白夜(3)

 逼迫ひっぱくした緊張感が伝播でんぱしたのか、スタンドはほんのひと時、静寂に包まれた。だがここが勝負どころと理解した名古屋サポーターは大きな声援で盛り立てた。もちろんイシュタルFC応援団も数少ない中、対抗。


 太鼓の律動りつどうと、命を込めた応援歌が打つかる。


「監督、どうしますか? このシフトじゃ同じ展開になるかと」


「悪くはなかったんだけどな。チャレンジした発想も」


 ただ、今選んだ戦法がこの対戦カードではフィットしなかったということ。


 名古屋はここでくだきにくる。激しいプレスでボール奪取の姿勢。その気概きがい気押けおされ、攻め気が失せてのバックパス。メンタルにまで響いているのか、珍しく心美がパスミス。もちろん慈悲はなかった。インターセプトから、あわや追加点という場面――、CBの芽が厳しいコンタクトで防いだ。


 が。

 ファウルを取られた。


 倒された選手に怪我はなかったが、


「……直接狙える距離ですね」


 真賀田コーチの不安を強化するように宮瀬コーチは、


「名古屋の7番はフリーキックの名手ですよ」


 俺もデータで知っていた。積極的に得点にからむ選手ではなく、アシストの方が数字としては多い。しかしながら昨シーズンも今年も、得点の八割がフリーキックからであった。


 押せ押せムードの現状での追加点は立ち直るのに相当時間が掛かる。また、そういう時は意外なほど入りやすいのだ。


 気運きうんというか流れというか。

 早くもターニングポイント。


 宮瀬コーチは祈りを込め、真賀田コーチは行く末をじっと見定めていた。かくいう俺は何がベストで、どうすれば名古屋と渡り合えるのか思案する。


 後手後手に回ってしまったことに、心苦しさがあった。ずっと穴はないかと探ってはいたが、名古屋はよく統制の取れたチームだし、クレバーな選手が多かった。今にして思えば、リーグ前半でどうして勝てたか不思議なほどである。


 と、思っていると、名古屋ファンが歓喜を爆発させる。無情にもキーパー皐月の手は届かず、ゴールネットを揺らされた。


 嫌な展開だが、決して最悪ではない。

 まだゲーム序盤だ。


 真賀田コーチが「水分補給を!」と声をかける。それぞれは近いボトルを取りに行ったが、心美がベンチに駆け寄ってきた。


「監督、私……もう。……迷惑かけちゃうから」


 心美は俯いて、歯噛みしていた。


「変わりたいのか?」


 正直言って心美に抜けられるのは手痛い。だが彼女のメンタルを思えば、使い続けるのは酷かもしれない。後悔や自責の尺度は人それぞれだ。彼女が本当にもうやれないのなら、次節に向けてケアする方向性にすべきだろう。


「私……わからない。どうすれば正解なのかわからない。だから……」


「先に一つ確認させてくれ。まだ戦えるのか、戦いたくないのか、どっちなんだ?」


「……たい」


 心美がどちらを宣言したのかは聞き取れなかった。しかし、目に涙を浮かせて、けれども力強い眼差しで俺を見つめる様子から、戦意はまだあるのだと察した。


「君はトップ下に入れ」


 心美はまぶたを叩いた。


「でも……」


「トライアンドエラーでいいじゃないか。わからないなら探し続ければいい。最初から結果なんてわからない。それがサッカーだろ?」


 すると心美は深く頷き見せた。


 俺は、真穂と環をDMFにまで下げるよう指示。4-3-1-2のスリーボランチを新たに選択。由佳を真ん中で、左右に真穂と環である。俺自身、これが正解なのかはわからない。ただ、高い位置でキープ力のある心美が散らしてくれれば、突破力のある真穂と環が前を向いてプレーできる。


 ポジションに戻ろうとする心美を呼び止め、俺は拳を差し出した。


「心美の力が必要だ。勝利に手を、いや、足を貸してくれ」


「私なんかでいいの?」


「何言ってんだよ。君はSSSレアくらい価値ある選手だ」


「いくら課金してくれる?」


「腹一杯食わせてやるよ」


「約束だからね」


 拳を突き返し、心美は微笑を残してコートに戻った。

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