第7話 潮騒
私の家は神社である。人丸という鬼を封じた神社で、特別な神通力なんかがある、というわけはないはずで……
「これ見てください〜」
未雪が社務所で新年用に笹でお飾りを作っている私の目の前に、古びてなんだかほのかに臭い掛け軸を突き出した。
「捨てろ」
おそらくごみ。私の脳みそはそう判断して、未雪の話を聞かずに結論をだした。
「ひどいですぅー」
未雪が唇を尖らせて文句を言う。その顔はまるでアヒルみたいだ。
「変な顔」
「失礼ですぅ、この掛け軸は隼人さんに似合うなぁと思って買って来たんです!」
隼人さん……だれ?
「綾愛ちゃんのお父さんでしょ」
「あ、そうか、ヒグマじゃなくて名前あったんだった……」
「それも隼人さんに失礼です!」
などと、いつの間にか帰れと言わなくなった私は、未雪とじゃれあうくらいはやってのけられるくらい心が広くなった。
「どんなん買ったの?」
「これですぅ」
にこにこしながら未雪が広げて見せた掛け軸の表には「津波」と大胆な文字が描かれていた。
「つなみ……」
シュールだ……
「ね? 隼人さんに似合います!」
どこら辺が似合うんだろう……ものすごく悩むところだ。
「男らしいところとか」
「あー、なんか豪快なとことかそうかもー」
私はいい加減な相槌を打ちながら、未雪と一緒に母屋に入った。
「おお、わしにか、ありがとう。未雪ちゃん」
「いいんですよぅ、隼人さん」
オヤジと未雪はあっという間に愛というバリケードを張り巡らせて、私という存在を遮断しやがった。
まぁ、いいけどね。
私はまた社務所に戻って、作業の続きを始めたのだった。
「うわあああああ!」
翌朝早く、私はオヤジの悲鳴で目を覚ました。
とにかくその悲鳴の尋常でなさに驚いて、アニキと私は急いでオヤジの部屋に駆け付けた。
べちゃ。
部屋の前に立ち、いきなり足裏に濡れた感覚。うわっと思って足を上げて確認すると、水が廊下にしみ出している。
何事かと部屋を開けると、オヤジの部屋は見事なまでに浸水していた。
水浸しになった布団に同じく水浸しで震えているオヤジがくるまっている。あまりのことにパニックを起こしているのか、ただ、慌てるようにきょろきょろするだけで起き上がろうとしない。
仕方ないので、アニキにオヤジをふろ場に連れて行ってもらって、私は布団を庭の物干しにかけた。というか、なんとも臭い。独特な臭いのする水だ。嗅いだ覚えがあるようなないような……
喉まで出かかった感の記憶なんだけど、思い出せない。
布団を取っ払った後、私は水浸しになりながら、漏水してきた原因を探った。
でもよくわからない。この部屋の真下に排水管やら水道管ってあったかな。
部屋をぐるりと見渡してもおかしなところはない。床の間に堂々と「津波」の文字が飾られてあるくらいだ。
昼過ぎに業者に来てもらい、畳をはずして床下を見てもらった。
「水道管とか、そういうのはないですねぇ……畳も悪くなっちゃってますし……しかもこれ、塩水ですよ」
「塩水?」
「なにやったんですか?」
あらぬ疑いをかけられそうになって、私は全力で否定した。
「塩水撒くような変な趣味ないですよ!」
当然だ! そんな変な趣味あってたまるか。大方オヤジが寝ぼけて塩水まき散らしたんだ。そうに違いない。
「とにかく、漏水のもとはないんですか?」
「こっちが聞きたいくらいですよ。何か水を入れたものを倒したとかじゃないんですか? 大きな海水の入った水槽とか」
「いけすじゃないんだからそんなもの部屋に置かないですよ!」
さんざん業者と言いあって、私はむかつきながら業者を家から叩きだした。最近の業者は仕事をろくにしない! などとプンスカしていると、未雪がやってきた。
「綾愛ちゃ〜ん、こんにちは〜」
冬休みだから奴は毎日来る。家で勉強でもやってろとか思うんだが、奴は結婚するから受験は関係ない。なんか悔しい。
「今忙しい、帰れ!」
「隼人さんに電話もらってお手伝いに来たんです〜」
オヤジが? 多分塩水だらけのオヤジの部屋の掃除の手伝いだろう。よし、全面的に任せた! 私は新年のお飾りの準備がある。神社だけあって半端ない大きさだから、今のうちにやっておかないと、新年がきてしまう。松飾りはもちろん、大みそかの飾りと薪を用意する。大みそかの夕暮れ時からかがり火をたいて、どんど焼きもするのだ。をするのだ。大みそか新年恒例の行事である。
オヤジの部屋に未雪を案内すると、開口一番未雪は言った。
「海の匂いがするぅ」
海? 海なんてどこにもないけど……まさかこの塩水の臭いは潮臭いとか言うやつか。
やっと納得。
「なんで、水道も何もない部屋で海水が漏水するんだ?」
まったくもって謎だ。
「だよなぁ。オヤジもいきなり冷たい感じで目が覚めたって言ってたぞ」
アニキの速真がやってきて話に加わる。
三人で頭を抱えたが、私はいつものごとく、未雪回路で物事を考えてみた。
「未雪が何か持ってくると変なことが起こるよね」
「言いがかりですよう」
「いや、言いがかりなんかじゃない! 現に変なことが起きた! あんたがアレをもってきてから!」
私はびしっとその証拠を指差してやった。
床の間の掛け軸である。
「津波……」
アニキがつぶやく。
「なんともシュールだな」
「だよね。買って来た奴のセンスを疑うよ」
しかし、私はすぐに口をつぐんだ。意地悪が過ぎたようだ。未雪の目が潤んでいる。
「ひどいですぅ〜、そんなつもりなんかないのは綾愛ちゃんだってわかってるはずです!」
「まぁ、確かに」
というわけで、私たちは未雪にその掛け軸をどこで手に入れたのか詳しく聞くことにした。
駅前の骨とう品屋のショーウィンドウにその掛け軸は飾ってあった。お値段は千円。なんとお手軽な値段だろう。高校生でも簡単に手に入れることができる。しかも「津波」という言葉の力強さが大好きなあの人を表現しているようだ。(それでも津波はないだろう)
店主もすぐに包んでくれたし、変ないわくがあるなど言ってなかった。(当たり前だ)
家に持ち帰っても広げずに汚れない場所に置いていたから安全だった。(要するに水浸しにはならなかったわけだ)
「いちいち、余計なあいの手入れないでくださいぃ」
未雪がアヒル口で文句を言う。
「そんなこと言っても普通千円って変だろ」
「だって、その時は変だって思わなかったんですもん」
「まぁまぁ、その骨董屋なら知ってるから、俺が電話で聞いてやるよ」
アニキの機転でその場はおさまったが、千円の掛け軸と畳八帖分を天秤にかけたら、畳のほうが損失はでかいだろ。
掛け軸を間にはさんで、未雪とにらみ合ってると、アニキが戻ってきた。
「やっぱりいわくつきだ。家と々クレームで何度も返品されてる」
「ほら! みろ!」
私は勝ち誇ったように叫んだ。
「うううう」
しかし、いつもなら負けん気を起こして突っかかってくる未雪が泣きべそをかきだした。
どうも、本当に「津波」がオヤジに似合っていて、しかも本気でいいものを買ったと思っていたようだ。
なんだか不憫だが、二度とこんなことをしないように懲らしめてやろうと思ったら、アニキが私を制した。
「綾愛、墨と筆持ってこい」
「なんで?」
「なんででも!」
いつになくアニキも強気だ。半泣きの未雪に同情したんだろう……そりゃあ、かわいそうだけどさぁ……変な物の始末をする身にもなってくれよう。
アニキの言う通り、墨と筆を用意するとアニキが掛け軸をテーブルに広げる。なにを思ったがいきなり、掛け軸に筆を入れ始めた。
「津波」もさんずい「シ」の一番下のひげを無理やりぐいっと引き上げる。
見事にさんずいはいびつなりっしんべんになった。
「律彼」
私も未雪も唖然としてアニキを見つめるばかりだった。
あれ以来、漏水はない。ただ、たまに床の間に子ガニがうろつくだけだ。
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