極夜(9)

 深夜、俺はTGAの監督である結城学から呼び出しを受け、都内のバーで酒を飲んでいた。「これ、持ってきたんだ。やらないか?」


 と、結城はチェス盤をカウンター席に置いた。


「今はそういう気分じゃ……」


「まあ、そう言わず付き合え」


 おそらく気を使ってくれてはいた。一応イシュタルFCと関わりのある結城にも思うところはあったろう。


「今日のゲームは良かった」


 結城は駒を一つ動かしながら口にした。


「ああ、本当に」


「こんなこと言えた義理ではないのかもしれないが、何人か来年欲しい」


「ああ、頼むよ、結城さん」


 結城は嘆息をついた。


「……らしくないな」


「俺ができることなんて数少ない。ただ勝てば、順位が一つでも上がれば、あのチームは続くだろうって思ってた。……甘かった」


「けど、結局俺たちにはそれしかできないしな。君は間違っちゃいなかった。今日まで来られたのは君があってこそ。俺にはできなかったことだ」


 結城は名刺ケースを開いて、いくつかの名刺を出した。


「先発組には少なからず居場所はあると思うが、シーズンオフにトライアウトがある。俺も話を通しとくから、掛け合ってみるといい」


 ありがとうと、名刺を受け取る。


「しかし残念ではある。イシュタルFCとのゲームは細胞の奥底から燃える何かがあったんだが」


 俺も同じだ。


「こんな時に不謹慎かもしれないが、君はどうするんだ? ブランクはあるとは言え、現役に戻るプランも考えた方がいい。その時は協力――」


「先なんて考えてない」


「だがそうもいかんだろう?」


「なあ、結城さん。俺だけが選手に戻ったり、あるいは監督を別チームでやるなんてことができると思うか? 居場所がなくなるかもしれない奴もいるかもしれないのに、どの面下げて他チームに行けると思う?」


「君はそういう世界にいる」


「わかってる!」


「なら――」


「俺は特に何もしていない。あいつらをピッチという盤上にただ並べただけだ。今日までの成績は一〇〇%あいつらだけの力だ」


「たぶん、そう考えているのは君だけだと思うがな」


 俺は静かに首を振って、駒を前に進めた。


「君はほとんど負けが確定している状態で諦めるような男なのか?」


 チェス盤に目を落とすと、大勢は決していた。もはやキングの逃げ場はない。


 チェックメイトだった。


 数十手先には詰み。


 それはまさしく、今俺たちが置かれている状況に他ならなかった。


「それでもこの棋譜が残るように、君たちのやってきたことが無に帰すことはない」


 俺は、破滅を知りながらもキングを動かした。


「それでこそ月見健吾だ」


「結城さん、次の東京ダービーは俺たちが勝つ」


「いや、勝つのは俺たちだ」


 そして俺はバーをあとにした。




 クラブハウスに戻ると、まだ食堂に残ってすすり泣く者、意気消沈する者、あるいはグランドでボールを蹴る者、色々だった。


 俺はキャプテンの場所を問いかけ、由佳に全員を招集するように告げた。


 そうして数十分が立ち、練習場の芝生の上にスタッフを含めた全員が集合した。


「全員、今日中に全部吐き出せ。思う存分泣けばいいし、怒ってもいい。全部俺に打つけていい。だが明日からは切り替えろ」


 皆、唇を結んでいた。


「残り十一試合。先のことなんて考えるな。未来なんて考えなくていい。俺たちはただ目の前に与えられた一試合一試合を真剣に戦う以外にない。どうなるかはわからない。どうにもならないかもしれない」


 一人一人に目を向けていく。


「このチームは無くなってしまうが、せめて俺たちが今年この場所にいた記録を、記憶を残そう。一歩でも前へ。一つでも上へ」


 顔をしかめる者、唇を噛む者、涙する者、俺に強い視線を返す者、様々だ。


「そしていつか……いや、必ず近いうちに、このメンバーでまたサッカーをしよう」


「やったら、オリンピックやで!」涙を抱えながら、杏奈は放った。「まさかほとんど一〇代で構成されたチームが優勝なんてしてもうたら、それはもう世代最強どころか日本一やもんな!」


「ああそうだ。俺たちの旅路に終わりはない。さらに高く、どこまでも遠い場所にだって勝ちに行く。それがサッカーバカってもんだ」



 一つ勝っても俺たちに朝は来ないのかもしれない。

 まるでそれは極夜のように暗く長い未来の始まりで。



 しかし信じて前を向くしかない。


 開けない夜なんてないと。

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