軌跡(13)
川崎との激戦を終えた夜、俺は例の如く結城さんといつものバーへ来ていた。
「——これで、一気にリーグ三位か」
「TGAは二位らしいな」
本日行われた鹿島とTGAの一戦は共に引き分け。負けた川崎が首位を陥落して、大阪がトップに躍り出た。
「上位五チームは、ほぼ勝ち点差なし。いよいよわからなくなってきた。イシュタルFCがトップ相手に怒涛の連勝を決めてくれたおかげで、上との差は縮まった。ナイスアシストと言いたいところだ」
「言っておくが結城さん、俺たちは最後まで勝つ気でいる」
「ああもちろん、そうなって欲しいものだ。最強のチャレンジャーとして、連勝に土をつけるのは——」
「俺たちってか?」
結城は微笑んだ。
「残り四ゲーム。俺たちTGAはまだ上位チームとの戦いが残っている。イシュタルFCに倒されたチームは限界を超えて俺たちを食いに掛かるだろう。今の段階では正直、勝ち切れるかは微妙なところだ。だが俺は断言するよ、そうした最強の相手を倒した先に、俺たちはさらに強くなる。君たちがそうしてきたように」
「去年の冬、あんたがチームを去って、今が出来上がった」
結城は肩をすくめた。
「……そうそう、オットン・ハイマーの居所がわかった」
「そうか」
「君のことを話したら、ぜひ監督同士で食事をしようとのことだった」
結城は番号をメモした紙を渡した。
俺は無くさないように財布へ忍ばせた。
「なあ月見くん」
そう言って、結城はたっぷりと間を開けてからチェス盤に手を伸ばした。
「サッカーとボードゲームはよく似ていると思わないか?」
「俺は将棋の方が好きだが」
「外国かぶれで悪いね。付き合ってくれ。こうして君と監督同士で語り合うのも最後かもしれんしな」
「俺は監督を辞めるつもりはない」
「だけど、」
そこで結城は言葉を切った。
「次にいつ会えるかもわからないのは事実だろう?」
すると結城は穏やかだった表情を翻し、真剣な眼差しを盤にむけた。
結城はc5を指した。後手がよく使う手だ。いわゆるシシリアン・ディフェンス。
ナイトが展開するまで滞りなく流れて、結城はe6にポーンを突いた。結城らしい指し手だ。低く構えてカウンターに備える手法。
俺は定石を崩しながら、結城を揺さぶりにかける。
「君はそういうサッカーが好きらしいな」
「サッカーは自由であるべきだ。俺の価値観を変えてくれた人がそう教えてくれた」
「ハイマー監督か。まさかハイプレスとパスワークでの理論サッカーの最前線にいた人間の言葉とはにわかには信じがたい。ただ、俺も戦術を浸透させて、彼がなぜそう言ったのかを分かった気がするところまではきた」
結城は盤上を指差した。
「わかるか、月見君? サッカーとチェスはある部分では似ている。いかに選手という駒を効率的にミスなく動かして、ゴールにチェックをかけるかという代物だ。しかしもちろん選手は駒ではない。その点で、サッカーという盤上は自由な駒を配置して戦わせるボードゲームと言えよう」
俺はチェス盤を俯瞰して、状況が不利に変わりつつあったことに気づいた。
「結局、数々の名監督が築き上げた定石は強い」
何か、突破口を――。面白そうな手はないか――。
思考を深くする。
そして俺は特に意味のなさそうな手を打った。
「そう、君は土壇場でそういうことができる。現役時代、天才と呼ばれた所以は、誰も思いつかないことをした。相手にとってそれは知らないものだから、対応が遅れる。君は持って生まれた瞬発力という才能で、その対応の遅れを突いた。トリックは簡単さ」
そう、俺は自分でそのことに気づいた。
相手が同じレベルで思考の速さを持っていれば、俺の能力は打ち消されてしまい、つまりは見えなくなった。それが俺の現役を退いた本当の理由。要するに通用しなくなったのだ。対応されて。研究されて。
天才でもなんでもなかった。
その事実に気づいた時、俺は現役を退くことにした。
「もちろん持った才能を磨いて、それなりに世界で通用はしただろう。あるいは月見健吾という選手を活かそうと考える監督がいたとすれば、君はシステムにフィットして、あの時以上の軌跡と結果を残していたかもしれない」
「でも俺はそこで辞めた。だから監督になった」
ネガティブな選択だった。
佐竹さんに見つけてもらった時俺は、自分の居場所がありさえすればいい——そう思った。
「君は、自分が見られなかったその先を見るために監督になったんだろう。自分と似た選手に、月見健吾という幻想を重ねたのだ。もし月見健吾に月見健吾を生かそうと考える監督がいたとしたら――」
一体どんな景色が見られたのだろう。
初めて真穂を見た時、そんな可能性を思った。
あいつらとこの二年を戦って、俺は後悔など一切していないばかりか、幸運だったとすら思っている。もう見えなくなってしまった世界を今日、再び見て、本当に感謝している。
「ここまで君は模索し続けた。試し続けた。失敗を重ねて、しかし今度は逃げずにここまできた」
結城は、まるでコンピューターのようにミスのない手を続けた。
「俺は答えを見つけた。おそらく君も同じ答えにたどり着くと思っている。チェスは同じ駒を使うがサッカーは同じ個性なんかではない。では逆に同じ戦術をぶつければ、一体どちらが勝つのだろうね」
「そんなのは単純だろう? 個々の能力やチーム力が勝敗を分ける」
「まあ現実はそこに運も絡んでくるんだがね」
「つまり結城さんはこう言いたいわけか。運ですらも実力で消し飛ばすと」
「人間は物差しで測れない。そのことを君が示しただろうに。一昨年では二部リーグでも下位のチームが今年上位に食い込んでくるなど、誰も考えはしなかった」
「俺自身がそうだよ」
「けれど俺は、君がそこにいたからこそ今のイシュタルFCがあると考える。君でなければこうはならなかった」
「どうだか。あんたが率いていた方がよっぽどよくなっていたかもしれない」
「いや、その点だけは確信している。多くの経験豊富な監督は自身が理想とするサッカーあるいは自身が完全だと思う戦術を実現できる選手を当てはめる。その点、監督未経験だった君はそこにあるピースをどう活かそうかというアプローチだった」
盤上を見下ろした俺は、もう手がないことを知った。
「もはやフォーメーションなんてのは形骸化し、これからはもっと複雑で自由なサッカーの時代がやってくる。それを予感させるのが君の提示したチームとサッカーだった。君は俺たちの一歩先を行き、俺たちは君のサッカーを対策し崩そうとするだろう。だが俺は、君が見出すであろう答えに対する答えを持っている」
俺は敗北を認めた。
チェスでは完敗し続けたが、TGAにも他のチームにも負ける気はない。
「答えなんてないさ。その疑問は永遠のテーマで、きっと百年後も二百年後も、俺たちみたいなやつが同じことを考え続ける」
「悔しいのは百年後のサッカーを見られないということだな」
「まったくその通りだ」
「俺たちと当たるまで勝てよ、月見くん」
「そっちこそ」
そうして俺は結城さんに別れを告げた。
残り四ゲームの内の三つをTGAは負けず、リーグ最終戦を首位で迎えることとなる。対するイシュタルFCは連勝を十二に伸ばして王者に挑むことなる。
勝てば優勝。
引き分けでは届かない。
そして因縁のラストゲームが始まる。
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