軌跡(12)
「——We are イシュタル!!」
「「「Let's go ahead !!!」」」
選手たちは気合を締め直して、再び出陣した。交代はなし。ハーフタイムで、約三〇パターンある戦術を説明することは時間的に不可能だった。要点でケアするポイントだけを簡単に説明して、あとは「俺に従え」と告げた。
ゲームが再開して、芒選手の組み立てから予想通りサイドの8番が動き出しにかかった。
「杏奈! 由佳!」
俺の声を聞き、二人が警戒の動きを見せる。サイドの8番が中へ切れ込んだのを由佳が請け負い、そのスペースに入ってくるサイドバックのオーバーラップに杏奈が対応。
なんてことはない、ボールが入る寸前のオフザボールの動きを見れば、ある程度の選択肢は絞り込める。ただし、その他も動きを連動させ、そこに出るだろうと言う確信を持たせないポゼッションが、前半において守備の動き出しが半歩ないし一歩程度遅れていたことに繋がる。
とはいえ川崎は強引なマニュアルに従うようなチームではない。出しどころを阻まれれば、芒選手を頼ってゲームメイクをやり直した。
「心美!」
状況を確認した芒選手は珍しくリターンを返した。その一歩前、俺は「彩香!」と、確信を持って彼女に飛び出しの指示を与えていた。
ドンピシャ。
インターセプトからボールを受けた真穂は、ディフェンスとディフェンスの狭い間を通し、環。
そこから一気に杏奈が抜け出した。ゴール前、キーパーを引き出して紫苑への横パス。主砲が火を拭いて、一点差に詰め寄る。
「王様の……帰還」
しかし俺は真賀田コーチの独り言には返さず、今見えている世界を選手たちに告げた。
「芽! 杏奈!」
状況を確認した芒選手は明らかに顔色を悪くした。
「環!」
安全策を取ろうとして、サイドバックに出されたその瞬間、環が高い位置でインターセプト。
ディフェンダーを一人釣って、
ギアをあげた。
縦に抜け出した環の援護に紫苑が走り、似たような展開。
環は一旦ゴール前で停止。自身の外側に走り込んでいた香苗を選択。キーパーとポストの間にあるほんの小さな隙間を香苗は抜いた。
後半開始五分での同点弾。
ゲームは振り出し。
香苗の雄叫びにサポーターも喜びを爆発させる。まだまだこれからだと、選手たちの背中を押すようにスタンドからは頼もしい声が、より強く激しく奏でられた。
川崎にとって欠かせない
夜の降りた空を見上げて頭を抱えて芒選手は、しかし笑っていた。
これで瓦解するようなチームではなかった。
でなければ現在首位になど立ってはいない。
「あん——いや、彩香!」
状況確認のためのルックアップ。それがフェイントだと気付かなければ完全にやられていたことだろう。芒選手は真穂をかわして、彩香のいる右サイドへボールを送った。
つくづく恐ろしい選手だった。
それは俺が丸裸にした三〇のウチにはなかったパターン。三十一個目。今この瞬間、リアルタイムで芒選手は新たな世界線を引いたのだ。
サイドの6番とのワンツー。アンカーである芒選手は自らで右サイドを運び、綺麗なお手本のようなクロスを上げ——
それはクロスではなかった。
そう気づいた頃には、ボールが曲がり始めていた。マグヌス効果で外向きに。
皐月は懸命に手を伸ばしたが、まるで糸に手繰り寄せられるかのようにゴールサイドへと吸い込まれていった。
得点を決めた芒選手はサポーターに向けるわけではなく、不適に笑って俺を指差した。
もしかしたら俺は、このゲームを通じて目覚めさせてはならない天才を開花させてしまったのかもしれなかった。
試合が再開し、前半とはゲーム展開がまるで違った。
埼玉戦の悪夢を思い出させるかのような激流が始まった。それまで穏やかな大河だと思われていた試合の流れは、嵐に見舞われて氾濫した濁流。芒選手は、少々ピントがぶれていようが、容赦無くスペースへ選手たちを走らせた。
それに、川崎の選手もイシュタルFCも付き合わされ、戦術の予測なんてものがほとんど無意味に化していた。ただ比べ合い。一対一の競り合い。しかし個々の総合力では川崎の選手が上回り、何度も危ない場面を作られた。
ならば芒選手を止めるか、それ以前を締めるかしようにも止められない。
わかっていても、彼女は止められなかった。
止めようとしても、圧倒的な個人技でこじ開けてくる。
「……昔のススは我の強い選手でした。ですが、それでは通用しなくなって、自身の個性を殺すことを選んだのです。それがススの正確なゲームコントロール能力をつけることになりました。しかし今、自己主張をしながらもコートを支配し始めている……」
彼女もまた王様——いや、女帝か。
「監督。分岐点です。ススを止めるか、攻撃力を加えて攻勢に出るか。判断するのはあなたです」
つまり、真穂を引っ込めて芒選手の支配力を少しでも削ぐか、取られても構わず攻めるか。
「舞、準備を——」
その時だった。
杏奈から中へ丁寧に繋げられたボールが、相手右サイドバックの頭上を超えたのだった。一瞬何が起きたかわからない。X軸を水平に進んでいたボールが、突然Z軸とY軸方向に転舵したのだ。
体の反対側へ。
ターンをしながら一切ボールの勢いを殺さず掬いあげたパス。
芒選手を背負っていながら、紫苑へ出されたスルーパスだった。
紫苑も相手サイドバックも反応できなかった。
しかし一瞬の瞬発力の差で、それはパスミスにならなかった。
真穂でなければ。
紫苑でなければ。
繋がりはしなかった。
鳥肌の冷めやらぬ中、優秀なフィニッシャーは、冷静にゴールへ流し込んだ。
再びの同点弾。
いよいよ試合は誰にもわからない領域へ入った。
女帝が作り上げる世界に、新星
ここまで一度もファウルのないクリーンなゲーム展開。それはまるで、優雅で荘厳なクラッシック音楽を聴いているような心地良さがあった。だが、彼女たちの——天才たちの描いて見せる世界観に決して古さはない。
ワンプレーワンプレーごとに、天才は爆発的な進化を見せる。
突然変異とも等しく。
相見える天才たちは、限界にぶち当たったその瞬間に己を何度も脱皮させ、より美しい轍を演出して見せた。
しかし疲労が限界に達し、双方の攻撃は決定打になかなか結びつかなかった。
終盤、川崎とイシュタルFCは共に選手を交代した。引きあげて来る芒選手と真穂に、観客は惜しみない拍手を送った。二人は握手を交わして、それぞれのベンチに戻った。
暫定首位のヴィルトゥオーサ・川崎には勝ち点差で余裕があった。だから是が非でも勝点一を取りにきた。しかしイシュタルFCには引き分けすら許されない。
勝敗を分けたとすれば、そこ。
互いの立ち位置の違いだったろう。
もっとも苦しいロスタイム間際、風が舞い込んだ。三人を抜いて見せたその姿には、風見鶏舞にとって最大のライバルの姿が重なってさえ見えた。
いや、その一瞬だけは超えてさえいたことだろう。
天下分け目の大決戦を制し、俺たちは。
九連勝という数字を刻んだ。
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