白夜(2)

 スタンドの大画面に選手紹介が行われ始め、俺は眉間を寄せていた。


 


 グラディエーター名古屋は堅実なサッカーをするチーム。伝統的にオーソドックスな4-4-2型フラットのフォーメーションを使ってきた。しかしそのプライドを捨て、俺たちと同じ4-2-1-3の布陣を敷いたのだ。もちろんその型に当てめるため、名古屋はこれまでの先発を大幅にいじっていた。


 ここ数節で敵チームが選択した対イシュタルシフト。


「ちょっと異常すぎやしませんか?」


 と、同じく眉間にシワを寄せた真賀田コーチが口にした。


「名古屋はTGAとどこか似ていて自分たちの美学を貫いてくるチームです。それが……ここ三節相手にしたチームと同じくシフトチェンジをしてくるなんて……」


「よく言えば、それだけ俺たちを警戒してくれたってことだな」


 悪く言えば、三つ相手にしたチームが取った作戦は非常に有効だということ。事実俺たちはそのシステムの前に手も足も出なかったのだから。


 これまで、サッカーの戦術は個の台頭を組織ではばもうと進化してきた。現代サッカーでディフェンスを崩すには、やはり組織力が必要だ。時に恐ろしい選手が一人で崩すことはあるけれども、俺たちは個を活かす組織を探してきた。


 それが埼玉戦で一定の効果は出たといえよう。逆に言えば、個人の短所を組織で補いつつ、それぞれの武器を活かそうとした。


「でも、今までの俺たちには穴があったんだよ」


「相手はそこに気づいたということですか」


「そうだろうね。俺たちは若い。言ってしまえば、突出したものはあるけれど、全体的なレベルは個々人で足りてない部分が多い。だからこそ、時代を逆行するマンツーマンで潰せば、うちは完全に機能しなくなる」


 真賀田コーチは難しい顔をしていた。


「あまり順位のことは言いたくありませんが、今日勝ち点を取れなければ苦しくなります」


 三連敗が大きな痛手だ。一時はリーグ上位も手の届く位置にいたけれども、現在は九位と中堅どころに位置している。


「目の前のことに集中しよう」


 そうしてホイッスルが鳴らされた。


 序盤から名古屋はやはり徹底的な真穂つぶしに精を出し、数少ない攻撃の人数で確実なスペースを突いてきた。


 両翼が攻撃に加わることの多いウチに取って、カウンターの場面ではサイドが穴になりやすい。それでも快速杏奈は追いついてくれることもあるが、サイドを進入されたあとの、クロスはキツい。陣形を整える前に気づいたらやられている。


 そうでなくとも、こちらが立て直す前に中盤の縦横をワイドに使われ、長い距離を走らざるを得ない。相手FWが1・5列目に受け取りに来て、曖昧なマークの受け渡しが続く。その混乱を突かれて、ミスマッチでの突破を許してしまった。


 神経も体力も削られる。


 基本、中盤が三枚のウチはどうしても中盤の枚数が不利であり、これまでやられたのは、中盤の個々が広いエリアを担当しなければならないという構造的な隙を突かれたものだった。


「我々も対策の上をいく作戦を立てなければなりません」


 これまで俺たちがそれなりに戦えてきたのは、ノーマークの二部からあっという間に駆け上がったことが大きかろう。まだデータが揃っていなかったのだ。そこへ奇襲を重ねてきて、相手チームのきょいてきた。


 だがデータがそろってきた今、イシュタルFCは丸裸にされていた。


 流石は一部で戦ってきたチームたちである。戦術を実行できるだけの能力が揃えられている。


 こういう時、こじ開けてきたのが真穂の特別な才能だった。


 しかしその真穂が二枚のDMFのマークに合っている。そもそもオフザボールの動きすら自由にやらせてもらえていない。


 名古屋は攻撃時、フォワードが下がってくるか、サイドバックが上がってくるかして、中盤の中を四角形で組み、その四人は常にポジションを固定せずに流動している。


「ある意味でポゼッションサッカーですね。中の限定的な入れ替えは」


 ゾーンが主流の現代サッカーだが、ポゼッションもまたトレンドではある。


「コンパクトポゼッションでしょうか」


「ハイブリッドシステムかもな」


「敵陣の深いところでショートカウンターするとゴールに近いですもんね」


「より効率的なゴールの取り方を追求した一つの答えだな」


 しかし口で言うほど簡単ではない。


 サッカーではオールコートマンツーマンなんてのはほぼあり得ないが、マンツーマークが考えることが少なく、脳への処理負担が少ない。もちろん反比例して肉体への負荷は大きいが。


 次に考えるのがゾーンディフェンスで、これは運動量を抑えるために考えられた戦術だ。そして最も頭を使い体力も使うのがポゼッション。


 俺たちがやってきた全員攻撃全員守備は、諸刃もろはつるぎだ。


「もしかしたら我々は、進化し続ける戦術論の限界と瀬戸際に直面しているのかもしれません」


 過渡期かときであることには変わりなかろうが、限界かと言われれば、そこに際限はないと俺は思う。


 サッカーの限界がやってきた時、それがサッカーというスポーツが迎える死の瞬間だ。


「無酸素運動の非乳酸系が約八秒です」


 ここで宮瀬ゴールキーパーコーチが口を挟んだ。彼女はフィジカル論にも精通した人材だ。


「乳酸系が三十秒とちょっと。それ以上は有酸素運動に変わります。ご存知でしょうが」


 百メートルの世界記録が九秒台なので、そこが実質的に物理的限界だ。コートはタッチラインの長さが最大百二十メートル。縦をフルに走れば片道切符。実際に全力で走る場面は往復ほどかもしれないけれど、サイドを全力で攻めたあと全力では戻れない。人間である限りは。


 要するに。


 サイド攻撃後のサイドカウンターは、生物原理にもとづく得点への方程式なのである。もちろんそのスイートスポットを狙うには、確実にサイドを突破されない守備が必要である。


「カウンターを食らうとするなら、タッチラインを割ったほうが息が入りますね」


 そのことは試合前に告げていた。


 ちょうど、俊足お化けの杏奈が追いついて絶妙なスライディングタックル。ボールはタッチラインを割る。


「時々あいつは人間かどうかを疑う」


「杏奈くんにはヒドラジンを補給してやりませんとね」


「ロケットじゃねーから。あと毒物!」


「きっと杏奈くんを解剖すればうまい赤身が取れますよ。マグロみたいな!」


「やめたげて」


 杏奈のスピードの速さは一瞬で切れる脚というよりも、遅筋系の息の長い速さだ。


「しかし一発で切ろうとすると、それはそれでリスクがあります」


 ファウルは取られたくないのだし、抜かれれば余計に数的不利が作られる。


「リスクとのバランスですかね」


 サッカーで言うところのサイドは将棋の香車だ。


 こちらは俊足の杏奈がもちろん香車であるが、相手も同じ駒と布陣を敷いているのではない。相手チームのサイドには金将や銀将で固められており、金銀たちが複数フォローに回られると香車は前に出られない。


 ともすれば、ロングボールを得意とする飛車角をね備えた心美とキャプテン由佳が、懸命に舵を取って左右に揺さぶりをかけるが、これまた中盤の厚みによってボールが入った頃には激しいコンタクトで詰め寄られて、一旦下げるかキープせざるを得ない。すると、ウチの得意とするボール回しですらも封じられ、あとは詰将棋。


「二人はチームの芯として十二分にやってくれているんだがな」


「トータルで高いレベルでなければなりませんからね。中盤の底は。その上で突出した武器も求められる」


 真穂を封じられる以上に、心美と由佳に余裕がないのが一番苦しい。その二人へのフォローに回ろうとして真穂が下り目に入り、前列での受け手が減る。すると選択肢は大味なロングボールを放り込むしかない。センターフォワードの香苗に入ったとしても、今度はその下の真穂が封じられ、次が繋がらない。


「香苗が最前線で溜めを作ってくれれば、味方の援護もできるのですが……」


「ずっとフィジカル強化はしてきましたが、テクニックやキープ力という点では、やはり課題が残りますね」


 誰にだって長所と短所はある。


 ハイボールの競り合いならば香苗はとても頼りになるのだ。


「あるいは杏奈をもう一列上げて、スリーバックと言う手も……」


「いや」


 俺は選手たちの自主性――というよりも、環が二列目に下がってきた思惑を少し見守ろうと考えた。


 ウイングの紫苑が環の意図を察したらしく、中にしぼってツートップ気味になる。


「4-4-2のボックス型ですか。確かに中盤の数は均衡に近づきましたが、サイドの厚みは減ります」


 しかしこの選択が功を奏し、中盤でのリンチは改善されたが、密集したエリアでの目まぐるしい攻防が続いた。息の入らないシャトルラン状態。


 最初に根をあげたのは、心美だった。


 まったく反応できず抜かれたところから、あれよあれよと運ばれ失点。


「若さが出ましたね……」


 心美は巧いが運動量は一枚落ちる。


 流石に一部リーグの選手は年季が入っていた。時間かけるトレーニング量の差が如実に現れている。


 ウチの選手たちは失点後、苦しそうに肩で息をしていたが、名古屋の選手たちはまだ走れるぞと言わんばかりに涼しい顔をしていた。いや実際は相当苦しいはずだ。なのに、そうした気迫を見せつけるのは、プライドでもあろう。


 自分たちはプロサッカー選手というほこり。


 この世界で生き残っているという矜恃きょうじ

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