エピローグ(3)

 二年という月日もまたあっという間に流れた。


 正確には一年と少しだが、いよいよ最終選考の段階に入り、俺は最後の判断をしようと各地へ訪れていた。


 最初に訪れたのは、名古屋。


「——だが断るにゃん!」


 いきなり前途多難である。


「怪我はもういいんだろう?」


「それはそうだが、チームを捨てた男の元鞘に収まる気はないにゃん!」


「……お前もそうだろうに」


 名古屋に移籍した環は怪我での離脱があったものの、不動のトップ下としての地位を確立していた。正直彼女ほどの人材は他にいない。


「そりゃ、金を出してくれるところに行くのは当然なのだ」


 俺は、環に耳打ちをした。


「一試合当たり、これだけ出る」


「にゃにゃん!?」


「さらに優勝賞金はこれだけ」


「月みん、気が変わったのだ」


「現金なやつ……」


「猫に小判だにゃ」


「価値分かってねーじゃねーか!」


「そうと決まれば善は急げ! さっさと出発するのだ!」


 そうして一人目を確保。





 続いてやってきたのは大阪。


「——ほほう、ついにツインテ貧乳ヒロインの素晴らしさを全世界に布教する時がきたんやで!」


 ちなみに杏奈はレッツ大阪ファンのおかんのため、移籍していた。


「あーでもあれだ。今日のゲームで良いところがなかったら、やっぱ辞めようかな」


「そうは言いつつも、ツンデレさんってことはわかってんのや。今のウチの通り名、知っとるか?」


「さあ?」


「サニーサイドアップ! ドヤ、カッコええやろ!」


「……」


 どうしよう、杏奈ちゃんに残酷な事実を教えてあげるべきか。


 と思っていると夏希が残酷な事実を告げた。


「ただの目玉焼きですね」


「え……だってサイドで、アップで、サニーは晴れ……やんな?」


 俺も夏希も目を合わせられなかった。


 杏奈はこの日、いいところがなく、途中交代だった。


「……ま、元気出せ。世界で汚名返上しようぜ」


「やっぱ監督はんだけがウチの理解者なんやで〜」


 二人目確保。





 続いての川崎での目当ては心美だ。


「いいよー」


「はや!」


「だってそれって、また皆んなとできるってことでしょ?」


「まだ決定じゃないが」


「でも、監督が頼るのは私たち、しかいないよね?」


「心美には敵わないな」


「今ならさ、もっとやれると思う。ススさんのプレイを間近で見て、私、あの時以上に力になれると思うから。ううん、むしろお願いさせて欲しい。どうか一緒に戦わせて」


「ああ、頼りにしてるぜ」


 健気なわんこも確保である。





 続いてはTGA。


 はっきり言って、イシュタルFCの主力を大量に引き抜いたこのチームは相応の報いを受けてもらおうと思っていた。


 選手控え室に通じる通路を歩いていると。


「あれ、ツキツキ」

「おや、ケンケン」


 と、声を揃えたのは、木崎姉妹。相変わらずなコンビネーションの萌と芽。


「ゲーム前に昔の男がやってくるのは不吉」

「捨てた女に会いにくるなんて早くも離婚の危機?」


 健吾さん、と夏希さんが厳しい視線を向けてくる。


「……変な誤解を生むような発言はしないでくれ。というか、あれ?」


 と、夏希に目を向けると、彼女は明後日の方向を向いてならない口笛をひゅうひゅう。


「プライベートは筒抜けだから」

「プライバシーなんてだだ漏れ」


 ネットワークオソロシス。


「それで? 一体何しにきたの?」

「さてはTGAのスパイ?」


「なんでだよ。俺は代表監督として、君らを誘いに来たんだ」


「へー」

「ふーん」


「じゃあ愛してるって言って」

「好きだぜと言ってくれたら考えなくもない」


 俺は夏希に視線を向けた。

 ニコニコ笑顔だった。


 嘘はつけないので、俺は土下座でお願いした。


「お願いします招集に応じてください」


「まあ、主従関係をはっきりさせられたから応じてあげる」

「今日から月見は私たちの奴隷」

「ん、でもそうなると、皐月も?」


 TGAは元イシュタルFCのゴール前三人を引き抜いたのだ。


 と言っていると、皐月に出会した。


「あれ監督じゃないか。こんなところで……さてはついにボクを攫いに来たんだな!? ああもちろん、ボクも愛してるぞ! さあ、駆け落ちといこうか!」


 なんか、木崎姉妹のノリに染まってね?


 めんどくさそうになりそうな予感がした時、部屋から出てきた結城学と視線があった。


「ああ、月見くん。久しぶりだな……」


 見ない間に結城さんはげっそり痩せ細っていた。


「……大丈夫か?」


「さすがにクラブと代表の兼任は胃にきたよ……なんとか退院はしたが、ご覧の有り様さ。まだ体重が戻らない……」


「そんなあんたに気の毒ではあるが、こいつら三人を借りる」


「……ああ、好きにしてくれていい……その準備も一応は……すまん、トイレに行ってくる」


 結城はゾンビのような足取りで消えて行った。


「……あの人大丈夫だろうか」


「今年で引退する噂もあったりなかったり」

「最高成績が二位で終わってから中堅どころをふらふらしてて、そろそろ交代案も出てきてるらしい」


「なんかいろいろ不憫だな……」


「勝負の世界は厳しい」


 結城さんには悪いが、ありがたく借りることになった。





 そして俺は古巣に戻ってきた。


「——塩! 真賀田監督! 塩を撒きましょう!」


「ええ、宮瀬コーチ! この男がウチの敷居を跨ぐのはなんとしてで阻止せねばなりません!」


「扱い酷くない!?」


「だってあなたは降格の危機にあるウチから主力を引き抜く気でしょうに!」


「断固阻止! 絶対防壁!」


 二人は体を合わせた動きを見せる。


 真賀田&宮瀬コンビの絆はさらに強力になっていた。


「コーチ、監督」


 と、優しく声をかけたのは由佳。


「お二人が反対しても、月見監督が誘ってくれるなら、私は行きますよ。ね、香苗?」


「とーぜん」


「ぐ」

「ぐぬぬ」


 真賀田&宮瀬は歯軋り。


「……あー、えっと、そのー、非常に申し上げにくいんですが、舞と彩香もできたら……そのですねえ……」


「月見元監督の鬼!」

「鬼畜月見氏!」


「でもさ、真賀田さん、宮瀬コーチ。必ず選手をレベルアップさせて返すから」


 すると二人は表情を緩めた。


「そうでなければ許しませんよ」

「変な癖つけさせたら抗議文章叩きつけますからね!」


「そういえばさ、由佳は今——」


 と俺は目を向けた。


「うん、今CBやってる」


 守備の中心をTGAに引き抜かれて、由佳は新しい挑戦をしていた。もちろん香苗や他の選手だってあの日から現状維持に満足はしていない。今のU-23の中で公正に公平に、判断した結果、彼女たちが必要だと改めて思ったのだ。


「また新しいことができそうだな」


 これで国内組はある程度固まった。


 続いては海外だ。





 まずやってきたのはイングランド。


 フィジカルと激しい球際の攻防をするイングランドから声がかかったのは、かつてのエーストライカー。俺と夏希はその試合を観戦して、やはりウイングを任せるのは彼女しかいないと確信した。


 試合後、俺は紫苑に声をかけた。


「またひとつ、レベルアップしてたな」


「当然よ。そっちこそ、案外早く決まったじゃない」


「ま、ピンチヒッターではあるが」


「それで? 何か言うことは?」


「君が欲しい」


「私たちのために両ウイングは空けているんでしょうね?」


「どっかの誰かはフル代表に呼ばれてたのに、断ったらしいな?」


 紫苑は頬を染め、「し知らないわ、そんなバカは」とツンデレを披露。


「だが君だってスタメンが確約されたわけじゃない」


「素直じゃない。世界のレベルを間近で見た私が断言してあげるわ。月見の理想の選手を集めても、世界には届かない。あなたが思っている以上に、世界のサッカーは進化を続けているの」


「ぜひ生で見た世界とやらを教えて欲しいものだ」


「で、あの子にはもう声をかけたの?」


「これからだ」


 すると紫苑は嬉しそうに笑った。


「ほんと、何年ぶりかしら。もう一人の天才と一緒にやれるのは」


 その天才に会いに、俺はスペインへ向かった。





 普通に一般客として席につく。


「すごいですね……」


 と、夏希は地元新聞を見て、感嘆をあげた。


「こっちじゃ不動の10番として絶大な人気を誇っているらしい」


「本当にすごくなりましたね」


「ああ」


「……今でも思うんです。あの時、彼女に押し付けた罪をどうやって償えばいいのかを」


 その10番がコートに入った時、観客から大きな歓声が上がった。


 ファンの声に応える鹿野紬は手を振って、はたと視線を止めた。


 俺たちに向けたのか、ピースサインを見せる紬。


 きっと、世界で戦うには彼女の力が必須。


 そう思わせてくれるほど、俺たちはその日のゲームに酔いしれた。





 最後はドイツだった。


 今回はゲーム開始のかなり前に到着し、驚かせてやろうと思ったが、なかなか見つからなかった。諦めて、試合後に連絡でもしようと思っていると。


「かーんとく」


 呼ばれて振り返るが、見知った顔はなかった。


 気のせいだろうと思っていると、袖をつんつんとされた。


「どこ向いてんの? こっちだよこっち」


 俺は首を傾げた。


「えっと、どちら様でしょうか?」


「ひどくない!? 私だよ私! 監督の愛人の!」


 ひどい誤解だ。


 だが。


「……もしかして、真穂なのか?」


 その選手に、あの日見た小柄な面影はなかった。


「もしかしなくても真穂なのです」


 すらりと背が伸びて、面立ちも垢抜けていて、ぐっと美人になっていた。


「たった二年でそんな急激に伸びるもんなのか? ……もしかしてドーピングとかしてないよな!?」


「するわけないよ! ナチュラルだよ! 遅れてやってきた成長期なの!」


 ああでも、彼女は真穂だ。


 久しぶりの再会に、真穂と夏希はキャーキャー言って盛り上がっていた。


 二人の感動にひと段落ついて真穂は俺に疑問を向けた。


「ところで監督」


「ん?」


「何しに来たの?」


「わかってる癖に」


 すると真穂は悪戯っ子の笑みを浮かべた。


「もう昔の真穂とは違うから」


「そりゃ楽しみだ」


「今度も私が連れて行ってあげるね」


「さてな、今日の結果次第かな」


「試合が終わったあと、きっと監督は土下座して頼み込むよ」


「身長だけじゃなく、口もでかくなったな」


「なんて言ったって、有言実行の監督の愛弟子だからね」


「期待して待ってる」


「行ってきます」




 その日のゲームはサッカーファンの間でちょっとした伝説となった。

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