エピローグ(2)

 それからの一年はあっという間に過ぎた。


 いかに自分が感覚だけでやっていたかを、オットン・ハイマー監督の元で思い知らされた。けれど毎日が新鮮で、毎日が挑戦で、彼と戦術論やサッカー論をぶつけ合う日はとても充実していた。


 まだ自分が上へ行けることが嬉しかった。恩師から吸収できる日々が楽しかった。


 しかし時々思い出す。


 あいつらは今どうしているのかと。


「——君はゲーム前、いつも東の空を見上げている」


 ハイマー監督がそう声をかけた。


「まるで、故郷に残した恋人に想いを馳せるようだ」


「その通りだよ、ボス」


 風の噂によれば、存続の決まったものの主力組の抜けたイシュタルFCは降格濃厚らしい。真賀田コーチ――いや真賀田監督はチーム再建に苦労しているようだが、あの人のことだ。きっと大丈夫だろう。


「俺が愛して止まない十一人の——いや、十八人の元恋人たちだ」


「君は誠実そうな風をして……とんだ浮気男だ。それに、ではないのかね?」


 俺は首を傾げる。


「さっき、綺麗な日本人女性が君を訪ねにきた。確か、ミス・サタケと言ったか——」


「その人はどこに?」


「ユニフォームを買っていたよ。まだいるんじゃないか」


「少し話してくる」


「ゲーム前だ、程々にしてくれ」


「あんたがいれば十分だろう?」


「君のイマジネーションを必要とする瞬間は必ずしもやってくるだろう」


「ハーフには戻ってくるさ」


「……やれやれ。まったく君という男は。もう戻ってこなくて良いぞ」


 そして俺はスタジアムの外に向かった。


 試合が始まって、スタジアムの外にほとんど人はいなかった。いたとしても、犬の散歩をする男や、客の居なくなって暇そうにしているショップ店員くらいだった。


 ふと目を向けると、公園で少年少女たちがボールを蹴っている中、大人の女性がひっくり返っているのが見えた。


 相変わらずだな、と思いながら近づいて手を差し伸べる。


「上達した?」


「ご心配なく。これでも成長著しいのです」


 佐竹夏希を引っ張り上げる中、脇を少年が抜けて行ったので、火のついた俺は大人気なく追いかけてボールを奪取。これまた大人気なくテクニックを披露して、ペットボトルで作られたゴールへ駆け抜け——ようとしたところで、佐竹さんが立ちはだかった。


「俺と勝負しようなんて百万年早いぞ?」


「もし私が勝ったら、私の要求を飲んでもらいます。私はこの日のために政治力を駆使したのです」


「勝負に勝ったらな」


「逃がしませんからね」


 俺は肩をすくめ、突破の大勢に入った。


「私を代表監督の専属マネージャーにしてください。プライベートも含めて」


 抜きかけたその時、彼女はそう言った。


「……今、なんて?」


 しかも突っ込みどころが二つある。


「これは決定事項です。今から二年後のオリンピックに向けて、協会はあなたへ女子ユース代表の監督を打診しにきました」


「……そりゃまた急な話だな」


「月見さんもご存知かもしれませんが、U-23の監督であった結城学氏が急病のため、後任を今すぐにでも選ばなければならないのです」


「……またあの人の尻拭いかよ!」


「もし受けていただけるのなら、選手の選考は月見監督の一存で決められることを約束させました」


「……どのみち俺に逃げ場はないんだろ?」


「その時はその時です。さて、勝負しましょう!」


 俺は走り出した。


 佐竹さんも同時に動き出した。


 これまた大人気なく、揺さぶりをかけて、抜き去ろうとした。


 が。


「……佐竹さん、それファウルだから」


 俺の体をガッチリホールド。


「もう離しませんから」


 俺は嘆息をつく。


「……参った。降参だ」


「それはつまりプロポーズ的な解釈でいいんですね?」


「……好きにしてくれ」


「これはもはや月見夏希が決めた奇跡のゴールと言っても過言ではありません」


「俺的にはオウンゴールな気がしないでもないが」


「ねえ、月見さん。今度は私も一緒に連れて行ってくれますか?」


 思えば今日の日があるのは、この人に拾われたことから始まった。


 彼女がいなければ今の俺はいない。

 断る理由なんてなかった。




「ああ、一緒に行こう。世界へ」

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