手繰り寄せ
伊崎
第1話「かみさま」
この世界は、ありふれた幸せすら私から奪っていく。想いを自覚するほどに痛めつけられ、想いを伝える度に無数の棘が突き刺さる。
「
その声で名前を呼ばれると、こんなにも胸が高鳴るのに――――。
「…苗、こっちを向いて」
彼は私の名前を呼んで、苦しそうに微笑んだ。
私達の想いは、とっくの昔に通じ合っている。たとえそれが、彼の涙へと繋がってしまうのだとしても、それでも手を伸ばし続けてしまうのだ。
現実を認めたくなかったから、伝え続けた。精一杯の『好き』を唱え続けた。
「おい、もういい加減に泣くなって」
「
「…………」
彼は否定しなかった。
そのまま、私の膝の上で目を閉じる。彼の柔らかい髪の毛を撫でながら、私は頭上で花弁を散らす桜の樹を見つめた。
どれだけ願っても、私と樹は結ばれない。この樹の下で、私達はいつも涙を流してきた。
私は彼の目元に残る滴を指先で掬い上げると、笑ってみせた。目を開いた樹と視線が絡み合う。惹かれ合うように手を合わせ、そのまま握った。強く強く、花弁に掻き消されてしまわないように――――。
「もう泣かないで」
「俺はいいの。お兄ちゃんだから」
その言葉がどれだけ自分を傷つけているかもわからずに、彼は残酷に口にする。
「――――馬鹿…本当に馬鹿なんだからっ」
「ははっ」
身を起こした兄の肩に顔を埋めると、自然と抱き締めてくれる。幼い頃から知っている温もりだった。
「お兄ちゃん…生まれてきてごめんなさい」
「苗、それは言わない約束だろ」
「だって、私が妹になんて生まれてこなければ、お兄ちゃんと…」
口にしてはいけない。
その分だけ辛くなる。だが、樹は私にその言葉の続きを求めた。
「俺と…何?」
「樹…」
「言って。俺と何?」
「…お兄ちゃんと幸せになれるのに。私がお兄ちゃんを幸せにしてあげられるのに。でも、私は妹だから――――」
それが叶わないのが今の関係だ。私と彼はどうあっても兄妹だから。
「苦しませてばかりだね、私。ごめんね…許して、樹」
幸せにしてあげられないのに、好きになってしまってごめんなさい。そんな思いで樹の瞳を見つめると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「違う。違うよ、苗。全部俺が悪いんだ。俺が最初に好きになったんだから」
「悪いだなんて言わないで!」
「…………」
落ち着けと言わんばかりに、樹は私の頭を撫でた。
「ある程度の幸せでよかったんだよ。苗を見守り続けることが出来れば、それでよかったはずなのに…欲が出てしまったんだ。悪いお兄ちゃんでごめんね」
樹は全て背負う気だ。私の人生をその背に全て――――。私も彼も報われない恋を抱えて、この先も生きていくのだろう。
「私は生まれる前からお兄ちゃんが大好きだったんだよ。だから、悪いのは私」
「苗…」
誰が悪いとか、何が始まりだったとか、もう今更関係ない。私はこの想いを疑ったりなどしないから。
「私ね、神様は恨まないって決めてるんだ。たとえ兄妹でも樹と出会えたから」
そう言って笑った私の肩に、樹の手ではない誰かの手が置かれた。
「じゃーあ! 僕が手伝ってあげるよっ」
「…! だ、誰!?」
振り返った先にいたのは、黒い髪と金色の瞳をした少年だった。歪に唇を歪めるその表情が目に焼きついていく。
「苗っ」
「樹…!」
樹の焦ったような声と共に腕を引かれた。少年との間に十分な距離が空く。
「妹に気安く触るな」
「急に何するのさー!」
「ここは俺達の家だ。どうやって入った?」
「てゆうか、そんなことよりも君達に聞きたいことがあるんだけどぉ」
間延びした喋り方で、彼は私達に詰め寄ってくる。どこか人間離れしている彼から私を守ろうと、樹は私の体を包み込むように抱き締めた。
「私達に何の用なの?」
「ねえ、君達って愛し合っちゃってるわけぇ?」
「なっ…!」
少年は馬鹿にするように私と樹を見比べながら、そう尋ねてきた。私が声を荒げる前に、樹が静かに答える。
「そうだよ。俺はこの子が好き」
「ちょっと樹! こんな怪しい奴に何で答えるの!?」
「苗は?」
「…っ、ねえ…どうしちゃったの? お兄ちゃん…」
「答えて」
切なげな声で急かされる。私は半ば投げやりで答えた。
「私も…私も好きだよっ」
私達の答えを聞いて満足したのか、少年は大きく頷いた。
「妹を愛した兄と、兄に恋した妹か。君達、実の兄妹なのにね? 禁断の関係ってやつ?」
「いきなり現れて何勝手なことを…!」
「でもさぁ、禁断とかって、誰が決めたの?」
私は固まる。
それは決まっていたことだ。私達が結ばれないと、そう決めたのは他でもない。
「『神様』……」
私がそう呟くと、少年は手を上げた。
「そうだね。だから、神の僕が手伝ってあげるよ。君達の運命を僕が切り開く」
地面に落ちた花弁を踏み潰しながら、少年はそう口にした。
「――――その代わり、懸けてもらうよ。君達の想いをね」
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