第6話 紅葉散りて
最近出番が少ない綾愛です。家では未雪とオヤジがラブラブで、ハートを飛ばしまくってます……
私はというと居場所をなくして、もっぱら社務所に立てこもってる次第で……
「綾愛、いるか?」
珍しくアニキが青あざだらけで社務所にやってきた。
「何、アニキ」
「背中に湿布貼ってくれないか」
「うん」
最近アニキは心を入れ替えたかのように毎日人丸様調伏に励んでいる。
私の家は神社だ。それも人食い鬼、人丸を封じた神社と言われている。アニキは次代の神官で、毎日神社の裏山に登って、人丸様調伏をしているのだ。
毎日調伏しないとえらい目に会うというのが、オヤジの言なのだが……えらい目が一体何なのか、私は教えてもらったことがない。
アニキの背中は青あざがたくさんついている。肌色が見えなくなるほど全面湿布で覆い尽くした。
「ねぇ、アニキ。裏山でこんなになるほど、一体だれと格闘してんの?」
私は今まで不思議に思っていたことを口にする。
「んー……そのうちな」
オヤジと変わらない。子どもを産んだらとか、いつかとか……そう言ってはぐらかされてしまう。
「ケチンボ」
「ケチじゃないよ」
アニキが呆れて言う。
「最近、副業は全然してないの?」
私は気になっていたもう一つのことを聞いた。アニキは古物などいわくつきのものをお祓いしたり、それが活かせる環境に斡旋したりする変わった仕事をしている。
もとは未雪が問題のあるアンティークやごみを家に持ち込んだことから始まった。どんどん蔵の二階にたまって行くそれらを見ていて、アニキは今の仕事を思いついたのかもしれない。
「気になるのか? 今日この後、クライアントの家に行くけど、ついてくるか?」
「一緒に行っていいの?」
というわけで、アシスタントという名目で私もアニキについていくことになった。
アニキのポンコツ車に揺られて、約二時間。
超がつくド田舎に連れてこられた。車はどでかい門をもつ地元の有力者の屋敷の前に停まる。高い塀越しから蔵が三つもあるのが見えるし、その塀自体が長い。
通された玄関も、寺の本殿くらいにでかい。つーか、家じゃない。御殿だ。田舎御殿とひそかに名付けよう。
お手伝いの女性に案内されて通された部屋に、和装の狸、もといご主人がいた。
でっぷりと太った主人は、もう秋も深く間もなく冬だというのに、扇子でせわしなく自分の顔を扇いでいる。
それより私の目が釘付けになったのはその和室のふすまだ。ただ圧巻としか言いようのない水墨画が、部屋の四面にわたって描かれている。
私の目線に気付いた主人は嬉しそうに言った。
「どうだ、すごいだろう。狩野派の作品だよ。京都から無理言って買い取ったんだ」
何となく下品な笑い方をする。本当に無理言ったんだろうなと思わせる笑い方だ。
「で、問題はこのふすまじゃない。狩野派は狩野派だが、作者不明のがもう一つあってな。変わってるんで買い取ったんだが……」
と言って案内された部屋は庭というか屋敷の裏に位置していて、私的な部屋らしく、縁側の目の前に鶏小屋がある。その縁側の真向かいに位置するふすまに、花鳥画が描かれているのだが、なんだかおかしい。
おそらくクヌギの木だろうか……小さな実がなっている枝と幹の間に鳥ではなくて別の生き物がいる。
「変わってますね」
アニキが開口一番そんな感想を漏らす。
「鳥じゃなくて栗鼠が書かれてるだろう」
鼠じゃないんだ……間違えた。
「いえ、栗鼠じゃないですね、ムササビじゃないですか?」
「ムササビ?」
アニキは『ムササビ』を指差す。確かに胴の脇辺りの皮がたるんでいる。
「栗鼠だろうが、ムササビだろうが、そんなのはどうでもいいんだ」
主人はバツが悪くなったみたいで、咳払いしてごまかした。
「問題はこれだ」
指差した先に小さな紅葉がひとひらついている。ああ、違和感はこれだ。水墨画に唯一の紅一点。
「先日、家の庭先で鶏が大量に殺された。その時につけられた」
鶏たくさん殺されちゃったんだ。
「そいつはこともあろうか、家屋にまで侵入してこのありさまだ。おかげでこのふすま絵に価値がなくなってしまった」
そっちか! 狸おやじ!
「それで、犯人を探したいというわけなんですね」
「それだけじゃない。この部屋は家族が使ってるんだが、寝ていると息ができなくなるらしい。それもこのふすまを買ってきて以来だと言われた」
「ふむ」
それで一体どうしたいのかわからないけど、狸おやじは腹にすえかねるのか、アニキ相手に愚痴り始めた。
アニキも慣れたもので、ふんふんうなづきながら、相槌を打っている。
結局、その夜、ここでひと晩泊ることになったのだった。
豪華な食事で接待された後、広いお風呂をいただいて、まるで旅館に泊ってるかのような気分だ。こんなことなら何度でもアシスタントしてもいい、なんて優雅な気分に浸っていると、アニキが笑いながら言った。
「のんびり構えてると、鼻をかじられるぞ」
アニキは狸おやじにさっき何か頼んでいた。なにを頼んでいたのか聞いてみた。
「肉。何でもいいからって言っておいた、まぁ、あてずっぽうだからさすがにこれでおびき出せるかは謎だがね」
なにをおびき出すんだろう?
「説明してくれないと意味がわかんないよ」
「簡単だ。まず、襲われた鶏。ふすまのムササビ。ふすまにつけられた手形。寝ていると息ができなくなる」
アニキはにやりと笑う。
「推測一、狐か野犬の仕業。推測二、人間の仕業。推測三、ふすまのムササビの仕業」
「野犬?」
「ブー。おまえは何回俺の仕事見てきたんだ」
アニキはあきれ顔で私を見る。そんなこと言ったって、わたしは怖いものが大嫌いなの!
とか何とか騒いでいると、お手伝いさんが肉の入ったタッパーとおそらくアニキが指定した半紙が持ってこられた。
アニキはタッパ—のふたを開ける。
「鹿肉だそうです」
お手伝いさんはそう言い残して部屋を出て行った。
「ふむふむ、百々獣爺(ももんじい)ね。ちょうどいい」
「百々獣爺ってなに?」
「獣一般を精肉したものを江戸時代くらいに百々獣爺と言ってたんだ」
「へぇ」
さて、布団を敷いてもらって電気も消された。
電気を消す前に、アニキは肉のタッパ—を台に載せ、その前に半紙を広げておいた。なんだかあっけない。もっと手の込んだことをするんだと思った。
「そんな必要はないな」
そう言うとアニキはさっさと寝てしまった。
あたしも久しぶりに未雪のいない時間が過ごせてリラックスしたのか、すぐに眠気に襲われ、意識を失った。
「綾愛ちゃん。キスしよう!」
未雪の顔がすでに眼前に迫っている。なにを言ってるバカ女!
「帰れ!」
うぷぷぷぷぷ。
息が……息ができない! 未雪は熱烈なキスを私にかまし続ける。
私は猛烈に苦しくて腕を振り回した。
「綾愛、綾愛!」
ハッと目を覚ますとアニキが耳元で私に話しかけている。枕が私の鼻や口をふさいでいたようだ。良かった……夢か……
「来たぞ」
「?」
耳を澄ますと、何やらがさごそ音がする。例の肉のタッパ—のほうからだ。
ゴキブリ?
「例のあれだ」
例の……ふすまのムササビ? うそだ。信じないぞ! 絵が飛び出すわけないもん! 3Dじゃあるまいし!
「部屋を暗くしたのはお前に見せたくないからだ」
「なにを——」
ぐぐぐぐ。
アニキが唸り声を押し殺す。何やら苦しそうだ。真っ暗で何も分からないけど、何か我慢してることは確かだった。
その間もカサカサとタッパ—のあたりで音は続く。
「いまだ!」
アニキが雄叫びをあげた。
ばしぃーん!
何かを叩きつぶした音が響く。
叩き潰したの……? いやだぁ。
「電気つけろ、綾愛」
私は半泣きで電気をつけた。どちらかという血みどろの惨劇を思い浮かべていたけど、なんということはない。半紙の下で見事にタッパ—がつぶれていただけだった。
「で、これが犯人と?」
「そうです」
夜中にたたき起された狸おやじは、半信半疑でアニキを見やった。
半紙にはおびえるムササビが描かれている。例のクヌギの木につかまっていたムササビはいなくなっていた。
それを見ると、さすがに疑り深い狸おやじも認めざるをえないようだった。
「どういうことか、説明してくれ」
そう、わたしもそれが聞きたい。
これはムササビというものではない。百々爺(ももんじい)という妖怪変化だ。
どういった経緯で描かれた獣が妖怪になったかは知らないが、おそらく秘密はふすまにあるだろう。一度業者にふすまの中に使われている雁皮紙を調べてもらった方がいい。
アニキはこれだけ説明すると、さてもう一回ゆっくり寝るかなどと考えていた私の腕を引っ張って、「帰るぞ」と無情なことを告げた。
ポンコツ車を走らせているアニキに私はもう一度訊ねてみた。
「アニキはどの時点でわかってたの」
「うーん、息が詰まるって話のあたりかな。ふすまだし、あの絵だから、まさか野衾(のぶすま)なんてことはないよな、なんて思ったが、駄洒落の効いた作者だった、うん」
「野衾?」
「百々爺の別名だよ」
ところで、後日狸おやじからの連絡で、狩野派は偽物だったことと、水墨画の下の紙に明治時代初期のももんじい屋の瓦版がびっしり貼られていたことがわかった。
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