第4話 三足の沓

「どもども〜、速真ちゃん、今日はよろしくね〜」

 軽い感じで、長髪に顎ひげを生やしたアンティークショップの店長は、カウンター越しに速真に声をかけた。

「おう、任せとけ」

 速真も軽い調子で答える。ここ、アンティークショップ・レジェンドは速真のなじみでもある。過去に何度もいわくつきの古物を引き取ってもらったこともある。非常にお得意さまなのだ。

 いつもならこの時間は人丸神社の御祭神、人丸様の調伏の時間である。しかし、最近の速真はさぼりがちで、オヤジ殿から始終プロレス技をかけられている。だいたい今時調伏など時代遅れも甚だしい。実際に鬼が裏山に閉じ込められているかどうかもあやしいものだ。速真はそう言ったことをまるっきり信じようとせず、自分はいわくつき古物のお祓いを進んでやっている変わりものだったりする。

 今日も今日とて、なじみの古物商の店で留守番だ。

 留守番といってもあまりすることはない。午前中の早い時間に派手目の服をきた女が本人に似合わない天体模型を持ってきたくらいか。その数も相当なもので、五つ六つではない。おそらく乗ってきたバンの後部座席とトランクはすべて天体模型だったに違いない。買い取っても二束三文だと告げると、女は引き取れと言ってそのまま帰ってしまった。

 あまり価値があるようなものではないが、適当な値段をつけて、それらをすべて倉庫に運び入れたのが先ほどのことだ。

 アンティークショップの午後は長い。

 もともとこう言った店はなじみの客で成り立っている。たいていは注文を受けてから現物を探す。ネットワークもしっかりしてるから、どこのだれがどんなものを持ってると言った情報も手に取るように分かる。横のつながりは野太く、その代わり上客の情報の窓口は狭い。それは商売といったところか。それでも、とんでもないところからとんでもない一品が手に入るため、いつでも駆けつけられるようにしておいた方がいいのも、この業界である。

 それで、レジェンドの店長は信用のおける、業界では気のいい蝙蝠とまで言われる速真に留守を任せたのだった。

 いい品物買い取ってきたらいいな〜、そんでもって俺に仕事が来たらなおいいな〜。

 などと夢想している時、いきなり店の火事警報機が鳴りだした!

 速真は飛び起きると店内を見回す。火の気はない。慌てて警報機の電盤を見に行くと倉庫の警報が鳴っているようだった。急いで消火器を担ぎ、駆け足で倉庫に向かった。とはいっても廊下を隔てて十メートルも離れていない。

 急いでドアを開けるともうもうと煙が立ち込めている。

 個人では消せないと判断した速真は急いで一一九番に連絡を入れた。


 それからが大変だった。古物のほとんどが放水で濡れ、一部が焼けてしまった。無事だったのは手前の古物くらい。黒焦げになった中から傷一つなく出てきたのは、一幅の掛け軸と三足の沓(くつ)、そして天体模型が一個だった。

 レジェンドの店主は泣きの涙で説明を求めたが、速真に説明できるはずもなく、事情聴取に来た警察に反対に犯人扱いされた揚句、留置所に入れられてしまった。

 結局火元は速真でもとどかないような高さから発火したものと判断され、何か古物の中に揮発性の材料を使っているものがあり、熱によって自然発火したとされた。

 夜遅くに速真は釈放されたが、速真にとってこのことは屈辱以外の何物でもなかった。

 悔しくて悔しくて、やけっぱちになってそばのカーブミラーを殴ったら、グンニャリと曲がってしまったほどだ。

 



 さて、一方こちらはお昼間の人丸神社の様子である。

 私は綾愛、人丸神社のひとり娘である。先ほどの話に出てきた男は私の兄の速真。結局警察から連絡があってから一度もアニキは帰ってこなかった。そのことで、オヤジがすこぶる機嫌が悪い。さっきから人丸様が人丸様がと、ブツブツつぶやいている。それだけでも憂鬱なのに、もう一つ憂鬱な種がある。

 未雪だ!

 家に帰ってすればいいのに、なぜかリビングのソファに腰掛けて、ブライダル情報誌なんか見やってため息ついてやがる。

「かえれ! 今すぐかえれ!」

「はぁ〜」

 無視か! この家の住人に対する態度か!

「そんなもん、家で読め!」

「おじさまの意見も聞かないといけないのに、あたしの家で読めません〜、ねぇ、おじさま」

「うんうん、未雪ちゃんの好きなものにしていいからね」

 つーか、そんな返事しかしないオヤジになんの意見を求めてるんだ、未雪!

「やっぱり神前婚ですよねぇ。おじ様は神官ですしぃ」

「うんうん、そうだね」

「でもあたし、このドレス着てみたいな」

「うんうん、きっと似合うよ」

 ぐっは〜! きいてられねぇ! ていうか、オヤジいなくてもいいじゃん! オヤジの顔が今にもとけそうなくらいに緩み切ってるのが気色悪い!

「それよりオヤジは昨日からアニキが帰ってこないのが気になんないの?」

 私は鋭くそう切り込んでみた。さすがにオヤジもぐっと黙り込む。

「そうですねぇ、でも速真さんはもう大人です。大人の意思を尊重したほうがいいのです」

「おまえは子供だろうが!」

 そう言って未雪の後頭部にチョップを食らわした。

「痛いですぅ〜。乱暴はいけないのです!」

 最近見なかったアヒル口で、未雪が文句を言う。

「痛かったねぇ」

 などとオヤジが未雪の頭をガッシガシ撫でさすっている。むしろ、そっちのほうが頭がぐらんぐらんして痛そうだ。

 結局アニキは警察の電話から丸一日帰ってこなかったわけだ。




 一方速真は、今回の濡れ衣を晴らすべく、レジェンドを訪れた。さすがに向こうも白星の速真を疑ったことが後ろめたかったのか、すんなり店の中に入れてくれた。

「必ず真犯人をとっ捕まえてやる」

「お手を柔らかに頼むよう」

 証拠は燃えかすの中で何事もなかった三つの品物。

 もう一度検分する。

 一つ目は、白鴉が舞う掛け軸。構図的に何かが大きく描かれていたように思える。白鴉は小さくかなたを飛んでいる。

 二つ目は、鋼鉄製の小さなおもちゃの沓。沓というだけあり、現在の靴とは少し違う。先がとんがっており、纏足の沓のようだ。

 三つ目は、黒い鴉のイラストがついた天体模型。これといって特徴はない。黒い鴉のカタチからして陸上自衛隊中央情報部のマークに似ているともいえる。確かモデルは八咫烏だった気がする。

 それらを観察した後、倉庫に置く。速真は倉庫の片隅を陣取り、張り込むことにした。午前午後と何事もなく過ぎていくかと思ったのだが、倉庫の中から、どこからともなく「かぁ、かぁ」という鳴き声が響いた。

 さすがに退屈し転寝していた速真は驚いて飛び起きる。倉庫中に視線を巡らすが、声の主は見つからない。

 しかし確かに存在する。羽ばたきと、鳴き声。何度となく響く。それは、倉庫中を飛び回っているようだった。

 速真はいつになく頭に血が上ってきた。この鴉のせいで自分が犯人扱いされたのだと思うと、怒りで目がくらんだ。

「まて!」

 怒声を上げ、梱包された古物の上に飛び乗る。ガタガタと速真の重さに耐えられず、古物の山が崩れていく。

「まて! 馬鹿ガラス!」

 バサバサ かぁかぁ

「こんちくしょう!」

 ばさささ かぁかぁ

 あまりの大騒ぎに店頭に出ていた店主が心配で見に来ると、やっと整理した古物がめちゃくちゃになっているうえ、速真が目に見えないなにものかを追いかけているではないか。

「やめてぇ、速真ちゃん〜」

 必死の店主の叫びも届かず、ますますひどくなっていく。とうとう店主も堪忍袋の緒が切れて、再度一一九番通報と相成った。

 

「で、オヤジ殿ですか……」

「ばっかも〜ん!! オヤジ殿じゃない!」

 アニキは警察より恐ろしいオヤジの罵声を頭から浴びながら、首をすくめた。だいたい親父の声って脳髄に響くんだよ。これが大音量ともなれば鼓膜が簡単に破れそうなくらい、凶器になれるんだよね。

 私は耳を両指でふさいだまま憐みの目でアニキを見た。

 あまりのオヤジの怒りように反対に警察のほうがアニキをかばったくらいだ。

「それにいわんこっちゃない! 速真! 自分の頭に手を置いて考えろ!」

 それ言うなら、オヤジ、胸じゃないの!? 

 でもアニキは言われた通りにしてはっとした顔になった。

「どういうことなんだ……」

 なんだか茫然自失してる。どうしたの?

「アニキ……?」

「みろ、人丸様の調伏は絶対に必要なんだ。思い当たる節はないか? 性格が変わったり、乱暴になったり……このまま放っておいてみろ、恐ろしいことになるぞ!」

「そんな……ばかな……人丸を封じてるのは裏山じゃないのか、オヤジ?」

「もちろん体は裏山だが、すべてそこで封じているわけではないぞ。そのための我々なんだ」

 あ、アニキの顔が真っ青だ。観念したようにがっくり膝を落として地面にはいつくばっちゃったよ。

「オヤジ、どういうこと」

 私はなぜアニキがショックを受けているのか、どういうことなのか、知りたかった。

「おまえも、結婚して子どもを産んだらわかる」

 はぁ? なんでそうなるの?

「子どもとか関係ないじゃん。ていうか、結婚とかいつの話だよ!」

「ま、わしらのほうが早く子どもができるかもしれないね、未雪ちゃん」

「はいぃ、おじさまぁ」

 ていうか、おまえら二人で来たらアニキがみじめだろ。なんて思いながら、まだ打ちひしがれてるアニキを見やった。




 家にみんなして戻った時、アニキは途々オヤジに今回のことを話した。

「ふむ……九匹の白鴉の掛け軸に、三足の沓。で、八咫烏のイラストのついた天体模型、で、不審火、か……」

 オヤジはぶつぶつ言うと、深く吐息をついた。

「なにか、わかったの、オヤジ?」

「いや、わからん」

 だが、とオヤジは続ける。

「高句麗の伝説に十羽の鴉が太陽に向かって飛び、火を噴く、というのがある。それくらいしか思いつかんなぁ」

「十羽?」

「うむ」

「なんで十羽なの?」

 私が訊ねると、

「しらん」

 オヤジはあっさり返した。あんまりあてにならない。けど、アニキは違ったみたいだ。

「もう一度明日行ってみる」

 アニキも全く懲りない粘り強い性格である。特に副業に関してだけ。それより、修行しなくていいんだろうか。


 翌日、速真は早速レジェンドに向かった。

 さすがに三度目に速真の顔を見た店主は、ものすごーく嫌な顔をしてみせた。それでも平身低頭で頼み込み、今度こそうまくやる。とまで言ってのけた。さらに十回仕事のただ働きも約束した。

 ようやく店主の機嫌がよくなったのを見計らい、速真は倉庫に行くと、燃えかすの生き残りを丁寧に並べた。もちろん掛け軸は壁に飾り付ける。

 店主は速真が何をするつもりなのか全く見当もつかず、はらはらと見守っている。

「あとは時間になるまで待ちますよ」

 時間とは午後の二時くらい。いつもこの時間になるとさわぎが起こった。

 速真も店主もかたずをのんで時間がたつのを待ち続ける。


 そして——


 ばさささ

 数羽の羽ばたきが倉庫に響く。

 ハッとして二人は見上げた。白い鳥が飛んでいる。いや、よく見ると白い鴉である。

 掛け軸がまるで窓のようになって、そこから鳥が入り込んでくるかのように、一羽、また一羽と飛び上がる。

「は、は、は……」

 速真は、声を上げそうになった店主の口を押さえてしっと強く言うと、黙って鴉を見つめた。

 九匹の白鴉は何度も天体模型の周りを廻る。まるで仲間を呼び戻そうとしているかのようだ。

 あーあー かぁかぁ ばさささ ばさばさ

 どのくらい鴉たちは天体模型を廻ったろうか……

「かぁ」

 新たな声が倉庫に響いた。

 気がつくと天体模型に一匹の黒い鴉が留まっている。しかもその鴉の足は三本だった。

 黒い鴉は小首をかしげて仲間の様子をうかがっている。白鴉たちは嬉しげに、その周りに降り立ち、ぴょんぴょんと跳ね跳んでいる。

 そのままじっと見ていると、黒鴉は用心しいしい三足の靴に近づき、器用に三本の足に履いた。なんのための沓なのか分かったのはいいが、鴉に沓が必要とはおかしな話である。

 しかし、そうは思っても鴉に訊ねることはできないまま、十羽の鴉は掛け軸の中へと飛んで行ったのだった。

「あ、は、は、は、は……からすさん。あははは」

 あまりのショックに店主はいけなくなってしまったのか、さっきからわらっているが、きっと小一時間もすれば元に戻るだろう。

 速真は掛け軸に近づいて、やっと沓の理由を知ることができた。

 掛け軸の中で、九羽の白鴉を背景に、黒鴉は自分で作った燃え盛る太陽をその三本の足にひっつかんでいるのだった。


 さて、後日譚だが、例の天体模型、小惑星名を「yatagarasu」という。

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