軌跡(4)

 試合が終わり、俺は榎木監督の元へ向かった。


「未だに何が起こったのか実感が湧かないよ。僕は夢でも見ているんだろうか。ああ、そう言う意味じゃ、今日のゲームはとても興奮し、とても刺激的なものだった。これだからサッカーは辞められん」


「ありがとうございました」


 榎木は破顔した。


「ところで10番の彼女を入れるタイミングは決めていたのかい?」


「まあ、それなりには。あとは流れを見てだったが」


「10番の対処法はそれなりに確立されている。しかし、試合開始からまったく新しいプランを使われて、途中からその10番対策に戻すのもまた容易ではない。君はそれを知った上で、彼女を交代オプションとして考えたのか?」


「今はまだ潰れて欲しくない。だからあいつが一番実力を発揮できるポイントを全員で作る。そうすれば、チームに新しい風を入れてくれる」


「まんまと君の戦術にやられたわけだ」


「いや、今日は大きく成長してくれた選手がいる」


「センターのあの選手か。まあ彼女なしにはここまで拮抗――いや、我々が負けることはなかったろう。今日の試合では最初から覚悟の差があった。君たちには残念なことに未来がない。それでも前に進もうとする選手たちに、サッカーの女神様が微笑まないわけもなかろうて」


「いや、俺たちに未来はある」


「奇跡を起こすには軌跡を残すしかない、か。改めて思ったが、やはり僕はあの10番に魅力を感じている。もしも行き場がなかったら声をかけてくれればいい。もっとも、今の体ではウチでもスタメンは保証できないが」


 俺は頭を下げて、その場を後にした。




 夜、俺はまた結城さんに呼び出されていた。


 飲み会&チェスゲームがすっかり習慣となっている。


「いやはや、本当に君たちは楽しませてくれる。これで六連勝か」


 今日勝って、六位に浮上した。


「そっちは調子いいみたいだな。今、三位だったか?」


「まあね。ようやく俺の理想とするものが完成に近づきつつある」


「今時珍しく五バックを使ってるらしいな。しかしリーグ上位にあるチームが引いてカウンター狙いってのはカッコよくないぜ、結城さん」


「まるでマスコミみたいなことを言う。確かにバルサのような美しいサッカーで勝てば観客は大いに満足する。だが誰もがあんな理想を作り上げることなんて不可能だ。ならば我々がすべきことは勝利という結果。そのために必要なことをするのみ」


 結城はルークを動かし、ウイスキーに口をつけた。


「しかしだ。俺が目指すところはそこじゃない」


「つまり結城さんは準備をしている」


「たぶん、他チームはまだ気付いていない。イシュタルFCが次を、そのまた次を見据えて準備を始めていることを」


「一戦一戦、ただ必死なだけさ」


「リーグ後半戦が始まって、イシュタルFCを負かしたチームはひどく後悔することになるだろう。気づかないでいいことに気づかせてしまった。本当に厄介なことをしてくれたものだ」


 俺たちは共に口にしなかったが、互いが最大のライバルであることを認識していた。


 次にTGAと当たる時――、


 次にイシュタルFCと当たる時――、


 それは互いのサッカー観を賭けた決戦となるだろう、と。


「けど実際、それが実現できるかってのはまた別の話だがな」


「いや、君たちなら到達するのだろう。ゴールが見えている選手たちは驚くべき速度で最短ルートにたどり着く。むしろ俺としては完成した君たちと戦いたいとすら思っている」


 結城は微笑を見せ、また一口、酒を舐めた。


「次から試すんだろう?」


「あんたの賢察には恐れ入るよ」


「さてしかし、一体スタメンが誰でくるのかまでは予測できないが」


 結城はクイーンを当ててきて、チェックをかけた。


「俺にもわからない」


 ざっと、チェックメイトまでの道筋を考えたが、完全に詰まれていた。結城さんとのチェス勝負は全戦全敗だった。俺は帰ってチェスの勉強をしようと思った。いや、その前に試合のチェックだ。


「かわいそうなのは、完成された君たちのサッカーを、ほんのわずかしか見られないこと。残り、たった数節で見せてくれるそれを、俺たちは生で見ることはない」


 いや、と言いかけて、俺は口を閉ざした。


 たぶんあの人はもしかしたらそこまで見ていたかもしれない。けれどこれはあくまでも予想に過ぎず、願望にすぎず、またそんな夢物語が起こり得るなんて可能性はずいぶん低いのだ。


「ところで月見くんは、来年以降どうするのか考えているのか?」


「ああ、そのことでちょっと結城さんに相談があるんだ」


「どこがいい? 西ヨーロッパならそれなりに伝手がある」


「探して欲しい人がいるんだ」


 結城は首を傾げた。


「自分でも調べたが、海外の名のあるチームでは見つからなかった」


「それは?」


「俺の世界観を変えてくれた恩師」

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