極夜(8)
勝利後の夕食会は
「ほらここ!」
杏奈はスポーツニュースに流れていた自身のダイジェストシーンに声をあげた。
解説者が「ちょっとこれは恐ろしいですねえ。こんなに走る選手は相手にしたくないです。わかってても足が動かないんですよね」と言って、すっかり杏奈ちゃんの鼻は天狗状態。
「もはや、ウチはイシュタルのヒロイン的立場を獲得したと言っても過言ではないんや!」
「まあ、一点目は最高だったな」
「うわ、監督に褒められたで!」
「君は足だけなら誰にも負けない」
「最初に監督が言った、速さしか取り柄がないって意味がようやくわかってきたところや。そこだけは絶対に誰にも負けへん」
「何言ってんだ。他もそこそこ通用してるじゃないか」
「この調子でオリンピック出たるで。マラソンランナーとして!」
「サッカーで出ろよ!」
くすくすと、いつもの空気が戻る。
良くも悪くも、チームムードは杏奈に支えられているところがある。
そう言う意味じゃ、足だけではないんだがな。
と思っていると、番組は会見映像に切り替わった。
俺やコーチたちがギョッと目を剥く中、選手たちは不思議そうに首を傾げていた。
「あれ、なんでウチのオーナーがテレビ出てるん? ……はっ、もしかしてあれか! 不祥事ってやつか!」
すっかり忘れていた。
試合に集中していた所為で、今日オーナーからの発表があることを忘れていた。
俺は素早く視野を広げてリモコンを探したが、パッとは見つからず、慌てて直接テレビに飛び込んだ。
が。
「監督」
と、由佳が俺の手を引っ張った。
終わった。いろんな意味で終わっているが、どこかのタイミングで話さなければいけないとは思っていた。しかし彼女たちがただ前に進んでいる様子を見ていると動揺させたくない思いが勝り、言えずに来てしまったのだ。
そして、テレビの中に映っている佐竹一成オーナーは、まず深く頭を下げた。
フラッシュが瞬く。
『単刀直入に申し上げます。我々東京イシュタルFCは今季限りで解散します』
冷たい衝撃が食堂に走った。
誰もが口を開けない中、杏奈はポツリと言った。
「嘘……やろ? これ、コントとかそーゆーあれやんな? そうに決まってるよな? なあ、監督はん」
俺は閉口した。
すると由佳が冷然と「監督」と問い詰める。
「……事実だ」
由佳は目を見張って、「嘘よ!」と返した。
「……嘘じゃないんだ」
「なんで!?」
「スポンサーがつかない」
「スポンサーなら、ついてくれているじゃない!」
と、ジャージを脱いで、ユニフォームの胸元を指さした。
「ここにほら、ちゃんと名前が!」
「足りてないんだよ。全然」
「でも、地元の融資とかあって……」
それでも足りてない。
「今は辛うじて利息分を払えている状況だっただけだ。もうすぐ返済の期限がやってくる」
「でも! 今季は一部で、入場者数とか、お金のことはよくわからないけど、大丈夫だったんじゃないの!?」
確かに一部に昇格して黒字に転じてはいる。しかしそれは返済のために使われることになっている。
いや、俺は初めから知っていた。
監督要請を受け、契約した段階で佐竹さんから聞いていた。三年以内には解散するかもしれない、と。ゆえに紬は出て行かざるを得なかった。彼女のもたらした契約金がなければ、微々たるものではあったけれども、状況はもっと逼迫していたかもしれない。
もともと俺の契約も最長でも二年。
一年目の成績如何でチームは解散することを聞いていた。ラストの一年、選手たちの居場所を探す猶予として設けられた一年だったが、二部での優勝が延命に至ったのだ。
「――いらない!」
由佳はそう言った。
「お金とかいらないから! このチームで――」
「君たちはプロだ。それは許されない」
「なんでなの!? だって私たち、今日で九位になったんだよ!? なのになんで!」
単に佐竹オーナーを非難する気にもなれない。
「——だからこそでもある」
そう言ったのは、佐竹オーナーだった。
テレビに映ったままのオーナーは、現実に俺たちの目の前にもあった。
「どうしてですか! 説明してください!」
なおも由佳は食い下がる。キャプテンとして皆の代弁者でもあろうけれど、彼女の熱を上げた姿は彼女自身の怒りでもあったろう。
「君たちは想像以上の成績を残してくれた。私は、君たちを誇りに思っている。だからこそ、君たちを正当な評価ができる今のうちに解散という結論に至った」
そう、活躍している彼女たちに払うお金を残せば、来季の運営はまた借金しなければならない。ずっと自転車操業が続いており、もう融資してくれる銀行もないし、再三協会からは通告を受けていた。
「今、夏希やフロントマンが君たちの移籍先を探してくれている。何も心配はいらない。サッカー選手として君たちは続けられる」
「そんなの望んでいません! 私はここで! このチームでやれたことをすごく誇りに思っています! 今は成長途上で、まだ足りていないことも多いけれど! 私はこのチームで優勝したい!」
佐竹オーナーは少し奥歯を噛むと、深く頭を下げた。
「本当に申し訳ない」
長く長く、頭を下げ続けた。
由佳は口を押さえて、走り去る。
それを香苗が追いかけた。
「身勝手な話だが、どうか残りの試合、悔いのないよう向き合って欲しい」
紫苑が立ち上がり、言い落とした。
「どんな結果になったって悔いは残るわよ」
紫苑が同じく部屋を出て行ていって、重たい沈黙が部屋を包む。
オーナーはまだ頭を下げ続けていた。
彼自身、本音は続けたいに決まっている。スポンサー探しや融資に駆けずり回っていた彼の顔には憔悴した後が見受けられた。
もしかしたら、今日の報道を聞いて名乗りを上げてくれるスポンサーもあるかもしれない。そういう意味で、本日勝利できたことはとても大きかった。だけれど、一つ勝ったくらいで変わるのなら、もっと早くから変わっていたはずだ。
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