃまあ、いちいち脳を弄らなくても、携帯端末のカメラを使えば映像や音声を記録しておくことはできるけれど、記憶ってのは視覚や聴覚による情報だけではないじゃないか。例えば、今でも僕は前の彼女と付き合い始めた頃の甘酸っぱい記憶を思い出すことがあって、それは単に映像や音声だけに還元できるものではない――ああ、未練がましい男だと思われただろうな。
情報を脳に直接書き込む技術の利便性については、僕がわざわざ説明するまでもないことだと思う。年号やら英単語やら、学生の頃誰もが必死に退屈な反復学習をして頭に詰め込んできたことが、これといった努力なしで手に入るようになったのだから。
あいにく、この技術が一般的になったのは僕が成人した後だったから、僕はその恩恵にあずかることはできなかったけれど、今の学生は本当に助かっているはずだ。もちろん、一度記憶された情報がその後も変わらず保持されるかどうかは当人の努力次第だになるけれど、最低限テスト期間だけ忘れないようにしておけば、あとはどうでもでしょ、正直。え、違う?
そして、記憶を情報として保存し、情報を脳に直接書き込めるようになったからには、当然、情報として保存された記憶の脳への書き込みも可能になった……のだけれど、実際には、ほとんど行われていない。動物実験で技術的な問題は全くないことが確認されているのだが、対象が人間になると、突如として倫理的な問題が発生するわけだ。だから、脳に対する記憶の書き込みは、他に手の施しようがないような特異なケースにしか認められていない。
僕のようにね。
繰り返しになるが、現在の僕の意識は、僕が自分で記録しておいた記憶だけで構成されている。僕の脳が死んだとき、きっと何らかの事故があったのだろうとは思うけれど、それを記録する前に僕の脳が死んでしまったから、当然、その瞬間の記憶はない。別に知ろうとも思わなかったし、今でも思っていない。だって、痛いことの記憶なんて思い出したくないじゃないか。こう見えて臆病なんだよ、僕は。
ただ、僕が病院に運び込まれた時、ずっと麻梨丫が傍にいてくれたことだけは知っている。そのせいで、彼女は僕のガールフレンドと勘違いされてしまった。そして、たったそれだけのことで、彼女はこんな厄介な荷物、つまり僕を抱える羽目になったのだ。
今でも時々、
『どうして八雲の体がこんな風になってしまったか、知りたくない?』
と麻梨丫に聞かれることがあるけれど、僕はいつも断っている。世の中には、知らない方がいいことだってあるからね。すると彼女は、そう、とだけ呟いて、どこかほっとしたような表情を浮かべるのだ。
麻梨丫が僕の恋人だと名乗り出てくれなかったら、身寄りのない僕は、きっとそのまま死んでいただろう。だから、僕は彼女に頭が上がらないし、彼女のいうことなら何でも聞いてしまう。
こんな風に。
「ねえ八雲、お腹空いた」
「僕は空いてないよ」
「でも、私がお腹空いてることはわかるでしょう?」
「うん、まあ、わかっちゃうね」
「何か作って」
「何かって?」
「そんなこともわからないの?」
「そんなに便利なものじゃないってことは、君もわかっているはずだけど」
「でも、私の空腹感はちゃんとシェアされているんだよね?」
「うん、システムに異常はない。とってもお腹が空いているみたいだね」
「じゃあ、その情報を元に、私が何を食べたいか考えてよ」
「食べたいものが決まっているんだったら、直接話してくれたほうが確実なんだけど」
「何? 考えるのが面倒なの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「どうせ使うのは私の脳ミソなんだから、私が考えても八雲が考えても同じでしょ。期待してるよ、コックさん」
やれやれ。
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