極夜(3)

 翌、二十二節。


 この日も炎天下が続いてのナイトゲームを迎えた。敵地札幌の盆地は、くらくらするほどの猛暑だった。


 ベンチ入りはしているものの、大事をとって由佳には休んでもらうつもりだった。しかし今回も対イシュタルシフトに苦労し、そうも言ってられなくなった。


 前半が終わってスコア的には二点ビハインド程度では済んでいたが、守り一辺倒でその程度のダメージで済んでいるとも言えた。逆に点を取れる気配がなかった。心美がゲームメイクに踏ん張っていたが、ここを徹底的に抑えられるとウチの攻撃は機能しなかった。


 午後七時開始のゲームからハーフタイムを挟んだ八時にはある程度気温も下がり、また本人の強い意向もあり後半から由佳を入れることにした。


 後半開始すぐ、紫苑が一瞬の隙を突いて最終ラインを抜けるが、相手はファウルで止める。


 距離はあったが、十分にチャンスメイクになる位置でのフリーキック。


 蹴るのは交代すぐの由佳。途中交代の選手はゲームの流れを掴む困難さがある。だが由佳は動じず、軌道の綺麗なボールを送った。


 それは信頼だった。

 香苗のために合わせたボールで、きっと香苗は合わせてくれるという信頼。


 回転が生み出す変化と落下までも計算され尽くしたかのようなボールを、香苗ただ一人が合わせ、密集したエリアの中でドフリーになった紫苑に折り返す。


 お手本のようなダイレクトボレーが決まる。


 ここで俺はあえて、同じシチュエーションを舞に託した。


「乗り越えてこい」


 顔をあげた舞は頷いた。


「大丈夫だ。君は通用するものを持っている。自分を信じろ」


 一人でどうにもできそうになかったら、助けを求めてもいいんだ。しかし俺がわざわざ口にしなくとも、舞はわかっているようだった。今週の練習では、舞は珍しく積極的にコミュニケーションを取りに行っていた。


 対イシュタルシフトにおいて右サイドの消耗が激しかった環と杏奈を、舞と三岳に交代し、行く末を見定める。


 動物の中でもっとも人が獲得し得たもの。それが言語だ。人は相互理解できる頭の良さを持っている。俺たちは意思疎通をすることで、状況改善する術を持っている。


 前に進む意志がある彼女なら乗り越えてくれると信じている。山を登った先にまた違う山が見えるように。


 今を越えた先には、違った景色が見えてくるはずだ。


「監督の考えるサッカー観は、個性と調和を重んじているように思えます」


「戦術論には幾度となく破壊と突然変異が訪れた。新しい戦術とシステムが構築され、その対抗策が常に考えられた。そうして今ではフォーメーションやシステムは多様化した。だが数多の戦術は、いつの時代もたった一つの摂理によって打ち破られてきた」


「スーパープレイヤーですか」


「いくら戦術やシステムが進化して、完全性と思われた強固な壁を破ってきたのが偉大な選手たちだった」


 この言葉は、恩師であるオットン・ハイマー監督の言葉をなぞらえたもの。


「実践を通じて、そうなってくれる選手を育てたいと?」


「結果的にそうなってくれれば嬉しいけどね」


「私から言わせてもらえれば、あなたはを追いかけている風にも見えます。かつての月見健吾然り、鹿野紬然り。ウイングというある程度自由の聞く場所に、特に才能あふれる選手たちを起用するのは期待ですか?」


「もちろん期待もあるし、そこが一番、そういう選手たちが活きる場所でもある」


 フレッシュな舞は懸命にプレスをかけた。


 札幌は安全策で作り直そうと最終ラインを経由して、サイドを変える。が、ここでも紫苑が早めのチェックに向かい、相手は浮き足立つ。中盤のスペースは潰しており、強引にロングボールで走らせてきた。


 これを三岳が冷静に処理して、心美から由佳。続けてのダイレクトで舞の利き足にピタリと収まる。しかし相手ディフェンダーもしっかりと寄せており、前を向かせない。粘り強くキープする中、心美と真穂がフォローに入った。


 フェイント一つ、切り返し二つ。

 気が付けば、舞は抜け出していた。


 一気にゴールまでの距離を詰める。キーパーが飛び出してきたところを、マイナス方向の香苗に送るが、微妙に噛み合わなかった。

 が、走り込んでいた由佳のミドル。


 惜しくもバーの上。


「ナイドリ!」


「ナイラン!」


 関わった二人の称賛に対して、舞の「ナイ……シュ!」と珍しく、というか初めて大声を聞いた。


「監督はドリブラーないし、突破力のある選手をウイングに置きますよね。基本といえば基本なんですが、私にはずっと疑問なんです。だったらスピードのある杏奈ではダメなのかと」


「杏奈の速さはウチの連中ですら追いつけないからな。けど、杏奈に頼りっぱなしだったら向こうはやりやすくなる。理想を言えば、高さのある香苗のセンターで舞ほどのタメが作れれば、遅攻の幅は広がる。でも、できないことをやらせる必要はなくて、じゃあ両翼で支えればいい。それができる選手がいる。だからスリートップなんだよ」


「じゃあチームが違えば、システムも変わると?」


「そゆこと。逆に真賀田コーチならどうする?」


「私なら杏奈をサイドハーフで使いますね。4-5-1の紫苑を同じく左。右サイドバックを三岳固定の、他は一緒ですね。トップ下は悩ましいところではありますが」


「真賀田コーチらしいや」


 彼女が真穂を使いたがらないのは、フィジカルが主因だろう。


 その真穂は厳しいあたりを受けて、四苦八苦していた。


「あそこが機能しないと、個性を活かすにも選択肢が狭まります」


「いや、今はおとりでいい」


 ボール受けた心美がいつもとは違うプレーを見せた。中央深くふところに潜り込む。二人を引き付けての、絶妙なスルーパス。


 先に拾った舞は切り返し三つ。

 先ほど縦への突破を見せたことにより、中を向いてのクロス。


 走り込みながら、ディフェンダーを背負いながら、胸で受けた紫苑が難しい体勢ながらもディフェンダーの裏へと抜け出し利き足ではない左で放った。


「今日のあいつは出来過ぎだな」


 二点目を決めた紫苑は舞を抱きしめに行った。


「本当、珍しい」


 紫苑は俯いている舞の頭をぐしゃぐしゃにしていた。


「ええ、紫苑が誰かを褒めるなんて滅多ではありませんから」


 それも理解か。


 同じ境遇を味わったからこそ、紫苑は舞をわかってやれるのだ。


「それにしても影のファインプレーは心美でした。あの子はあまり自分で運ぶ方ではないんですが」


「誰もが変わろうとしてる。新しいことを身につけようとしているんだ」


 そうでなければ俺たちは勝てないことを教えられた。

 負けに甘んじる連中はここにいない。


 俺は、未だ額に残る『欲』と、書き足された『望』の文字に手を当てた。『貪』欲にしても良かったかもしれない。


「プチ合宿、盛り上がったらしいですね」


 真賀田は微笑を見せた。


「おかげで、夕食後はゲーム大会だよ」


 選手たちは寝ている時以外サッカーのこと以外考えてはなかった。


「まあ、舞を入れたことによる相乗効果はこれくらいはやってくれると思っていた」


 もちろん、前半で環と杏奈の功労があってこそ。


「あとは月見監督の想像を超えてくるか、ってところですか」


 新しい風が吹き込んだ流れのうちに勝ち星を拾いたい。


 しかしそうは問屋が下さぬと、強引にこじ開けてきた相手フォワードを芽が


 すかさず鋭い笛が鳴らされた。

 当然、PKだった。


 何よりも痛いのは。


「今のジャッジは……厳しいですね……。悪質ではなかったはずなんですが」


 ウチの選手たちの多くが抗議に出たが、判定は覆らなかった。


 赤。


 一発退場だった。


 足取りの重い芽に対して、判断を仰ぎに駆けてきた萌は相方を慰めてから提案をする。


「ライン三枚でいいと思う。舞を一列下げて中を固める方向で」


「それで構わない。外は捨てて中ボックス」


「3-2-2-2?」


「ああ。ただし守りには入るな。前に二枚残すのはそういう意味だ」


「交代は?」


「一枠は残しておく。皆には最後まで勝ちにいくと伝えてくれ」


「わかった」


 そうしてペナルティキックが行われた。


 これをきっちり決められ、再び突き放された。


「せっかく流れをつかみかけたのですが……それにレッドとなると……」


 芽、と俺は引き上げて来る彼女にドリンクを渡した。


「クールダウンは忘れるな。水分補給もしっかり」


「……うん」


「君らしいガッツのあるプレーを俺は間違っていたとは思ってないからな。次々週の準備を頼むぞ」


 芽は小さく頷いて、ロッカールームに向かった。


 宮瀬コーチがアイコンタクトを向け、ケアは任せることにした。


「次の試合も出れないことが痛いですね」


「今は目の前の試合のことを考えよう」


 しかし十人で戦うのは不利に変わりはなかった。札幌は数的有利を生かし、安全策を取った。だが色気を出して前がかりになると、確実にオープンスペースを狙い、ヒヤリとさせられるシュートを打たれた。決められていれば息の根が止められかねなかった。


 時計は残り十分を切っていた。


 焦りからか、プレスの質が甘くなっていた。プレスをかける際、一方のサイドを閉じるのが基本で、限定されたコースの先を読むのが攻撃的守備のやり方だ。だが強引に取りに行って、簡単なフェントに振られてしまっていた。そこから数的不利のスペースを突かれた。


 が、前に出た萌がギリギリでカット。零れたボールを心美が拾い、一人かわした。真穂と舞が左右入れ替わりの動きを見せ、心美が預けたのは左サイドの舞。


 例えば紬のドリブルが蝶の如き優雅さで滑らかに飛ぶとするのなら。

 舞のそれは切り返しとフェイントを織り交ぜた燕の如き鋭さで。


 風に乗り奔放にピッチを駆ける。


 相手は翻弄されバランスを崩して置き去り。


「あの子、顔をあげてない……?」


 を俺は、マイナス思考からくる悪癖だと思っていた。


 だが事実は逆だった。


 ずっとボールを見てきたからついた癖。

 顔をあげず、周囲の状況を確認せず、それでもひたむきに前へ進む。

 タッチラインの白線を頼りに。

 きっとそれが彼女のサッカーだった。


 認めよう。


 君は君の信じる道を進めばいい。


「舞え、風見鶏舞」


 舞はスペースのないゴールラインを跨ぎ越えて、突っ込んできた紫苑に預けた。


 当てるだけ。


 俺たちが欲して止まないゴールの音がスタジアムを突き抜ける。


 喜びもそこそこに、センターサークルにボールを走って戻して、選手たちはまだ勝つ気でいた。


 しかし札幌は是が非でも勝点一を取りに来て、守備を固めるシフト。


 終了のホイッスルが鳴るまでこれを打ち崩せなかった。

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