第3話 黒鈴の系譜

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 そして、5年の月日が流れた。

 マハクは、立派な青年に成長しており、細かった体つきは、年相応の筋肉に覆われている。僅かながら焼けた肌は、健康的な村の若者といった様相だ。髪は以前より短く切りそろえてあり随分と若々しい。ただ、その目つきだけは変わらず、一種の陰険さを含んでいるようであった。


 その身に纏うローブの色は、すでに暗色へと近づいていた。ローブの色の深さで修行の進み具合が分かり、どうもマハクは優秀な弟子であるらしい。


 しかし、師との深い断絶もまた、変わらず存在していた。2人の間に、日々の暮らしの会話というものはなく、冷めきった師弟としての関係でしかない。


 だが、師デフルドは、どのような手段を用いても、魔人へと至る道を追求すると決意している。愛すべき息子を失ったとしても、より魔人に近いものを弟子として教えるのは当然のように考えていた。


 マハクは師に呼び出され、修練場を訪れた。忌まわしき場所となったはずの地に居ながらも、デフルドは顔色ひとつ変えることは無い。


 「では、マハクよ。月の試練を与える。……今日は、貴様が最も得意とする魔術を一つ、組み上げてもらおうか。詠唱破棄サイレーン簡易詠唱ショートカットは認めぬ」


 デフルドは深々と椅子に座り、興味の失せた表情でマハクに指示を出した。ここ5年の修練で、マハクの魔術を手繰る技量は、師のそれすら凌駕しかけていた。その彼が、こんな単純明快といえる試練で、道を外すわけもなかったのだ。


「は。それでは、『泥竜鱗でいりゅうりん』をご覧に入れましょう」


 マハクは立ち上がり、両手を突き出した。時間の指定がなかったので、十分に魔力を練り上げ、術式を展開する。幾重にも張り巡らされた、魔術の紋章が、マハクの身体を通り、大気に放出され、そして、大地へと流れていく。


「……『泥より生まれ、泥に沈む腐の竜よ。その爛れた鱗を授けたまえ。濁った水と、醜悪なる香りを捧げよう。泥竜鱗』」


 マハクの一音一音に、呼応するように、大地は歪み土は泥へと姿を変えた。ポツポツと、泡が浮かび、やがて膨らんだ沼の中心に、小さな無数の破片が生み出された。徐々に数を増す破片は、これがおそらく竜鱗なのであろう。


 本来は、複数人の魔術師が協力し造りあげる術式を、僅か数刻でマハクは完成させた。本来ならば、この鱗の数を自由に操り、敵に叩きつけるのだが、そこまでする必要性はすでに失われていた。


「良いだろう。見事な魔術だ。土の精霊素子エレメントと水の術式を、見事に融和させておる。……しかし、僅かながら術式構成に、欠損が見受けられるな。鱗の厚みの設定を省いたのではないか」


 歳を召して、なお見事な心眼である。デフルドの言葉に、マハクは若干躊躇ったが、答えることにした。


「厚みの制御を、鱗の生成式に兼用させました。実際の使用において、産み出した後に変化させる場合が少ないと感じたからです。これによって……」

「もう良い。貴様がどのような魔術で、実戦を潜り抜けるかに師は関与せぬ。なればこそ、修練の魔術では、その如何によらず正統なる魔術を行使せよ」


 それは、ここ最近師弟で口論されてきた代表例であった。新しく、必要最低限を求めるマハクと、伝統を重んじるデフルドは、ガルドの一件を抜きにしても対立する性にあったといえる。


「失礼いたしました」


 だが、結局は弟子であるマハクが先に折れるカタチで、このやり取りは終わりになる。どちらにせよ、デフルドの試練は合格らしく、マハクは礼をして自室へと帰ろうとした。しかし、今日はどうもそれだけが目的ではなかったらしい。デフルドは、頭を下げたマハクへと、言葉を問いかけた。


「マハクよ。貴様は、トロスの街長まちおさを知っておるか」

「……御功績だけは伺っております。なんでも、新しい機械とやらを取り入れた方だとか」


 トロスは、修練の地の東に位置する大きな交易の街であった。師より与えられる修練という名目で、何度かトロスの魔獣駆除を行ったことがあるマハクが知る唯一の人里でもある。


「うむ。斯様な金属の絡繰を用いなければ、平民は魔術の一つも代用できぬ。しかし、街を動かす大部分は、そのような者共な担っておるのだ。パッヅォは、人格はともかくその手腕は褒めなければならない」


 一見珍しい、師の雑談である。しかし、マハクはこれが、なんらかの依頼であるとすでに予測していた。何気ない会話を行うには、2人の関係性は剣呑すぎた。


「さて、そのパッヅォの奴が招待状をよこしてきたのだ。貴族どもの集まる催し物のようなものだ。実にくだらぬが、今年はどうも亜竜の動きが活発化しておるらしい」


 デフルドの言葉をまとめると、以下の通りである。かねてより、前国王との契約によってトロスの街の守護を務めていたデフルドは、亜竜と呼ばれる魔獣種を駆除する必要があるという。この御役目は、マハクもすでに経験しており昨今ではもっぱらマハクの仕事となっていた。しかし、今年はその数が尋常ではなく、デフルドとマハク2人の魔術を組み合わせて、一網打尽にする必要があるという。


「その前に、弟子の顔見せも兼ね、パッヅォの館へ、亜竜の視察に出向こうと思う。如何かな」

「全ては師のお心のままに」


 当然、マハクに断るという選択肢はない。しかし、久しぶりに仕事以外で訪れる街である。マハクの心は、珍しく高鳴っていた。



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 翌日、トロスの街に着いたのは陽が落ちる間際のことだった。移動には馬車を使ったが、魔術を用いて移動した方が速いようだった。師と2人きりで何時間も沈黙を続けるのは、マハクにとっても苦痛であったが、街の灯りを目にした時点でそんな鬱屈は吹き飛んでしまっていた。


 山間の小さな村に隣接するように立っていた修練の館と異なり、街は夜でも人通りが多い。街灯にともされた灯りは、大小様々で見ているだけで心が安らいだ。街は活気立っていた。

 街に入り大通りを馬車に乗ったまま進む。馬車の窓枠から見える人々の目線は、畏怖に染め上げられている。


「魔術師が珍しいのでしょうか」


思わず呟いたマハクの言葉に、案外と優しい声色で師は返事をした。


「そうではないだろう。おそらく、パッヅォが十分に言って聞かせておるのだ」


 街の長が、人々にわざわざという言葉の不自然さに、マハクはあえて質問を重ねなかった。間も無く馬車は、大きな屋敷へとたどり着いた。装飾が施された門は実に見事で、その家長の豊かさを物語っている。

 馬車を降りると従者が列をなして待ち構えていた。デフルドは慣れた様子で、道を歩く。その先には、やや小太りの男性が立っていた。


 髭は黒くまだ若いようなのだが、その顔の左半分には大きな痣がある。目つきは鋭く、鷹のようにまっすぐである。しかし、下卑た笑みや、貧しい街の人々とは異なって贅肉を蓄えたその身体つきから、男の本質がどちらなのかは一目瞭然であった。


「良くぞいらっしゃいました。大魔術師デフルド様。ハチミクスノの厄災以来でしょうか」

「久しいなパッヅォよ。あの悪魔にはて手こずらされた。あれほど強力な悪魔であっても、彼の国では、魔獣より多少優れていると言った程度であるらしいから、始末に負えん」

「いなはや。良くぞまぁ、この街も今日まで無事であったものです。ところで、そちらの方が」


 一度話し出すと、パッヅォはどうも悪人ではなさそうな雰囲気を感じさせた。マハクはそう考え、すぐに自らの思考を反省した。柔らかな言葉を使うものほど気をつけなければならない。それは、マハクが孤児の時代に得た教訓であった。


「……うむ。我が継承の弟子である。名をマハクという」

「マハクと申します。お見知り置きを」


 デフルドに名を呼ばれ、マハクは頭を垂れた。わずかにデフルドが答えに詰まったのは、ガルドへの未練のためだろうか。


「利発そうな瞳だ。部下によれば、いくらか亜竜を狩っていただいたこともあるとか。期待しております」


 パッヅォは、一切の隙も見せず、マハクに礼を返した。ただ、僅か一瞬のことではあるが、デフルドが答えに詰まった時に、彼の口元に笑みが浮かんでいたのを、マハクは見逃さなかった。

 当然、パッヅォはガルドの存在を知っていたのだろう。


「さて、早速ではありますが、奥に少しばかりの食事を用意してあります。今日はゆっくりとお休みになって、明日の英気を養っていただけたら幸いです」


 だが、マハクが疑いを持ったとみるや、パッヅォは自身の企みを欠けらも残さず隠し切ってしまった。

 それは、魔術師見習いからすれば、十分に魔の領域の技であるように思えた。


 大広間で始まった宴は、夜中遅くまで続けられた。魔術師として呼ばれたのは、デフルドとマハクだけであったようだが、他にも大勢の傭兵や武装兵が酒を飲み漁っている。師はすでに部屋に戻って休んでいた。マハクは、しばらく珍しい酒を飲み比べしていたが、だんだんと人が減るにつれて、部屋の隅に隠れるように座り込んでいた。


 彼の周りには、魔術による特有の発光現象が起こっている。彼は人付き合いを避け、魔術「溝鼠」を用いていたのだ。

 月の試練として、マハクは「泥竜鱗」を師に披露した。それは、彼が用いる最大クラスの威力と練度を併せ持つ魔術だったからに他ならない。しかし、あの5年前の継承以来、マハクが最も活用してきた魔術は、実はこの「溝鼠」であった。


 師の試練の一環として、各地を転々と魔獣退治に練り歩いた際も、盗賊や他の魔術師との遭遇を避けるという意味で、「溝鼠」は使いやすい魔術であった。


 あの時、自分に「溝鼠」がなかったならば。

 おそらくマハクは負けていただろう。マハクは今でも時々、魔術師見習いとしての我々に、師が授けてくれた最後の魔術が「溝鼠」なのか考える癖ができていた。


 しばらく酔いに任せて、現実と夢とをさまよっていると、マハクに声をかけるものが現れた。寝ぼけ眼でよく見れば、パッヅォの隣に立っていた年老いた1人の執事であった。


「パッヅォ様がお待ちです」

「はっ。しかし、なぜここが……」


 呟きながら己の手を見ると、すでに魔術は効力を失っていた。マハクの姿が見つかるのは時間の問題だったのだろう。

 長い廊下歩き、赤い絨毯を何度も踏みしめ、ようやくたどり着いたパッヅォの部屋には、廊下や門に施されていたような銀細工などは欠けらもなく、質素な効率のみを追求した部屋となっていた。


 これが、パッヅォの真の顔なのだろう。


「マハク様、でしたね」

「マハクで結構です。私は、魔術師として未成熟なのです。我が師に用事なのでしたら」

「いえ。デフルド様ではなく、マハク様に相談があったのです」


 パッヅォは、マハクへの呼称を改めるつもりがないようであった。マハクは軽くため息をつき、パッヅォの言葉の先を促す。


「マハク様は、『黒鈴こくりん』の継承が終わった後は、どのようにされるのでしょうか。もし未定なのでございましたら、この街の守護魔術師として」

「お待ちください。そもそも、『黒鈴』とは何なのでしょうか」


 どうも内容自体は、何処にでもある魔術師契約であるようだった。マハクの心に残ったのは、見知らぬ「黒鈴」という単語である。


「失礼しました。つい、口が滑ってしまったようなのです。街の商人とやりとりをするときに、彼らの符号に合わせる必要がありまして」


 途端に、パッヅォは額に汗を流しながら弁解を始めた。マハクの言葉が皮肉のように受け止められたらしい。


「そうでは無いのです。パッヅォ様、私は世間知らずの魔術師見習いです。そもそも、『黒鈴』という言葉に思い当たる節がなく。それで、あなた様をどうこうするつもりはございません。ただ、教えていただきたく訪ねた次第であります」

「それでは、このパッヅォの言葉を飲み込んでくださると」

「その方が良いのであれば。ただ、飲み込む前に、どのような意味か教えていただけると幸いです」


 パッヅォはあからさまに困惑していたが、マハクの言葉を信じて口を開いた。


「『黒鈴』とは、デフルド様やマハク様達が学ぶ魔術の系譜を指す言葉なのです」

「まさか、そのような言葉が。師は何も教えてくれませんでしたが」

「当然です。マハク様が学ばれてきた『黒鈴』の魔術は、古くはキリギスまで系譜を辿れる『いと古き魔術エンシェント・マギカ』でございます。故に、その系譜こそが魔術の起源であると考えていらっしゃいます。そして、原点である魔術に名前が与えられるのはおかしいというのが、『黒鈴』の者たちの考えであるようなのです」


 マハクは、その傲慢なものの良いように、呆れて返事もできなかった。だが、事実デフルドに与えられる魔術以外を知らないマハクにとって、魔術の系譜の名称など気にしたこともなかったのだ。


「なるほど。よくわかりました。そして、このことは私の胸の奥に秘めさせていただきます」

「おおっ! かたじけない」

「いえ、外のものにとって、魔術の区別をつける名称は、必須であることは想像に難くありませんから」


 マハクには、『黒鈴』の名を聞くだけで激怒する師の姿が容易に着いたのだ。


「ただ、『黒鈴』という名称の由来などはご存知ですか」

「ああ。それでしたら簡単ですよ。マハク様にも刻まれておられる、継承紋が黒い鈴のように見えるのです」


 言われて、左手をかざすと、確かに複雑な紋様の外側は、鈴のような形状に見えなくも無い。


「パッヅォ様。先ほどのお話は、保留にさせていただけませんか」

「先ほどの……と申しますと」

「魔術師としての契約の件でございます。再三申し上げるようで恐縮ですが、私は未だ修練の身なれば」

「ですが」

「ですが、折角のお誘いを無下に断るのも申し訳ない。なので、ここはひとつ仮契約では如何でしょうか」


 それは、未熟な魔術師の鍛錬法の一つであった。つまり、実践を重ねることで究極に至るというシンプルな手法である。あくまでも仮の契約なので、土地に縛られることもなければ、他の契約と競合を起こすこともない。

 マハクにも小さな望みが生まれ始めていた。それは、この『黒鈴』という名前を世に知らしめようという、小さな悪戯心のようなものであった。


「かしこまりました。それでは、早速ではあるのですが、『叛逆の魔術師』という盗賊団をご存知でしょうか」


 パッヅォは、商人の顔となりマハクへ笑いかけた。

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