第3部(下)

キックオフ

 埼玉・レッドデビルズ戦後に挟んだカップ戦は、前節の疲れが抜けきらなかったのか、大敗をきっした。


 選手層の薄さからカップ戦は主力を休ませざるを得なかった。不本意ではあったがリーグ戦よりかウェイトは薄かった。予選敗退だ。勝てば得失点差であわよくば予選通過もあり得たが、終わったことを言っても仕方なかろう。


 それよりも……。




 まだ日中の暑さの残る熱帯夜。

 観客の引き払ったスタジアムにはただただ静寂だけが落ちている。


 センターサークルに立つ俺は東京の夜空を見上げた。


 ふと、生温い風が肌をで、体温を冷やしていく。拳を開くと、ぐしょぐしょにれていた。雨は降らなかった。ピッチコンディションは高温だったことを除けばクリアだった。


 俺は汗をいていたことに気付いた。試合中に掻いたものだった。文字通り、手に汗握っていたらしい。


 目をつむり、頭からの試合展開を回顧かいこする。


 完調とは行かずとも、コンディションは八割に達していたと思う。肉体的なものよりもメンタルコンディションはピークを維持していたはずだ。事実、試合序盤、埼玉戦で見せた素晴らしい攻撃展開は健在だった。


 ゲーム開始から十五分で先制点。真穂と環のコンビプレーで相手ディフェンスをこじあげた。中盤は我慢の時間が続いたけれど、前半終了間際に頼もしい片翼の紫苑が個人技で追加点。


 ここまでは完璧のはずだった。


 衝撃を受けたのは後半開始早々のこと。相手チームは大胆にシステム変更と二人のメンバーチェンジを行った。特に顕著けんちょだったのが、トップ下に守備的な選手を入れての徹底マーク。想像力豊かなウチの起点を抑えるシフトだった。


 つまり真穂封じ。

 いや。


 対イシュタルシフトであった。


 後半に入ってからウチのサッカーは全く機能しなかった。それからはやられたい放題。主に速攻のカウンターを何度も喰らい、立て続けに失点。こちらもメンバーチェンジを行いながら変化をつけたが、自力の差で競り負けた。


 何よりも。


 


 そう、俺たちはリーグ後半戦が始まって似たような展開での三連敗。


 負けた三試合とも、リーグ前半では勝ち越した相手だった。決して慢心があったわけではない。手を抜いたわけではない。相手もまた日々邁進まいしんして進化を続けているのだ。ウチを相手にする時だけ、普段は使わないシステムを敷いて、完全に対策されていた。スポーツ——特に勝負事で勝てるポイントや弱点をつくのはセオリーである。


 もっとも、冷静に考えれば本当の自力の差が出たのかもしれない。俺たちは一昨年まで三部降格すらあり得たチームで、ここまで勝ててこられたのが不思議なくらいだ。


 スポーツ紙なんかでは、『月見の奇跡』やら『天才の魔法』なんてもてはやされ始めていたけれども、三連敗が続けば当然のように疑問の声も上がり始めていた。


 ついさっきまでもマスコミに色々突っ込まれた。


 まあこれも監督の仕事なんだろうって今では割り切っている。以前であれば、マスコミは恐怖でしかなかったけれど、必死にやってくれている選手たちを見てると、俺も戦わなければならないとは思う。


 今までは矢面やおもてに立ってくれていた佐竹夏希――チームマネージャーの佐竹さんがいてくれたから、ただ試合のことだけを考えていればよかった。彼女がチームを去り、俺は表に出ることが多くなった。


 とはいえ、悪い話ばかりではない。

 その佐竹さんは今――。


 ぽん、と通知音が鳴った。


 スマホを取り出すと、元チームメイトからのメッセだった。


『ワンアシスト、ワンゴール! すごくない!? 今日はハーフ出たよ!』


 自分たちのことで精一杯ですっかり忘れていたが、今日はデイゲームだったようだ。海を越えて武者修行中の鹿野紬は毎節毎節、結果報告をしてくれている。


『試合は勝ったのか?』


『もち! 私がいなかったら勝てなかったね!』


 俺たちとは真逆に、紬は調子がいいみたいで何よりである。


『さすがウチが自信を持って送り出した選手だな』


『もっと褒めて!!』


『なんかテンション高くね?』


『今終わったばっかだからアドレナリンどばどば』


 紬は言葉の違いでコミュニケーションに苦労しており、移籍後、途中起用に甘んじていた。


 しかし結果至上主義のこの世界じゃ、プレイで周囲を黙らせることは珍しくない。鳴り物入りだったもののくすぶっていた彼女にしてみれば、結果は喉から手が出るほど欲しかったろう。


『そっちは?』


 問われて返答に躊躇ちゅうちょする。

 隠してもすぐにわかることなので、素直に『負けた』と返した。


『そろそろ移籍金用意しておいたほうがいいんじゃない?』


 俺は顔をしかめた。


『……ウチが手を出せないくらいビッグプレイヤーになれよ』


 そこでやりとりは終わるかと思ったけれど、しばらく間が開いたのち、


『聞いたんだけど、佐竹マネ、辞めたんだって?』


『今、サッカー協会に関わっているらしい』


『そうなんだ? 健吾がセクハラして裁判中?』


『なんでだよ!』


『でもさ、それって、あれだよね。見えているところは同じだよね?』


 それだけではなかろうけれど。


『多分あの人は……最初からずっとそれを目標にしてたんだって思う。あなたが叶えられなかったものを叶えさせてあげるために。月見健吾が立てなかった舞台に立たせるために。役柄は違うかもしれないけれど』


 もしそうだとしたら現状では力不足としか言いようがない。

 佐竹の思惑に見合った結果をまだ残しているとは言い難い。


『私さ、また一緒にやりたい。今度はもっともっと大きな舞台で。だから、そのために海外に行くべきだと思った。強い人と戦って、巧い人からたくさん盗んで、もっとレベルアップしなきゃって思った。まだ足りない。全然足りてない。早く月見監督に会いたい』


 離れていても同じ場所を目指す仲間からのその言葉は、どんな励ましよりも心に刺さった。


『俺もだ』


 だから俺は考えなくちゃらない。


 勝つ方法を考え尽くさなければならない。

 ただ勝つことでしか俺たちに先はない。


 佐竹さんが、紬が、あるいはチームメイトたちが同じ頂を見ているかもしれない。そこへ繋がるには勝つしかないのだ。


 つまり。

 立ち止まっている暇がない。

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