軌跡(9)

 挨拶が終わって、ベンチに引き上げてくる選手一人一人に、俺たちスタッフや、あるいは出番のなかったベンチメンバーがハイタッチを向けた。


 走り通しだったスタメン組は流石に疲労困憊の様子だったけれど、それでも表情は朗らかだった。


「反省会はあとな。クールダウンして帰り支度しとけよー」


 これで八連勝。


 誰がここまでの勇姿を想像したことだろう。


 俺は、ファンが立ち去っていき、寂しくなっていくスタジアムに視線を向けた。勝利の余韻に浸りたかったというのはもちろんあるけれど、メインヴィジョンに示された本日の試合結果をひとつずつ眺め、各チームの勝ち点を計算していたところだった。


 残念なことに順位は変わらず。


 しかし上位との差はまたひとつ縮まった。


 今日で、リーグトップだった鹿島は川崎に敗れてついに陥落。そして川崎はリーグトップに躍り出た。そのすぐ下にはTGA、埼玉と続いて、イシュタルFC。


 来週には川崎とのホームゲーム。


 そしてTGAは鹿島との激突。


 これにより、来週もまた順位の入れ替えは激しくなることだろう。


 俺は今日の試合をざっと回顧して、ロッカールームに引き上げた。


 てっきり、騒がしくなっていると思ったロッカールームは、しかし静かなものだった。


 宮瀬と真賀田が静かに扉を閉めて部屋を出てきたところだった。二人は人差し指を立てて、沈黙を指示した。中をチラリと覗くと、肩を寄せ合ったり、長椅子に横たわったりして、皆、ぐっすり。


 しばらく寝かせてやろうと部屋をあとにすると、タオルを頭にかぶった由佳と鉢合わせた。


「……泣いてたのか?」


 由佳は目を真っ赤にしていた。


「もう、デリカシーないよ、監督」


 俺は肩をすくめ、「奢ってやろう」と自販機を見つけてスポーツドリンクを買った。


 俺と由佳はグラウンドの方へ向い、ベンチに腰掛けた。


「今日さ、私、すごく素敵な景色が見えた気がする」


 ゲーム途中から由佳はゾーンに入っていた節があった。


「心地良くて、もっと見ていたい。もっと、もっとやれる――そう思っていたのに、サッカーって九〇分で終わっちゃうんだよね。早く次の試合したいな。……もっと、ずっと」


 由佳はまた頬を拭った。


 涙を噛み殺す彼女の頭に手をやる。


「できるさ。そう信じてる限り、そのゴールに向かい続ける限り」


「嘘……だよ。だって私たちは……」


「今だから言うけどな、俺は次を見据えている。俺は必ず代表監督になって、世界の舞台で君たちと闘いたい」


 由佳は目を丸くして、綻んだ。


「監督って……ううん、月見健吾ってやっぱりずっと先を見てるんだ」


「夢を思うだけなら自由だしな。でも俺は現実にしたい」


「うん、私も。きっと、そんな未来は楽しくて仕方がない」


「そのために俺は軌跡を残したい。記憶を、記録を残したい。それがきっと、俺の夢を叶える唯一の方法だと思うから」


 由佳は拳を握り締めて、ポツリと呟いた。


「……ない。……消えたくないよ」


「消えやしないさ」


 俺はあえて口にした。


「優勝しよう」


「うん」


 残り五ゲーム。


 負けている暇がない。

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