第2話 魔導の継承

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 ――魔人。

 それは、究極の魔術を扱う者をさす。人とは存在を異にし、あらゆる面において超越した存在であるという。


 魔人の全ては曖昧模糊とした噂話や伝承、あるいは神話の中で語られてきた。かつて、多くの魔術師たちが志した、その研鑽の果てとしての象徴、魔人という言葉は、しかし、今では御伽噺のようなものと成り下がってしまっていた。


 そもそも、魔人などというものが、本当に存在するのであろうか。人々は疑い、あるいは存在を忘却し、悠久の時間の中に取り残されるだけであるように思えた。

 しかし、たしかに魔人は存在する。


 デフルドが、まだ幼き弟子の1人であったころ、同じく魔人を目指した同門の師の1人が、魔人へと「成り上がった」瞬間を、彼は目撃していた。あらゆる暴力をその身に纏い、力強く、魔導の絶頂を歩む姿に、幼きデフルドが何を思ったのか想像に難くない。

 かねてより、デフルドが学んだ魔術における系譜は、魔人を志すものであった。だからデフルドが、魔人を渇望したことは不自然なことではない。ただ、その身を焦がすような憧れや欲求が彼を歪めてしまったことは記しておこう。


 魔人。

 その甘美なる響きに、デフルドの心は囚われ続けていた。



-2-


「そなたらはすでに、魔導の一歩を踏み出す資格を備えておる。しかし、魔術とは、誰にでも開かれたわざではない! 我が半生の教えを、伝え受け継げるものは1人のみ」

「師よ!如何なる試練であろうとも! このガルド、見事乗り越えて見せましょうぞ」


 ガルドの自信に満ち満ちた言葉が、修練場に響き渡った。昨夜までの湿った雲は去り、心地よい春風が吹き込んでいる。


 デフルドたちは最後の試練のため、尖り屋根の塔の根元の修練場に集まっていた。師は、いつもと変わらぬ深い色のローブを身にまとっている。対して、弟子たちは、普段魔術の鍛錬に使用する安価なローブを脱ぎ捨て、分厚い生地の白い衣服を身にまとっていた。魔術師見習いの、正装である。


「うむ。期待しておこう。さて、マハクよ。貴様の心構えを聞いておこうか」


 ガルドの言葉にデフルドは頷き、マハクを見た。マハクの目の下には深い隈が刻まれている。師の問いかけに、何かを返そうと口を開きかけるが、見失った言葉を探すように、わなわなと唇を震わすだけで、沈黙を続けた。


「師の問いかけに、なぜ答えない。我が師を愚弄するのか」


 ガルドは、マハクの態度によって師が侮辱されたと訴えたが、どちらかと言えば、自らを軽んじられたように感じての行動であった。そんなガルドの思いに反し、マハクは更に一呼吸沈黙を続け、ようやく口を開いた。


「……師よ。愚かなるマハクは、この試練を辞退したいと考えております」


 それは、弟子として有り得ぬ発言であった。流石のガルドも、そして師デフルドも、しばし返事に困窮した。


「ならぬ。ならぬぞ、マハク。それは認められぬ。貴様の領域ではないのだ。我が魔術の、そしてわが師の、その系譜を汚す。いや、それ以上に、これは魔術師の儀式なのだ。どのような事態であっても、侵すことは認められん」


 デフルドの表情には、ありありと憤怒の心が浮かんでいたが、それを必死に押しとどめ、師としての振る舞いに努めていた。老いたデフルドは、自身の怒りをコントロールする術を身につけていたのだ。それでも抑えきれぬ怒りによって、たどたどしい言葉となったことくらいは大目に見るべきであろう。


 だが、ガルドは違う。父としても、師としても尊敬しているデフルドを、そしてガルド自身の拠り所である魔術そのものを、虚仮にされたのだ。少なくとも、ガルドはそう感じたのだ。


 そしてそれ以上に、ガルドは父デフルドが、たとえ刹那の間であっても、マハクの問いかけに対して困窮したという事実にこそ、憤慨していた。


 デフルドは、これまで通り当然試練でもガルドが勝ると確信している。十中八九、いや、百回試練を行なったとしても、九十九回マハクが敗北するであろうと予測している。だが万が一、あるいは。勝負事や試練というのは時の運。様々なる猛者を下してきた歴戦のデフルドだからこそ、まさに刹那の瞬間、迷ってしまったのだ。マハクの申し入れを受けてしまおうか、と。石橋を叩いて歩むことが可能であるなら、選べるのならば、と。


 言葉にこそしなかったが、むしろ、言葉にしなかったことで、それはより顕著に、雄弁に、ガルドに伝わってしまった。


 ガルドの怒りは魔力へと変換され、彼を取り巻くオーラを変貌させた。うっすらと体表に纏わりつく空気が歪み、髪は逆立ち、目は血走っている。彼がそのままマハクへと、跳びかからないことが奇跡のようにすら思える。


「……師よ。差し出がましいことを申し上げました。師が許して頂けるのであれば、この愚かなるマハクに試練を受ける資格をお与えください」

「道も知らぬ愚かな弟子を許そう。そして、貴様はガルドとともに試練を受けるのだ。私の名において命じよう」


 マハクは、ある種の諦観とともにデフルドへ許しを乞いた。やがて追い出される身なればこそとの思いが、マハクを突き動かしたのである。


「ああ、師よ。私にも試練をお与えください。この不埒な愚か者を、一刻も早く追放できる力をお与えください。誤れば、この魔力を、此奴に解き放ってしまいそうなのです」

「ガルドよ。それには及ばぬ。その熱量は、そのままそのうちへと蓄えるがよい。……では、この時まで秘儀としてきたが、ついに最後の試練を貴様らに与えよう。それは、貴様ら2人による決闘である!」


 デフルドが唱えたのは、あらゆる方法の模索を求められた魔術の修練において、唯一禁止され続けた弟子同士の決闘行為そのものであった。


「それは重畳! この怒りの炎を、一切留めることなく解き放てることは至上の喜び! 見せてやろう、マハクよ。貴様では到達し得ない、魔術の扉というものを」


 まさに水を得た魚のように、ガルドは吠えた。このところ、肌に焼け付くように感じていた苛立ちを、隠すことなくぶつけることができるのだ。彼は、口角を釣り上げ、邪悪なまでの笑みでマハクを捉えた。


 まさしく対極的に、心の底まで冷え切ったように感じたのはマハクである。くだらぬ茶番、つまらぬ結末、ソレへの憤りというよりも彼としては分かりきった結末を、わざわざ歩むという伝統が気に食わなかったのだ。


「ガルド様。度重なる失礼、お許しください。いずれ、追憶も失われると思えば」


 この戦いに敗れれば、マハクは破門であろう。のみならず、その記憶までも魔術で奪われる。魔導の秘密を守るゆえのしきたりであった。


「御託を抜かすな、この阿呆め。さぁ杖を構えよ。とく立ち上がれ」

「……2人とも距離を取れ。足元に印がある。そこまで下がるのだ。では、儂が結界を張る。それが決闘の開始であると知れ」


 ガルドは颯爽と振り返り、修練場の中心部、赤く土地が塗られた箇所へと歩を進めた。師デフルドとガルドの進む先を結んだ直線を、二等辺三角形の短辺とした時、結ばれる最後の点へと、マハクも歩き出した。2人の距離は、およそ7リン(*約50メートル相当)ほどになった。


 マハクの所定地と思しき、青く塗られた大地には、何代にもわたって染み込んだと思われる、深い血の跡が残っている。


 敗北者の立ち位置か。

 マハクは、苦笑した。勝ちの決まった決闘は、どうやら今代が初めてのことではないらしい。それでもあえて師が、最後のときまで試練の内容に触れなかったのは、せめてもの誠実さなのか。


「いや、違うな。おそらく、何の手立ても打たせないためであろう。鴨打ちの鴨は、歯向かわないことが美徳なのだ」


 マハクは、自嘲した。そして、哀れなる自分に笑いかけようとしたが、先のように上手に笑えない。デフルドの詠唱が完成し、その手から放たれた青白い魔力が半球状となって2人の弟子を包み込んだ。結界は完成した。


「双方とも覚悟はよいか」

「いつでも!」


 不意に、デフルドの声が響き渡る。ガルドは、躊躇いなく答え、マハクを睨みつけた。


「同じく」

「では、始めよ」


 そうして、マハクが頷いた瞬間に、デフルドは試練を開始した。途端に吹き荒れる魔力の渦。ガルドが、魔術を練り上げたのだ。


 術式構成が、見事なまでの素早さで組み上げられる。漏れでる魔力片から察するに、中範囲の火の魔術、それも攻性は十二分である。


「焼け死ね。『火焔かえん』!」

「……『土壁どへき』」


 マハクは、この決闘をどこか他人事のように捉えていた。彼にとっては、負けたところで失うものは何もない。すでに失っていたはずの、いわば借金を取り立てられるだけに過ぎないのだ。マハクには恐れが存在していなかった。

 ただ、彼は培った魔術の鍛錬の一環として、ごく普遍的な対処法として、ガルドの魔術に対する防衛魔術を発動した。土壁と呼ばれる簡易詠唱(ショートカット)は、ガルドの魔術(ほのお)より早く、マハクの前に生成された。


 赤い炎の塊が、マハクに向かって放たれる。遮るように現れた土の壁が、高温の一撃を即座に食い止める。

 マハクによる咄嗟の反応に、ガルドは舌打ちをした。たとえマハクがガルドよりも劣った魔術師見習いであっても、最終試練まで生き残ったデフルドの弟子であることに違いはない。改めてガルドは、マハクの強さに思い当たったように感じた。


「ちっ。『灼熱しゃくねつ』、『噴きこぼれる悪食の舌よ。そのあかきをもって、とく燃えよ。灼噛しゃくごう』」


 ガルドは、得意の簡易詠唱と、短小節詠唱スモウラル・マギカを組み合わせ、マハクの回避を阻止しようとした。


 灼熱によって生み出された広範囲の熱量が、土壁を回り込み、あたりに火属性の精霊素子エレメントを撒き散らす。


 エアに漂う精霊素子は、同属性の魔術にとって起爆剤のような働きをする。ガルドが好んで用いる連撃の魔術である。


 散らばった精霊素子が、まるで無数の火の粉のように、煌めく赤い光を生み出した。それらを飲み込み連なる爆炎が、蛇か悪魔の舌のようにマハクに向かって疾る。土壁をも噛み砕き、後は一直線である。


「『土壁つちか……、いや『鉄棺てっかん』」


 対するマハクは、どこまでも冷静に魔術を行使した。「鉄棺」は、彼が持ちうる手札の中で、最も安定する防御魔術である。土ではなく、魔力によって生み出された鋼鉄の板がマハクを覆うように四方から飛び出し、棺となって彼の姿を隠した。


 だが、それは悪手であったと言わざる得ない。ガルドはほくそ笑み、追撃の魔術を解き放つ。


「莫迦がっ! 『業火ごうか』!」


 はじめに放った炎より、数倍の大きさを持つ塊がマハクの棺を、真上より叩き潰した。鉄の砕ける音と、融解する音が混じり合い、ちょうど汁気の多い果物を打ち砕いたような濁った音が響く。


 ガルドは勝利を確信し、デフルドでさえホッと胸を撫で下ろした。しかし、そこで師は気がつく。結界の中、ガルドの足元を満たす、濃密な白い霧の存在に。


 マハクはその時、ガルドの背後に迫っていた。


 何もかも投げ出したマハクは、それでも自暴自棄になるわけではなく、ただただ冷静に状況を判断できたのだ。そうして、マハクがたどり着いた答えは、あの暗がりの魔術、「溝鼠どぶねずみ」であった。


 魔力の棺が組み上げられる寸前に、マハクは術式を唱え、地面へと伏せた。適度に伸びた草叢に、紛れるように這いつくばったマハクは、水の魔術「霧煙むえん」をくみ上げる。爆炎と轟音と、足元に伝わる白い霧を囮とし、マハクはガルドの背後に忍び寄ったのだ。


 ああ、殺せるな。

 背後に周ったマハクは敵の首元を見ながら、全くの感慨もなくため息をついた。


「ははは! 俺を愚弄するからだ、うつけ者め! 今日までに与えられたものを感謝しながら、炎に焼かれて生き絶えるが良いわ」


 さて、ガルドの隙だらけな背中を見ていると、マハクでも魔術の一つを撃ち込んでやりたくなる。だが、それでもなお、マハクの胸にあったのは、果たして自分が勝利しても良いのか、という葛藤であった。


 彼はガルドほど生死や魔術に執着していなかった。だからこそ、ガルドの魔術に対し、冷徹な判断が可能であったのであろう。マハクは、手のひらに魔力を集中させ、小さく呟いた。


かたどれ、『石造せきぞう御劔みつるぎ』」


 手に造られていく石製の劔が、一定の大きさになったのを確認して、ガルドへと斬りかかる。と同時に、魔術「溝鼠」の魔力を、あたりに霧散させた。


「なっ?! くそ、か『火焔』!」


 突如現れた魔力の存在に、驚きながらもガルドは魔術を発動した。背後から迫る石の劔に、炎の塊を撃ち込むが、すでに近距離の間合いであるため、効果は薄い。


 身体を逸らし、倒れこむようなカタチでガルドは劔を避けようとした。マハクは、劔に送り込む魔力を調整し、ガルドの手前で一撃を振るう。


 鼠色をした石の塊が、ガルドの首の表皮を舐めるように通り過ぎる。薄皮一枚を傷つけただけに終わってしまった。


 取り乱し、みっともなく倒れ込んだガルドは、その場に適した魔術というよりも、つい自らが得意とする術を選んでしまう。


「『火焔』! 『火焔』!!」


 連弾を躱し、マハクは魔力を練り上げる。わざと見せびらかすように構えた剣を、一呼吸ののちに振り下ろした。


「し、『灼噛』!!」


 ガルドの手のひらから生み出された、か細い火の舌がマハクの劔を溶かし、切断した。思いがけず・・・・・・反撃を食らったマハクは、体勢を崩しガルドに背中を見せてしまう。

 それを好機と見たのか、ガルドは最大級の魔力を練り上げて、高度な術式を展開した。


「死ね!『焚きつける火、燃え尽きる炎。逆巻け、火竜の牙』!!」


大気中の水分が蒸発し、火の精霊素子が打ち震えるような魔術であった。あまりの熱で、白く発光する炎の竜が、マハクを睨みつけた時、勝負は決着を迎えた。


「……そこまでだ。ガルドよ」


 低く、深い声色で、師デフルドは2人の弟子の争いを食い止めた。ただ声帯を鳴らしただけであるはずなのに、その場の空気は全てデフルドの手中に収められてしまったようであった。驚いた様子で振り返るガルドの顔には、明らかに大粒の汗が伝っていた。火の魔術によるものではないことは、明白である。


「師よ、何故ですか! この一撃で、何もかもが終わりまする」

「その魔術は必要ないと申した。すでに勝敗は決したのだ」


 憔悴しきったデフルドの文言に、言い知れぬ不安をガルドは感じていた。しかし、師の言葉は絶対である。彼は組み上げた術式をほどき、魔力を霧散させた。

 途端に、火の竜は崩れ、数秒後には何事もなかったのように、青々とした空が映るばかりである。魔力で造られた熱量は、もはや感じることすらできなかった。


「……頭を垂れよ。継承の儀を終わらせよう」


 デフルドの言葉に、2人の弟子は片膝をたち頭を下げる。未だ納得のいかないデフルドは、汗ひとつかいていないマハクを睨みつけた。


「双方左手の甲を捧げよ。そこに、継承者の証が印されておる」


 そして、2人は左腕を師に掲げた。


「なっ?!! 何故だっ! き、貴様ァ」


 複雑な紋様である。いくつかの曲線と、直線で構成された魔術師の証が、マハクの左手に浮かんでいた。見ようによっては、黒い鈴のような形をしている。

 ガルドのさらりとした美しい手の表皮には、ただ、汗が流れていた。


 「……この結界は、単なる魔術防壁ではない。我らが魔術の継承を行うために、独自に組み上げた調査魔術でもあるのだ。如何なる機構が働くのか、いずれにせよ辿り着くのは勝者のみ。この魔導が、マハクを勝者と選んだのだ」


 デフルドは、しかしどこかでこう考えていた。ああ、やはりこうなったか、と。

 まだ幼き孤児であったマハクが、人買いによって屋敷に連れられてきたその日、その時にデフルドが感じた不安の種が、今日この時に実を結んだのだ。


 「しかし、そんな、わた、私が。あり得ぬのだ。このようなことは、あり得ぬ。そうだ、マハク、貴様が企てたのだな。貴様がっ!!」


 マハクもまた呆然と、師の言葉を聞いていた。他人事のような決闘は、それ以上に余所余所しい結果をもたらした。だが、マハクは同時に自らの中に眠っていた仄暗く邪な感情に気がついてしまっていた。あり得ぬ結末に驚き恐怖する愚かなマハクを、演じるべきなのだ。


 それでも、いったい誰がマハクを責められるだろうか。親はなく、ただ機構の一部として育てられ、味方もない。ただ無為に死ぬことだけを求められた彼の人生に、一度だけさした光明を喜んでしまった心の弱さを。誰が責められるものか。


 それでも、彼は自制して師に訴えかけるように顔を上げた。


「……師よ。あのままでは、確かに私はガルドに焼かれておりました」

「黙れ! 何か仕込みを使うつもりか! 師よ! 我が父よ! これは無効、そう無効なのです。奴が何か怪しげな魔術を用いたに違いありません! 卑怯な、暗がりの……そうだ。暗がりの魔術を! 魔術師にあるまじき、誉なき業を使ったに違いない!!」


 ガルドは、マハクの言葉を遮り、父へと訴えた。デフルドの表情は、いつもよりも皺を深くし、泣き出す前の赤子のようであった。だが、彼は魔術師なのだ。ガルドという息子の父親である前に、そして、ヒト種の生物である前に、彼は魔術師なのだった。


「もう良い。儂は疲れた。これにて試練は終わりとする。儀式の勝者は、マハクだ」

「父上っ!!!」

「マハクよ。儂は、敗者に『忘却ぼうきゃく』の魔術を施さねばならん。先に部屋へと戻っておれ」


 その時になって初めて、2人の弟子はそれぞれの身体が自由に動かないことに気がついた。師は儀式が終わったと口にしたが、2人にかけられた決闘の結界魔術は、未だ能力を発揮しているようであった。

 マハクの身体は1人でに動き出し、短く一礼をすると、叫び続けるガルドを背に、塔の館へと歩き出した。動かし辛い身体の中で、マハクは考える。果たして、決闘の結界はどこまでを見通していたのだろうか。


 マハクはすでに、死を覚悟していた。だからこそ、四度にも渡る隙をガルドに与えて戦っていた。そうすることで、ガルドに勝利を授けようとしたのである。

 しかし、愚かなマハクは気がつかない。命をかけたやり取りにおいて、わざと相手に打ち込まれる隙を与えうるという行為そのものが、2人の間にある断絶した力量差を表している事実に。

 魔術、「溝鼠」を習得した夜に、マハクの中で魔術に対する意識が変わってしまっていた。美術品や骨董品のように取り扱うガルドと異なり、マハクは魔術が単なる道具であるように扱ったのだ。

 魔導の第一歩を進んだのは、間違いなくマハクであった。


 マハクは、その夜眠れなかった。屋敷の庭で、いくらか争うような声が聞こえた後、夜はいつも通り静かになった。これからの生活や、ガルドの明日を考えると、マハクの胸は潰れてしまいそうに締め付けられるのだ。


 ただ、魔術を使ってガルドを追い詰めたあの瞬間の表情だけは、なぜかマハクの心を軽やかにするようであった。

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