第78話 弱っていると抗えない

 にしても気持ち悪い……ねぇ。

 改めて他人に言われると、自分でもそう思ってしまうところがあるということに気付いてしまった。自分は男から女に変わったと思ってたが、もしかするとそうじゃない可能性がある。目覚めたときに元々の自分の服を着ていたのは確かだが、途中経過がわからないので断定できないのだ。


 あれから家に帰って、今は自室のベッドの上だ。お風呂も入ってあとは寝るだけなんだが、どうにも眼が冴えて眠れない。


「目が覚めたらこうなってたからなぁ……。正直、魂だけ別人に入り込んで動かしてるって言われても否定できないな……」


 じゃあ男の姿をした自分はどこ行ったんだって話だが。それにしても、俺は本当に五十嵐圭一なんだろうか。

 佳織から話を聞くまでは考えたこともなかったが、言われてみればまったくもって否定する根拠がない。魂じゃないにしても、自分の記憶がコピーされているだけで、この体には本来の持ち主がいるとかね。


 考え方をファンタジーちっくな方向にもっていくと、いろいろ仮定が浮かんでキリがない。目が覚めたら女になっていた現象自体がファンタジーなのだ。仮定は仮定だが、ありえないとバッサリ切り捨てることもできないのが辛いところだ。


「はぁ……」


 あー、なんか今日はダメだな。余計なことを考えすぎる。

 佳織たち三人は、俺は俺だと言ってくれた。それはありがたいとは思うんだが、じゃあもし俺の目の前に、男の姿をした俺が現れたらどうなるんだとかね。


 もちろん三人のことは信じてるさ。だからこそもし三人に俺が非難されることがあるんなら、俺は五十嵐圭一じゃなかったってことだろう。


「……あーやめやめ!」


 考えても結局根拠のない仮定が出てくるだけだ。最終結論なんか出るわけがない。

 よし、寝るぞ! おやすみ!




「どうしたのよ圭一……。顔色悪いわよ?」


 翌朝、学校に行くのに家まで迎えに来た佳織と顔を合わせ、真っ先に掛けられた言葉がこれだ。正直言うと、やっぱり眠れなかったのだ。


「そうか……? ちょっと眠いだけだから大丈夫」


「そ、そう……? あんまり無理しないでね?」


「あーうん」


 考えてもわからないことは考えない主義ではあるが、どうも今回のことはダメなようだ。小さい頃に佳織と遊んだ記憶とか、中学の頃に虎鉄とバカやった記憶とかはもちろんちゃんとある。自分が自分であることに特に違和感はないのだ。


 ……だったらいいんじゃねーかって気はするんだがな。


「佳織」


 二人並んで駅へと向かいながら、ふと名前を呼んでみる。


「ん?」


 呼びかけるとこちらを振り向いたので、そのままじっと佳織の顔を見つめる。いつ見ても佳織の顔は変わらないな。いつもの佳織が傍にいるというのはなんというか、すごく安心する。


「何よ……」


 何も答えないでいると、佳織の眉間にだんだんとしわが寄ってきた。と同時に頬がだんだんと赤く染まっていく。


「なんでもない」


「はぁ? ……だったらなんで呼んだのよ?」


 いつものツッコミが返ってくるってことが心地いい。いつもの佳織が目の前にいるってことだから。

 ここまでくればちょっとは認めてもいいかもしれない。


 ……俺には佳織が必要なのだ。

 少なくとも自分の精神安定剤として、佳織をいじる必要があるのだ。うむ。


 でもそういえばいつもの佳織といえど、俺が女に変わってから佳織も変わったところがあるのも確かだな。少なくともスキンシップは増えたと思う。べたべた触ってくる静に触発されたってのもあるかもしれないが。


「なんだよ。名前だけ呼んじゃダメなのか?」


「……へっ?」


 それにしても、どこまでやったら佳織はいつも通りじゃなくなるんだろうか。


「佳織」


「いや……、えーっと……」


「佳織?」


 いきなり焦りだした佳織に詰め寄り、「名前を呼んでるだけなのにどうしたんだ?」という意味を込めて疑問形で首をかしげてみる。

 気が付けば歩みは止まり、お互い向き合う形になっている。


「け、圭一?」


 耳まで真っ赤に染めた佳織が一歩後ずさる。まばたきを繰り返してしばらく考え込んだ後、後ずさっていた足を戻す。そして意を決したとでもいうようにこぶしを握ると、覚悟を決めたのかわからないが、そっと目を閉じた。


 ……なんなんですかねこのシチュエーション。いつものツッコミを入れる佳織と違う反応な気がするが、これはこれで悪くないと思ってる自分がいる。

 というかいつもと違って佳織が可愛く見える。

 なぜだ。


 にしても自分の心臓の音がいつもより大きく聞こえる。なんだこれ……、ちょっと頭がボーっとしてきた。


 よくわからないまま一歩近づく。

 じっくりと佳織の顔を観察してみる。閉じられた瞳から見えるまつ毛は長い。すらっとした鼻筋に、赤く染まった両頬をよく見れば、どうやら薄化粧をしているようだ。

 ふっくらとして艶のあるピンク色の唇はすごく柔らかそうだ。


 吸い寄せられるようにさらに佳織へと近づいていく。

 俯き気味の佳織へ届くように背伸びをして。


 ――そのまま唇を重ねる。


「ん……」


 しばらく柔らかい唇を堪能していると、佳織から洩れてきた吐息で我に返った。

 慌てて佳織から離れて様子を伺っていると、ゆっくりと閉じられていた瞳が開かれる。その瞳は非常に潤んでおり、今にも零れ落ちそうだった。

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