軌跡(6)

 赤い悪魔の通り名は健在。


 埼玉の破壊力は変わらず。


 のっけからエンジン全開。


 こちらのキックオフで始まったはずが、いつの間にか埼玉のシュートラッシュでゲームは幕を開けた。


 攻撃力だけなら前回よりもレベルアップしているかもしれなかった。埼玉とのゲームはとても疲れる。他のチームと比べて速さがまず違う。ひと度、攻撃態勢に入ると、トップとサイドの選手が恐ろしい速度でスペースの隙間を縫ってくる。一瞬でも判断を誤れば命取り。


 ゾーンを崩すにはいくつかの方法があるけれども、その中で最もシンプルなのが、スピードでかき回すこと。言ってしまえば、埼玉の前線の選手は全員がF1エンジンを積んでいるようなもの。それでいて、特にフォワードの二人は巧みなボールコントロールを持つ。どのチームもそれを知っている。埼玉・レッドデビルズというチームを分析し、それをわかっている。


 でも止められない。


 絶望的な才能の差。


 残酷に突きつけられる現実。


 11番が心美を抜いて、次に10番が由佳を抜いて、サイドの8番が彩香を抜いて、萌もやられ、再び10が芽をかわせば、残るは皐月のみ。力強く振りあげられたシュートは、恐ろしい速度で追いついた杏奈の足に当たった。


 しかし。


 皐月は反応できず。


 埼玉サポーターの歓声が割れた。


「――気にするな! よく追いついた杏奈!」


 運が悪かった。皐月はシュートコースに入っていたが、杏奈の足に当たって、逆ゴールサイドに入ってしまった。


 埼玉の11と10は絶対フリーにしたくない。でも彼女たちはフリーになれる術を持っている。得点ランキングもトップと三位につけ、この二人で全チームのゴール数の内、実に四割近くも叩き出しているのだ。


 怪物と悪魔。


 しかもこの二人が点を取れば、埼玉というチームは俄然活気付く。


 代表クラスのディフェンダーでさえ、四苦八苦する選手たちなのだ。


「正直、前回の敗戦から、埼玉とは二度と当たりたくないと恐怖してしまうほどです……」


 真賀田コーチは拳を握り締めていた。


「これほどディフェンダーのプライドをへし折ってくる選手はいません」


「だから、中盤の厚みを六枚」


「フォワードに入れさせない」


 俺は頷いた。


「確かに守備のできるアンカーが一列前にいてくれる安心感はディフェンダーにはとても大きいです」


「そう、だからむしろ重要なのはディフェンスラインよりも、アンカーの二人。ここが踏ん張ってくれれば萌たちが攻撃的な守備でカットできる」


「とはいえ、ここ数試合、なんとか踏ん張ってくれてはいますが、特に由佳の消耗が激しいです。普段はよく声をかけてチームを鼓舞してくれるのですが、最近はあまり声が出ていません」


「人は集中すると無口になるからな」


「一番タスクの多く、ミスの許されない場所。さらに相手エース級とマッチアップする場面も多い。中軸は本当に大変な場所です」


 逆に今日までチームを支えてくれたのは、由佳であり、心美でもあった。


 ここが通用しないとなれば、ほとんどチームの敗北に直結する。


 再び10番の突破。


 由佳は振り切られた。懸命に心美がカバーに入るも、それを狙っていたかのように、スペースへ放り込まれ、今度は6番のビルドアップ。


 紫苑とサイド7番の攻防。


 埼玉は自分たちのサッカーを貫いた上で、マッチアップの弱点を突いてきた。紫苑のサイドハーフはやはり守備に不安が残る。とはいえスピードでは劣らず、懸命に食らいついていたが、足技で翻弄され、中へ切り込まれる。


 これを萌が体を入れて止め、久しぶりに攻撃のターンが訪れた。


 受けた舞が勝負を仕掛ける。


 振り切れず、香苗の壁を使って環。


 そこから紫苑への縦。


 激しい競り合いは、埼玉に軍配が上がった。一瞬の切れ味で相手をなぎ倒す紫苑を、相手の7番は経験と読みで抑えたのだった。


 倒されたが、ファウルは取られずスローイン。


「……大丈夫でしょうか?」


 紫苑は芝生を叩いていた。見ている限り、嫌な倒れかたはしなかったし、足にも当たっていなかったから怪我はないと思われる。


「あいつが抜け切れないなんて滅多にないからな」


 マークをつけられて得点力が落ちたことは何度かあったけれど、個人技でやれない場面はほとんどと言っていいほどなかった。


 プライドの高い紫苑が煮湯を飲まされて平然としていられるわけがなかった。感情を剥き出しにするなんて滅多にない。つまり気づいてしまったのだ。自分より強いということに。


 俺はベンチにいる真穂に向けた。


「今日は早めで行く。ポイント押さえとけ」


「うん、大丈夫、今日は早く出たい」


 真穂が通用する時間は、前後半の苦しい時間帯。スタミナが底を尽きかけた際に繰り出される絶妙なパス。しかしボールを圧倒的に支配されている現状では、その魔法は何度もやってこない。できれば勝ち越している状況か、スコアレスの場面で投入したかった。真穂に仕事をしてもらうにも、由佳と心美が機能しなければ、飾りとなってしまう。トップチーム相手にデコイに走らせる余裕はないのだ。


 相手のミスからボールが香苗に入った。


「……けど、埼玉は決してミスがないわけではありませんね」


 それゆえ、取りこぼしも多いチームではあるが、波に乗った時は止まらない。


 香苗は最前列で孤軍奮闘。道を拓こうとしたが孤立無援。


 フォローに入ろうとした選手たちは皆、コースを完全に塞がれて出しどころがなかった。ゆえにネガティブな突破は敢えなく捕まり、ピンチが訪れる。二つ三つのパスから、ボールを持った10番が仕掛けた。由佳は食らいつくけれども、嘲笑うかのように弄ばれ、凶悪なスルーパスが出された。11番の飛び出しに誰も追いつけず、皐月も棒立ちだった。


 ゴールを告げるホイッスルが鳴り響く刹那、イシュタルイレブンの足が完全に止まった。


 由佳に至っては天を仰いで、唇を噛み締めていた。


「……真賀田さん、俺が間違っていたんだろうか。いつもの慣れたフォーメーションで戦えば、もう少し勝負になったんだろうか」


「監督。正解なんて誰にもわかりません。あなたが自信を持たなくてどうするんですか。少なくとも私は監督の出した答えなら、戦えると信じています」


「真賀田さん……」


「監督がさじを投げるなら、私が監督代理をしますよ。真賀田仕込みのセブンバックにしますからね」


「どうやって点を取るんだよ?」


 すると真賀田は真剣な眼差しを向けた。


「そうですよ。点を取らなければ勝てません。あなたはいつも、常に、点を取って勝つ方法を示してきました。だから今日もそうなるに決まっています」


 ポジティブな真賀田コーチはレアだった。俺がコーチに励まされる中、由佳もまた心美に背中を押されていた。


「さあここから! 切り替え!」


 真穂がベンチから声をあげた。

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