第4話 魔の叛逆
-b-
魔人の存在は、魔術理論を基とする界隈において、どちらかと言えば普遍的な存在である様だった。
デフルドの書斎を覗き見たマハクは、本棚を漁り出して直ぐ幾つかの魔人に関する書物を見つけることができた。
魔人は、その凄まじく常識を逸脱した力をもって、地形や歴史のありとあらゆる箇所に、その痕跡を刻み付けている。
曰く、悪魔が生み出し残したとされる旧バザジアリン公国の遺跡は、1人の魔人によって生み出された。
曰く、狂い坂の大地には魔人の呪いがかけられている。
曰く、魔人がただ前方へ歩き続けただけで、七つの都市が壊滅し、その跡がコールソン水道として利用されている。
「だが、その成り方は一文字も書かれていない……か」
マハクは1人つぶやいた。
魔人に関する詳細はおろか、魔人に至るための方法、そして、ヒト種が魔人に至ることが可能なのか、その話題すら見つけることができない。
ここまで徹底されているのならば、かえって明確に浮き彫りとなる事実がある。
「魔人は、禁術対象なのか」
「左様。その存在を口にすることすら憚れる、禁術第一条に指定されておる」
思案するマハクに声をかけたのは、この部屋の主人デフルドであった。いつの間にか背後によっていたデフルドは、マハクの手から本を取り上げ、魔術で元の本棚に戻す。
「こ、これは」
「戯けめ。もう良い。ここで見聞きしたことは忘れることだ」
存外優しく、デフルドはマハクを部屋の外に連れ出した。怒鳴り散らされるかと構えていたマハクは、その対応に呆然とさせられる。
扉を閉められ廊下に1人残された後、マハクはしばらく立ち尽くしてしまった。しばらく考え、今彼は、デフルドの魔人化研究の熱意あるいは狂気の一端を目の当たりにしたのだと、気がついた。
部屋に戻り、スプリングの効いたベッドに潜り込んで、マハクは目を瞑る。
マハクは、デフルドが集めていた書の殆どが禁書であること、そして、禁書ですら語られない魔人に想いを馳せた。
継承を言い渡されて、丁度一年が過ぎた頃の話である。
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亜竜の群れが、黒い一塊の巨大な魔獣のように連なって空を飛んでいる。街の門は固く閉じられ、その前に並ぶのは歴戦の古強者ばかり。
彼らの列の最奥に、デフルドとマハクはいた。2人とも同じように手を空に掲げ、魔術のための詠唱を行なっている。魔力言語と呼ばれる特殊な発音で、魔術師でもないものにとってはブツブツと呪いを唱えているようにしか聞こえなかった。
亜竜は、その名の通り形状が竜によく似た魔獣の一種である。翼があり、爪と牙があり、長い尾がある。亜竜の種類によっては、口から火を噴くものもあるという。異なるのは、鱗がなくつるんとした表皮と、群れで行動するといった点だけだ。
だが、確かに今年の亜竜は、その数が多すぎた。
「マハクよ。いけるか」
「いつでも!」
師の問いかけに、マハクは口数少なく答える。無駄口を叩いていると、構築した術式の操作を誤ってしまいそうであった。その点、デフルドは多少の余裕を感じさせる。随分と師に近づいたと思い上がっていたマハクだったが、あらためて80年以上の研鑽による力量差を感じざるを得なかった。
「魔法の準備ができたぞ!! 総員、下がれ!」
魔法と魔術の区別もつかぬ、連絡係の傭兵が叫ぶ。その声に合わせて、地に落ちた亜竜を屠っていた連中がわらわらと下がりだした。
「デフルド様。奴らの最後尾が、あの丘を越えたあたりで魔法を放ってくだされ。目標は赤の旗で頼んます」
「うむ。しかし、それでは多少の撃ち漏らしがあると思うが」
「いえ。残りは我らでやらしていただきます。あっしらも生活がかかっておりますので」
多少砕けた物言いであったが、実直な性格であるらしい傭兵に、マハクは好感を持った。
「では、マハクよ。儂の術式に合わせよ。詠唱を開始する」
師は、弟子の言葉を待たず魔力を術式に流し込みだした。あの枯れ枝のような老体の、どこに潜んでいたともわからぬ膨大な魔力が組み上げられ、術式を動かす。
「いくぞっ! 『壊滅の火よ。邪悪なる敵を討ち滅ぼせ。其は竜。其は力なり。迎撃の撃鉄は……』」
デフルドが、術式起動の詠唱を始めた。マハクもまた、瑞々しく迸る魔力を全力で放出し、構成しておいた補助術式を動かし始めた。
「『…悠久の大地を育む者よ。その御技をもって、山となれ』、補助詠唱終了!」
「放て『
デフルドが、最後の
瞬きの後に球体はもはや存在せず、代わりに流星のような軌跡の直線となって、大気を焼き付けた。線の先は亜竜たちの群れである。
そして轟音とともに、雲にまで届きうる爆裂の火柱が巻き起こった。途端に吹き荒れる嵐のような風が人々の意識を現実に引き戻した。燃え盛る火柱は消える様子がなく、逃れようともがく亜竜たちを次々に消し炭としている。
デフルドが述べた通り、兵士たちへの巻き添えを考慮したため数体の亜竜が生き残っていたが、すでに彼らには戦意というものが失われてしまっているようであった。
一度に大量の精霊素子が大気から失われたせいで、マハクは軽い魔力欠乏症のような症状に苦しんでいた。酸欠状態に近いかもしれない。冷たい脂汗を流しながら、大きく息を吸い、僅かに残った精霊素子を身体に取り込んでいく。
その一方で、超然と敵を見据え続けているのは、マハクの師デフルドであった。
「これが極大魔術だ。別名『街堕とし』である。戦略級魔術と呼称するものもおる。これがお主に教える最後の魔術だ」
「デ、デフルド様」
「我らが魔術の系譜では、およそ10年を継承の期間としている。僅か5年で、極大魔術にまで至ったお主の研鑽には目を見張るものがある。最後に修了の試練を与えよう。それが終われば、貴様は魔術師だ」
ようやくマハクがまともに立ち上がることができるようになった時、既にデフルドの目線はマハクを向いていなかった。
デフルドは、かぶっていた魔術師の帽子を脱ぎ去り、胸にかざすと、腰を曲げて深く礼を捧げた。自然への敬意なのか、戦った戦士たちへの尊重なのか。マハクは、同じように礼を真似た。格好だけであることは分かっていたが、それが彼の生き方でもあったのだ。
-6-
「『魔の叛逆』とやらを知っておるか」
修練の館に帰った翌日の、デフルドの第一声である。マハクは、椅子にもたれかかるデフルドを見つめたが、彼はそれ以上言葉を続ける様子はなかった。
「はっ。名前だけは聞き及んでおります。なんでも、魔術師殺しを触れ回る盗賊団だとか」
「魔の叛逆」という言葉は、奇しくもパッヅォと仮契約を結んだ夜に、彼から伺った名前であった。出始めこそ、平民を相手に細々と活動していた彼らの盗賊団は、やがて貴族を相手取るようになる。それを危険視したパッヅォに討伐を依頼されたが、マハクは丁重に断っていた。
デフルドは、マハクの言葉に頷き、より深く椅子にもたれかかった。
「魔術師殺し。古来より、牙のないものどもが我らに楯突く際、名乗る忌々しい呼び名よ。しかも、彼奴らは既に8人もの魔術師を殺しておる。……それと、5人の貴族、平民の数は忘れたが」
つまり、彼らの仕事は常に皆殺しということだ。数え切れないほどの平民と、多少の貴族、そして幾人かの護衛についた魔術師を殺しているという。
「殺された軟弱者どもは、当然我らが系譜に連なるものではない。ないが、しかし、卑しくも同じ魔術師を名乗るものどもが、平民の盗賊なんぞに殺されて黙っておくわけにもいくまい」
「その処罰を私が、ということでありましょうか」
「左様。それを貴様の、最後の試練と当てる。捕縛若しくは抹殺だ」
デフルドの口調はいつも通り淡々としている。だが、「魔の叛逆」とやらを随分と重く見ているようだった。魔術師の継承には、そのものの実力と拮抗する相手を用意するものだと、マハクはパッヅォに聞いていた。その相手として選ばれたのであれば、いかに盗賊団であろうと、甘く見るわけにはいかない。
そう考え、不意にマハクはとある考えに思い至った。それは、いかにして魔術師たちは殺されたのであろうかという疑問の答えであった。
「師よ。御試練、確かに承りました。ところでその魔術師殺しに関してなのですが」
「うむ。おそらく、此奴は魔術師なのであろう」
事も無げに、デフルドは宣った。
「まさか」
「で、あれば。木っ端魔術師が沈んだのも道理というもの。貴様の相手に不足はあるまい」
マハクは魔獣こそ幾度となく相手をしてきたし、魔術を使えぬ盗賊などは捕縛した経験もある。しかし、試練の一環としてパッヅォに斡旋してもらった仕事でも、魔術師同士としての戦闘は未経験であった。
彼の経験は、ただ一度。
「……! もしや。師は、魔術師殺しの正体に心当たりがおありなのでは無いですか」
「いや、無い」
その即答が、返ってマハクの心に暗雲をもたらせた。師の顔色を伺うが、いつもと変わらぬ仏頂面に、長く伸ばした髭をさするのみである。
いずれにせよ、マハクには選択肢はない。
無言を断ち切るために、マハクは立ち上がって言葉を発した。
「承知いたしました。では、これより魔術師殺しの捕縛あるいは抹殺を敢行致します」
「うむ。期待しておる」
デフルドは左手で空を振り払うような仕草を行なった。退室を求めるの合図である。マハクはそれに従って、軽く一礼をしたのちに、部屋を出て言った。従者がデフルドの部屋の扉を閉める重苦しい音を背後に聞きながら、マハクは思考を巡らせていた。
魔術師と目される魔術師殺し。
そして、師の態度。不穏な空気が、鎌首を擡げていた。
歩く廊下の窓から見上げた空は、濃い鼠色をしている。間も無く、この辺りには雨季が訪れる。その雨は、しばらく振り続けるのであろうと、マハクは思った。
-7-
トロスの街の雨季も終盤に差し掛かり、その雨はより強くなっていた。豪雨という言葉がふさわしく、人々は家に篭り、視界は雨霧で遮られている。
トロスの街にたどり着いたマハクを、パッヅォは自ら出迎えた。太っちょの身体は相変わらずだが、マハクに見せる笑みは、どことなくぎこちなさが薄れているようであった。
「お久しぶりです! まさか『魔の叛逆』の討伐を引き受けてくださるとは、思いもしませんでした!」
雨音に負けぬよう、パッヅォは叫んだ。マハクもまた声を張り上げて答える。
「手紙に記した通り、これが私の試練なのです! 依頼扱いにしていただかなくても」
「何を仰いますか! これから、マハク様とは長い付き合いになりそうですからね!」
パッヅォに連れられ、マハクは彼の館に転がり込んだ。扉をとじても、雨音は強く耳に残る。2人は無駄と知りつつも、衣服の雨粒をその場で払った。
「ところで、手紙で拝見いたしましたが」
「ええ。マハク様に送った通りでございます。次の『魔の叛逆』の対象に、我が館が選ばれました。奴らはここにきます」
付き合い始めてからマハクは知ったが、パッヅォはどうやら統治者としてはかなり真っ当な部類であるらしかった。平民への奉公が全てというわけではないが、無為に私服を肥やすわけでもなく、彼自身の野望とでもいうべき信念を持って街の運営に真摯に向き合っている。
そんな彼が、盗賊団の対象に選ばれたのは、単に裕福であることと、魔術師とのつながりがあることだけであった。
「信用できる筋からの確かな情報です。奴等の上役どもが、私どもの館の地理を調べだしたというのです」
「正確にいつ頃やって来るといったことは、わかりませんか」
「ええ。その情報を最後に、連絡がつかなくなりました。おそらく……」
パッヅォは言葉を濁した。連絡がつかなくなった情報屋の行く末は、一つしかない。
至極真っ当な部類であるパッヅォでも、しかしなんの手立てもなく今の地位に立ったわけでは無い。あえて情報源には触れず、マハクはパッヅォに質問を重ねた。
「しかし、だとすれば本当に奴らは来るのでしょうか。すでに情報が漏れたと知られているのなら、行動を取りやめる可能性もあるのでは」
「いえ、おそらくそれはないかと愚考します。奴らの目的は、基本的には強奪です。しかし、奴らにはもう一つ通り名がございます」
「……魔術師殺し」
「はい。少なくとも彼らの中心的存在とみられる男は、魔術師との戦いを望んでいるような節がございます」
「なるほど。情報が漏れたとしたら、むしろ知られているからこそ、魔術師による護衛を雇う可能性が上がると考えるわけですか……」
事実雇っていますからね、とパッヅォは笑い飛ばした。しかし、マハクにとっては笑えるような話ではなかった。つまり、魔術師殺しは奇襲ではなく真正面からの戦闘で、魔術師に打ち勝てるという自信があることを意味していた。
その夜は、パッヅォが用意した食事をいただき、マハクは床についた。明くる朝より、来るべき魔術師殺しへの対策を施すことにした。
夜が明けて、マハクは最初に侵入感知用の魔術結界を屋敷全体に張り巡らした。魔術師同士の戦いにおいては、魔術防壁を合わせて設定することが無難と言えたが、マハクはあえてそれを怠った。
魔術師殺しを見くびったわけではなく、その強さを存分に認めたからこその無策であった。
パッヅォは、事前に「溝鼠」を応用した魔術を用いて屋敷から逃しておいた。屋敷に残るのは、幾人かの奴隷と雇われた傭兵達だけである。
マハクは、魔術師殺しの出現を、雨季が明けてから3日の間と見込んでいた。仮に、パッヅォが魔術師の護衛を頼むのならば、隣街の魔術師組織が一般的であろう。隣街に護衛を頼んだとするならば、雨に足止めをくらっていた護衛の魔術師が、屋敷に到着するであろうタイミング、それこそが雨季明けの3日であった。
雨季が明けた。
そして、マハクの予想は見事に的中した。
「敵襲! 敵襲!!」
亜竜駆除に参加した傭兵の伝令が声を張り上げ叫んだのは、初日の夜のことであった。飛び起きたマハクが、部屋の窓から外を見ると、爆炎が幾つか起こり、戦さ場の喧騒が生まれ始めていた。
マハクは最低限の武具を整えると、部屋を出た。すると、廊下の向こうから男が1人走ってくるのが見える。
「旦那。本当にお任せしていいんですかい」
伝令と同じく、亜竜駆除の際に知り合った傭兵長が声をかけて来た。彼には陽動部隊の殲滅を依頼している。
「ええ。問題ありません。どちらかと言えば、囮となる盗賊連中を食い止めてもらえることがありがたい」
「そいつはおやすいご用なんですがね。あんたの相手は、あの魔術師殺しだ。つまりその……同業者ですぜ」
傭兵長の言葉にマハクは驚いた。まさか、彼が魔術師殺しの正体に行き着いているとは。
「何故それを」
「俺たちみたいなクソッタレの間じゃ有名でさぁ。魔術師や貴族連中みたいに、お上品な奴らは認めたがりませんが。おっと、失礼」
「構わないよ。しかし、考えてみれば当然だな。殺しの手法によって、魔術師かどうかくらい簡単に判断できる……。まて、まさか魔術師殺しの人相まで分かっているなんてことはないだろうな」
「……旦那、知らなかったンですか」
やはり、魔術師殺しはその容姿まで知れ渡っていたのだ。そして、それは一介の魔術師に過ぎないマハクならばともかく、大魔術師デフルドに伝わっていないはずがなかった。
マハクが不穏の正体に行き着いた時、屋敷の裏側で大きな爆発音が轟いた。
「来やがったみたいですな。オチオチ雑談もしてられねぇ。旦那、では」
「ああ。まかせてくれ」
マハクは、傭兵長と別れて広い廊下を走り出した。表の盗賊たちを相手にするために、傭兵長の部下たちへかける声が遠ざかる。頭は未だ混乱している。知っていた魔術師殺しの様相を、あえて知らせなかったデフルドへの不信感。あるいは、これから戦うであろう不気味な魔術師への萎縮。
だが、今のマハクにはただ走ることしかできなかった。少しでも早く、魔術師殺しのもとへ。階段を飛び降り、屋敷の裏へ向かう。考えると、マハクの人生には選択肢というものがほとんど存在してこなかった。もしくは、自らその選択肢を断ち続けて来たのかもしれない。
マハクが乱れた息を整え、魔力をその身体に漲らせたところで、丁度魔術師殺しはその姿を現した。
屋敷の壁を壊し、1人の男がマハクの目の前に飛び込んで来たのである。背格好はマハクに似ており、暗い魔術師のローブを纏っている。土煙のせいか、よく見ることはできない。
その姿を確認した時点で、マハクはすでに魔術「溝鼠」を使用していた。そして、男が屋敷に侵入すると同時に、物陰へ身を潜めた。男はマハクに気がついていない様子だ。
奇襲をかけたつもりの相手に効果的な戦法は、奇襲を仕掛け返すことなのだ。
僅かな魔力を操作して、術式を起動する。隠密性を重視して、
一足で背後に近づき、その一撃を振るう。
「相変わらず、土の魔術か」
だがその一撃は、限りなく薄く貼られた物理防壁によって難なく防がれてしまった。マハクの不意打ちは、既に読まれていたのだ。
剣が弾き返され、両腕を上げた様な格好となってしまう。
「5年の一撃だ。『
そして、一撃を防いで生まれた隙を見逃さず、魔術師殺しは振り返りながら魔術を放った。男の右腕から飛び出した炎の鞭が、マハクを噛み砕くように左右に別れて迫る。
「くっ、『
「戯け。そうくると思ったわ」
即座に下がりながら土の壁を展開するが、その行動を知っていたかのように、魔術師殺しは炎の鞭を回り込ませるよう操って、壁を回避した。
身を低くし、魔力を足に集中したマハクは、さらに背後へ逃避した。しかし、左右に分かれた火の鞭を避けきることは叶わない。火の舌の片方が、マハクの身体を焼き付ける。
「ぐぁぁあっ! み、『
「『
マハクは、水の魔術を用いて纏わり付いた火を打ち消した。
だが、既に一歩、男の方がマハクよりも先んじている。男の魔術によってマハクが生み出した水は蒸発してしまった。
「灼熱」の魔術は、空間に大量の火の精霊素子をばらまく。そのせいで、
さらに、火の精霊素子によって強化された「爆炎」の魔術が、炎塊となってマハクに直撃した。屋敷の廊下は簡単に吹き飛び、壁は完全に打ち砕かれ、濃い黒煙が撒き散らされる。
頭脳遊戯のように、マハクは一手ずつ選択肢を折られていく。
「さて、並の魔術師なら今ので終いだ。だが、貴様はそうではあるまい。ある種の信頼行為なのだよ。貴様のような。そう、貴様のような寄生虫は、しぶとく生き汚いと相場が決まっておるのだ」
魔術師殺しは、思いの外楽しそうな口調で、黒煙の中に言葉を投げかけた。やがて、一陣の風が吹き、煙が薄れると、その中心に杖を構えて傷に手をやるマハクが現れた。多少その身を焼かれてはいるが、重症には至っていない。爆発の衝撃で屋敷の外にとばされたマハクは、湿った自慢の感触を確かめるように片膝をつき、魔術師殺しと相対した。
「ふむ。瞬間的に魔術防壁を貼ったのか。流石に術式速度は予想より上がっているな」
冷静にマハクを見つめる魔術師殺し。
その一方で、マハクは混乱していた。まさか、とは考えた。しかし、目の前に立っているのは、そこにいるはずのない人物であったからだ。
「ガルド……なのか」
「おうとも。久しいなぁ。マハク」
魔術師殺しを名乗るその男は、かつてマハクと継承を争った、ガルド・ルクシオーネに相違なかった。
これが、あのガルドなのか。
かつての美しい金髪は、汚く濁った鼠色に変わっており、自身に満ち満ちていた眼は、憎しみに歪みきっている。肌は焼け、口元には下卑た笑みが浮かんでいた。
「何故だ。お前はあの日、『
「かけなかったんだよ。親父は、俺に『忘却』をかけなかった」
そうかもしれない。
それは、この5年間、幾度となくマハクを苦しめた妄想の一つであった。
もし、ガルドが「忘却」を受けていなかったとしたら。
彼はきっと、
彼はきっと、どのような手段をとったとしても、復讐を果たそうとするはずだ。
マハクの予想は外れていなかった。
「ガルド、君は」
「マハク。貴様はあの日、俺に勝ったな。今思えば、確かに貴様の勝ちだったよ。紛れもなく、あの日の貴様は俺より強かった」
ガルドは、その身に纏わせた魔力を波打たせながら、マハクに言葉をかける。対するマハクも、聞き入るように振舞いながら、次の術式のために魔力を練り上げ始めた。
「だがな。だからこそ。俺は貴様に復讐すると決めたのだ。あの日の敗北を取り返すために。そして、貴様に勝利を与えた、あの糞親父に、自らの間抜けさをわからせてやるのだ」
穏やかな言葉の裏にある激情が、マハクに投げかけられる。
「ガルド、それは違う。デフルド様は、いつだって」
「俺がっ! 俺があれからどうやって生き延びたか、お前は知っているのか!!」
ガルドは激昂した。その怒りは、5年前の継承の日、マハクが感じ取ったソレより、遥かに深く、遠く、理解の及ばない感情であった。
「土を啜り、泥を這い、まさしく溝鼠として生きてきた。そうしてようやく気がついた。あの日、親父は俺を、既に見捨てていたのだと。俺に惨めな思いをさせるためだけに、魔術『溝鼠』を伝えたのだとなっ!!」
叫びながら、ガルドは両腕を目の前で交差させ、瞬時に左右に振りぬいた。双方の腕の軌跡から無数の煌めく炎塊が生まれ、前方に射出された。
魔術「
「『
何発か、自分に向かってくる「火焔」を撃ち落とすべく、マハクも数発の鋼の礫を射出する。と、同時に土の精霊素子を空間に撒き散らし、目隠しともなる魔術「土煙」を展開した。
そして、少しだけ逡巡し、マハクは詠唱破棄で「溝鼠」を発動させた。最早詠唱の必要がないくらいまでに、マハクは「溝鼠」を頻繁に使用していたのである。
マハクが「溝鼠」の使用を躊躇ったのは、ガルドに見破られたことを恐れたからではない。先ほど、ガルドが「溝鼠」を見破った手法については心当たりがある。
マハクが迷ったのは、ただ矮小な自身の性格のせいであった。5年前の、不意打ちのような「溝鼠」は、マハクにとっても苦い記憶であったのだ。
「違う! デフルド様は、君を失い、ひどく混乱されていた。師にとっても、思いがけない出来事だったのだ。予測など、たてられたはずもない」
「何を馬鹿な。仮にそうであったとしても、あの魔術、『溝鼠』をどう説明する。随分と役に立ったさ。裏社会で生きていくためにも、名を隠すためにも! ……まさに、日々の生活で俺は溝鼠となったのだ! そのような敗者の日々を、予想していたからこそ、親父は俺に「溝鼠」を習わせた!」
マハクの放った「鋼礫」を、難なく撃ち落としながら、ガルドは右腕を半壊した廊下の地面につけた。腰を屈め、しかし周囲に気を張っている。マハクの「溝鼠」を警戒しているのは明らかであった。
「貴様は、目眩しが得意だな。だがな、土埃に塗れるのは、俺の方が一枚上手だ」
ガルドは、詠唱破棄の魔術で風を起こし土煙を吹き飛ばした。隠れるものがなくなったマハクの姿が、月明かりにさらされる。
「見つけたぞ。『灼熱』、そして『灼噛』!!」
壊れた壁から、外に逃げ出していたマハクへ、爆発とともに赤い炎の鞭が向かう。直前で二つに分かれた炎の鞭は、顎門となりマハクの身体を両断した。
真っ二つに散っていく自らの身体から、マハクはまだ薄暗い空へと視線を移した。
戦闘の衝撃で、土煙は晴れている。マハクは今日が満月であると、今更ながら気がついた。刹那の間、月に見惚れ、そしてマハクは魔術を展開した。
「こっちだ、ガルド」
「なにっ」
ガルドの放った
「くらえ、『
「く。『
焼け焦げながら崩れていく泥人形の影より飛び出したマハクは、空中に残ったわずかな水の精霊素子と土の精霊素子を融合し、無数の石の針を、まるで雨のように振りかけたのである。
ガルドは、それでも瞬時に対応をとった。さらなる魔術を用いて、マハクの攻撃を防いだ。無数の簡易詠唱による様々な魔術である。あらゆる魔術の火が生み出される。石の時雨は、ガルドの魔術の前に焼き消され、どうしてもガルド本人にまで届いていなかった。
余談ではあるが、魔術の種類の豊富さとは、言わば対応可能な手段を増やすことである。優秀な魔術師は、何十という魔術を己がものとして扱うという。
事実、継承者となったマハクは、デフルドに何十、何百という魔術を教わった。そのどれをも、簡易詠唱まで可能にしたからこそマハクはこの修了試験を受けているわけだが、この戦闘においてマハクが使用した魔術は両の指で収まる程度のものだった。
命をかけた戦いにおいて、普段使い慣れていない武器を使うものはいない。それが、マハクにとっての魔術であった。結局、普段頼りにする魔術は十にも満たないものなのである。むしろ、より状況に適した魔術でも、実戦ではそれほどの効果をもたらさないであろう。
だからこそ、何十という魔術を実戦で用いるガルドの成長に、心からマハクは驚いていた。
マハクが持ちうる手札の中で、未だ一回も切っていない術式が、一つだけあった。それこそが、マハクの切り札であり、唯一この戦いを終わらせうる魔術だと、マハクは理解していた。
だが、安易な発動は、ガルドに対処されてしまいかねない。一度見られると、二度はないだろう。機会は一度のみ。実は、マハクは未だ飛び散った屋敷の破片に身を潜め、地面に顔をこすりつけるように隙を狙っていた。
空に回避し、石時雨を放っているマハクもまた、魔術で作り出した泥人形なのであった。
そうして獲得した余韻の中で、マハクは思考する。
「溝鼠」を用いて行った最初の一撃を、難なく防がれた絡繰は、おそらく小規模な感知結界なのだろう。つまり、5年前の継承の日、師デフルドが勝敗を決するために用いたある種の裁定の術式を応用することで、術式の発動を自動感知する構造なのであろう。
それは、言い換えれば、魔力体で構成された物体であれば、区別はつかないことを意味していた。故に、魔術でできた泥人形なのである。
「俺は! 貴様に! 勝つぞ!! 見ろ、この素晴らしき魔術式の数々を。私はついに到達したのだ。祖父も、父にも不可能であった、超越の存在。魔人に! 私はなったのだ!」
ガルドは吠えた。
そして、マハクは、確かに魔人なのかもしれないと、考えた。それほどまでにガルドの一撃一撃は、鬼気迫っていたのである。
だが、泣き言を言ってはおられない。
マハクは冷静に魔力を練り上げた。そして、ゆっくりと詠唱を開始する。魔人ともいうべきガルドに、彼が持つ魔術の中で唯一勝ちうる魔術式。
名を、「
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