第5話 ほほほほーたるこい
境内の御神木からジワジワとかミーンミーンと蝉の声が騒々しく聞こえてくる。
およそ五百年くらいのイチョウの大木だ。でこぼこした枝や幹から鍾乳石のようなでっぱりが垂れている。
夜暗い中で見るとかなり不気味だ。あまり夜の境内に出たりしたくない。
幸い今は昼前でお客さんもいない。何をするとでもなく、私、人丸綾愛はそのイチョウの木を眺めていた。
夏休みに入り、巫女以外にすることもなく、ぼんやりと社務所の受付から外を見ている。
私の家は神社だ。人丸という鬼を封じている。といっても悪霊をお祓いするわけでもなく、そこら辺にあるごくふつうの神社だ。
由緒正しいのかどうかはわからないが、わりに古い家柄と聞いている。実際に見せてもらったわけではないが、平安時代にまで縁起が遡る。
ご先祖が人丸という人喰い鬼を裏山の岩の中に封じ込め、代々の神主がその調伏を続けている。
神主になるのは長女長男というわけではない。たまたま私の場合はアニキがあとを継ぐ。オヤジの前はばあちゃんが神主の代わりの巫女だった。どういう基準で選んでいるのか教えてもらったことがない。というか教えてくれない。
とにかく、私はお気楽に家業のお手伝いをしていればいい身分だ。そのはずなんだ。
「綾愛ちゃ〜ん、ごはんですぅ〜」
社務所の奥から幼馴染の未雪の声がする。
説明しなかったが、さっきからものすごく美味そうなシチューの匂いが社務所の中に蔓延している。作ったのが未雪でなかったら、すぐさまつまみ食いをしに行っているところだが、相手は未雪だ。顔を合わせたくない。
「あ、や、め、ちゃ〜ん。さめちゃいますよぉ〜」
ヤダなぁ、なんで夏休みになっても、学校以外でアイツと顔を合わせにゃならんのだ。
私がブツブツ文句をつぶやいてると、がらっと後ろの引き戸が開き、ドスドスという足音が聞こえた。
背後にでかい影が立つ。いきなり首根っこをつかまれて立たせられた。
「メシだ、こい」
オヤジの毛むくじゃらが私の服の襟をつかみ、有無を言わせずズルズルと食堂に連れていった。
台所兼食堂にはお玉を振りかざすエプロン姿の未雪がいた。とっさにいつもの癖で私は叫びそうになってやめた。
「かえ……、頭どうしたの?」
未雪の頭が包帯に巻かれ、天パーの茶髪が半分隠れている。
未雪は包帯を巻いてる割には機嫌良さそうに、お玉を私に向けていった。
「そうなんですぅ〜、ご飯食べたら聞いてくれますかぁ〜?」
「やだ」
思わず即答したが、テーブルに並べられたホワイトシチューとポテトサラダを見ると、急にお腹が鳴り出した。
「お腹は正直です。ささ、食べたらあたしの話を聞いてくださいね」
半分納得いかない気分だったが、背に腹は変えられない。勧められるままに自分の席に付いた。
「ん?」
私はアニキを見た。今日は特にひどく青アザだらけだ。
「アニキもいい加減オヤジの跡を継いだらいいのに」
別にアオタンを作っていてもアニキは悪びれてはいない。私を見て肩をすくめる。
「逆らっても逆らわなくても結局こういう目に合うんだよ。ま、人丸家の運命だな」
「ふーん」
父息子で取っ組み合うのは一族の血なのか? これまた納得いかず、私はホワイトシチューをほうばった。
「うまい!」
いきなりオヤジが叫ぶ。
「うふふふ〜、ありがとうございますぅ〜」
未雪がおやじの褒め言葉に照れ笑いを浮かべている。夏休みに入ってほぼ毎日昼飯を作りにくる。その甲斐甲斐しさはもうこの家に嫁に来たみたいな勢いだが、こんな母親は願い下げだ。だれが自分と同い年の母親をお母さんと呼べるか。ていうかオヤジが犯罪者になる。アニキも年下の母は抵抗があるだろう。
「いいお嫁さんになれるな〜」
「いや〜ん、おじ様ったら〜」
私の目の前でじゃれあうんじゃない。オヤジもなんだかでれでれしてやがる。みっともない。私がものすごい目つきで睨みつけると、未雪がこちらを見て心配そうな顔をした。
「美味しくないですかぁ〜?」
グーに握った両手を顔の下に持ってきてうるうるした目で私を見る。うざい。が、まずいわけではないので、しぶしぶ答える。
「おいしい……」
「よかったですぅ〜」
そうなのだ。未雪は超料理が上手だ。私が作れるものは焼き魚と味噌汁くらいだが、ヤツは和食洋食とジャンル問わずにいろいろと作ってくれる。この間はローストビーフ、スコッチエッグなるものを作ってくれた。要するに牛肉のタタキの塊とハンバーグの中にゆで卵が入った料理なのだが、うまかった。ビーフストロガノフなるものを作った日はオヤジが六杯くらいお代わりしていた。
オヤジはマジでこいつと結婚したいのか、疑ってしまう。
昼ごはんを終え、私は逃げるようにそそくさと社務所の受付に行こうとした。そこを未雪がむんずと私のたもとをつかむ。
「あたしの話、聞いてください!」
いつになく強気だ。
「やだ」
どうせろくなものを持ってきていないはずだ。その上で話をする気だ。私はいつでも「ノー」と言えるように身構えた。
「この間、デートしたんですぅ」
意外な言葉に私は肩の力を抜いた。
「へ? だれと?」
「ないしょです」
なんとなく嬉しそうに未雪は言った。そのまま私は再びテーブルに付き、ヤツの話を聞くことになった。
デート先はフリマ。要するに不要物や骨董品、自作のものを売る出店だ。二人で出店を見て回って、楽しいデートをしていた。
するとあるお店で可愛い帽子を見つけた。未雪が気に入ってかぶってみせると、彼も似あうと言ってくれて買ってくれたのだ。
これがその帽子、と未雪が薄いグレイの花のコサージュのついた麦わら帽子を取り出した。
「ん、ちょっとまて?」
私は悪い予感がして言った。
「デートの話じゃないの? なんで帽子だしてくんの?」
「それなんです!」
「どれなんだよ!?」
話が見えない。デートの自慢からなんで帽子なんだ。
「これ」
未雪は自分の頭を指さした。
「頭悪いよね」
「そっちじゃなくて! このケガ、帽子のせいなんです!」
「……」
よく分からない。やっぱり頭の悪い話し方だ。
「この帽子、頭をかじるんです!」
……
「は?」
理解できない。帽子が頭をかじる。全く現実的じゃない。
「あのですね」
未雪は神妙な顔つきで話しだした。
未雪は買ってもらった帽子を、彼を喜ばすために早速被った。夏の日差しを遮り、かぶり心地も柔らかく、風通しもいい。とても気に入った。
しかし、しばらくしていきなりガツンとした激痛が頭に走った。殴られたのとは違う。彼の手は肩にあるし、まわりにも人はいなかった。デートの最中もあり、未雪はそれを我慢した。
一定時間をおいて何度も何度もガツンガツンという痛みが頭に走る。終いにはなにか鈍いものが頭の皮膚に食い込むような痛みに変わり、頭痛までし始めた。
すると、彼が大声を上げ、自分が頭から出血していることに気づいたというのだ。
ていうか、脱げ。
「せっかく買ってもらったのに、かぶらなかったら悪いじゃないですかぁ」
「いや、正直、痛かったら脱げ」
「ぶ〜、綾愛ちゃんも好きな人ができたら、あたしの気持ちがわかると思います!」
「偉そうに言うな!」
ていうか、羨ましくなんかないぞ!
私は何の変哲もない麦わら帽子を受け取った。手触りが心なしか麦わらっぽくない。しかし布で出来ているわけでもない。軽くて、しなやかだ。よくよく見ると、薄い灰色はいろいろな色がつぶつぶと浮き出て、そう見えるような感じだと気づいた。小さな毛羽立ち方を見ていて、これが不綿織でできた帽子だと思った。
「これって紙でできた帽子なんじゃない?」
「紙?」
私の言葉に未雪が不思議そうな顔をしたが、なにか思い当たることがあったようだ。
「そういえば、買った時、おばさんがハンドメイドクラフトだって言ってました」
そのことがわかったからといって、何かがわかるわけではない。私は何気なく帽子を被った。
「お、いい感じ」
「うふふ、綾愛ちゃんにはお花よりもっとボーイッシュなのが似合いますぅ〜」
「うるさい!」
未雪は余計なことしか言わない。私はどんな感じに見えるか、洗面所の鏡で観てみようと立ち上がった。
とたん!
いきなり頭に鋭い衝撃が走った。
「いだぁあああ!!」
あまりの痛さに私は帽子を鷲掴みにしてもぎ取り、しゃがみこんだ。アニキとオヤジが私の叫び声に驚いてリビングから駆けつけてくる。
「どうした、綾愛!?」
アニキが駆け寄ってきて言った。
「いたぁ〜」
私は涙目で、頭を抑えた。手に持った帽子を見る。やはり普通の帽子だ。
気づけば、未雪とオヤジが神妙な顔つきで顔を見合わせている。
「血が……」
アニキがそっと私の額をぬぐった。その指先に真っ赤な液体で汚れている。
ふぎゃ……なんてこと……
私はあまりのショックに帽子を投げ捨てた。
「あ、ひどいですぅ」
未雪が床に落ちた帽子を拾う。
「酷いもなにも、そんな気味の悪いもん捨てろ!」
「いやです!」
「頭に怪我するような帽子、役に立たないだろ!」
「大好きな人が買ってくれたものを捨てるわけには行きません!!」
うおっ、コヤツ、だんだんとしぶとくなってきやがる。
「うぉっほん」
いきなりオヤジが咳払いした。
「まぁ、捨てる捨てないは別にして、綾愛、頭をみてやろう。おいで」
私はリビングのソファに座って、オヤジに頭を看てもらった。幸い傷は浅いようで、すぐにかさぶたができたようだった。
アニキが未雪の帽子を手にとってまじまじと見つめている。ひっくり返して裏側を調べている。
「未雪ちゃん、これ、ちょっと調べたいんだけど、いいかな?」
「え? いいですけどぉ……どうするんですか?」
丁寧に編み込まれた麦わら帽子は、今やアニキの手によって何本もの紙縒りに分解されていた。
未雪が呆然と眺めている。自分の大切な麦わら帽子の末路を理解したのか、「ふにゃ〜」と情けない顔をしている。
それを見たオヤジが、代わりの帽子を買ってあげようと未雪に話しかけているのが気になった。
私はアニキを見た。アニキはにやにやしながら、顎を手でしごいている。
どうやらアニキにはこの帽子がなんなのかわかっているようだ。
紙縒りは丁寧に広げられた。よく見るとその表面になにか描かれているのか線が見える。
「これ、なに?」
私が訊ねると、アニキはにやりと笑った。
「和紙だ、何かの絵だと思う。綾愛、パズルは得意か?」
というわけで、私は夕方までかけて細長いテープ状に切られた和紙を、あれこれとつなげて一枚の絵を作り上げた。
それは、作るんじゃなかったと後悔しそうな不気味な絵だった。
ざんばらの髪の痩せさらばえた女。風貌は骸骨然としていて、浴衣の胸元ははだけ、はだけた胸にはあばらが浮いている。女とわかるのはそのあばらにうっすらと乳房が描かれているからだ。
目玉がぎょろりと向かれ、上に伸ばされた両腕は筋張り、何かをつかもうとしている。一番不気味なのは、その骸骨然とした口元にずらりと並んだお歯黒を塗った巨大な歯だった。
幽霊なのか、妖怪なのか、全くわからないが、私はなんなのか知りたくもない。
「ふ、ふ、ふ」
アニキが勝ち誇ったように笑う。
「なに?」
気持ち悪いなと思いながらアニキを見ると、実はと話しだした。
速真は古物商を通していろいろと知り合いが多い。もちろん怪しげなものを扱う好事家が大多数だ。
怪しげな品物の怪しげな現象を封じる仕事をしているらしいが、たいてい未雪の持ってきた品物が役に立っている。
ある時、幽霊画を好んで集めている蒐集家に相談を持ちかけられた。
「なあ、人丸さん。あんた、掛け軸の中から幽霊が消えるなんてこと、あると思うか?」
「どうしたんです?」
「うん、実は先日、バカ息子が小遣い稼ぎをしようと思ったのか、掛け軸に細工をしてね、幽霊だけ抜き取ったんだよ」
「そんなことできるんですか」
「いやね、息子は掛け軸の和紙は薄くそいだけど、幽霊だけそいだ覚えはないっていうんだよ」
「どういうことです」
好事家は古物商の店の片隅の椅子に腰をおろして、店員の出してくれた濃い茶をすすった。
「あんた知ってるかな、和紙ってのは薄い紙の繊維を何枚も重ねて固めてるんだ。墨なんかで和紙に絵を描くとその髪全部に同じように墨がにじむ。まあ、三枚くらいが限度って聞いたことがある。うまいことするとな、おんなじ絵を3枚作ることができるんだよ。バカ息子はそれを専門家に頼んでやってもらったっていうんだ」
「はあ」
「でもその専門家はへたくそだ。幽霊を消しやがって!」
とにもかくにも三度の飯より幽霊画の好きな好事家は毒づいた。
「でも息子さんは幽霊を削ってないと言ったんですよね?」
「うむ。幽霊は確かに削ってないと言ってたな」
「ふむ……ところで、複製した絵画はどこに売られたんですか?」
「ああ、それは聞きだしたよ。〇×町の古物商らしい。たった百万ぽっちで売ったらしいよ。あ〜くそ〜幽霊〜」
速真はその情報を頼りに〇×町の古物商に赴いた。
「ああ、あの気味悪い掛け軸ですか」
やはり珍しいものだけあって記憶に焼きつくようだ。若い古物商店長は、その掛け軸をある壮年の男に売ったと言った。幽霊の掛け軸を買うだけあって変わったものを収集するのが好きらしい。案外顔なじみで、住所と名前を教えてくれた。
早速、件の男の家を訪れた速真は意外なことを聞く。
「主人の趣味でしょう? は〜……私は嫌なんです。それで、こっそり、おばあちゃんにあの絵を上げたんです。和紙がほしいって言ってたから」
「和紙?」
「ええ、趣味で和紙のクラフトを作ってるんです。上手なんですよ」
速真は話し終えて、テーブルの上のつなぎ合わせた幽霊の絵を眺める。
「さて、これを元の鞘に戻しますか」
「どうするの?」
私は不思議に思って訊ねた。
「元の掛け軸のところに持っていくだけだよ」
「ふ〜ん」
私はアニキの眺める幽霊の絵を見つめる。こんな薄気味悪い絵を大好きな人がいるんだな……しかもこの歯! なんでこんなにでかいんだ。
まるで私の考えを読んだかのようにアニキが言った。
「これで人間の頭じゃなくて絵の中の髑髏を齧ってくれるようになるだろう」
速真はセロハンテープでつなぎ合わせた幽霊画を蒐集家に渡した。蒐集家はつぎはぎだらけの絵を複雑そうな顔で手に持って眺めている。
「これを掛け軸の下に置いておけば、幽霊は帰ってきますよ」
「う〜ん……これを掛け軸に貼るのかね?」
「いいえ、置くだけでいいんですよ。また明日」
速真はそれだけ言うと、蒐集家に別れを告げた。
翌朝、驚いた声で蒐集家からアニキに電話があったという。
「人丸君、幽霊が戻ってきたよ! それにしても、なぜ幽霊は消えたのかねぇ」
アニキはこう答えたらしい。
「ほら、あちらの水は甘いぞって言うじゃないですか」
私の家は神社をしている。人食い鬼を封じて祀っているが関係者に特殊能力はない、はずだ。
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