ハーフタイム
クラブハウスの脇では、煌びやかで儚い光が散乱していた。
しゅーっと、滝のように流れる光。パンと弾けて見窄らしく咲く花。
花火である。
選手たちは皆、夏にぴったりな浴衣を着て、風流を楽しんでいた。
「じゃあ行くぜぇ」
台に立つイザベラは、昼間に用意した竹にそうめんを流した。
「はっは! 全部止めてやる!」
宮瀬コーチはキーパーグローブをはめ、全そうめんを最終ラインで止める気らしい。しかしそうは問屋が下ろさぬと、皐月はひょいひょいと器用にそうめんを掬っていた。だが、ここで食いしん坊心美が黙っているわけもなく、投下される以前の鍋に入ったそうめんごと食う始末である。
「はい、あーん」
由佳は掬い取れた一本を嬉しそうに香苗の口に運んだ。
「ばっ! そんな恥ずかしいことやらせんな!」
「えー。キャプテンの気遣いを受け取れないっての? じゃあ口移ししてあげようか?」
「なんでそうなるんだよ!」
「じゃあ監督にしてあげる」
「それはやめろ!」
由佳はほくそ笑んでいた。
なんだ、お前もまんざらじゃないのかよ。
と思っていると、肩をツンツンとされ振り返る。
環と真穂がニタァ、と悪そうな顔を浮かべていた。背筋が凍る。
そして二人は火のついたロケット花火を俺に向けたのだった。
「良い子がやることじゃないから!」
悪戯コンビに散々追いかけ回され、「監督も大変やな」と杏奈がうちわで扇いでくれた。
そんな、微笑ましい限りの夜は、彼女たちの提案だった。リーグ戦はすぐにでもやってくるのだけれど、一日くらいはリフレッシュに使ってもいいだろうと、全会一致。というか、全員に思うところはあったのだろう。
埼玉戦が終わった翌日、事務所に入った俺は佐竹夏希のデスクに『監督へ』と書かれた手紙を発見した。二枚あった。一枚は、今後のことを書いたもので、同じ封筒にはクラブ経営に関するデータ資料がまとめられていた。肝心な内容の方だが、経営者は再び父が引き継ぐことらしい。あと、事務スタッフなども補充され、事務所は少し手狭に感じた。けれど足りていない。
もう一枚の方だがまだ開けてない。
あまり見る気がしなかった。
書いている内容にはおおよそ予感というか、謝罪とかそういう類の言葉であることはあけすけて考えついたからだ。なぜ彼女が出て行ったのか心情を類推することはできる。だからと言って、無責任ではなかろうか。別に俺は彼女を責めたかったわけではない。第三者が間違いだと言ったとしても、そう思うなら自分自身で正せばいいのではないか。それを手紙一つ二つで済ませる彼女の行動はやっぱりわからない。というか、どこに? という疑問の方が強かった。サッカーの世界を離れたのだろうか。佐竹夏希はサッカーが好きではないのだろうか。
その真相が語れるような気がして開けられなかった。
ドンっと、腹の底が震え、夜空に赤い花火が咲いた。
そうそう、本日は近くで花火大会があるらしい。もちろん、その日に重ねて本日のイベントである。一部ではファンも交えて——という話も出たが、結局内々という話に収まった。
「——どこ行くの?」
紫苑に呼び止められた。
「ああ、忘れ物」
「これから本番じゃない」
「そっちはそっちでやってくれ」
「……そばにいてあげようか?」
しばし間を置いて、
「一人にしてくれ」
「なんかさ、寂しいよね」
「そうだな」
「こんな風に、いつか欠けていくのかな? 大切でかけがえのないものはなくなってしまうの?」
「そういう世界だからな」
「花火みたいね」
「そう、だな」
「私はそばにいてあげるから。月見がどこに行っても、近くで一緒にサッカーしたい」
「いつになくデレるな。なんか悪いもんでも食ったか?」
「バカじゃ——ええそうね。悪いものを食べたわ。お腹痛いからもういくね」
「なあ紫苑。あんまり責めてやるなよ。あの人はあの人なりに、いろいろ抱えてたろうから」
「それは優しさじゃないわ」
かもしれない。
「慰めたり庇うだけが好きってことじゃないと思うわ。ぶつかったりして、自分の醜いところとか晒け出したりして、それでも許せるのが好きってことなんじゃないの?」
「お前は大人だよな」
「本当に伝えたいことは言わなきゃダメよ。あ、私あなたのこと好きだから。ラブじゃなくてリスペクトの方ね」
「知ってるよ。ありがとな」
「こちらこそ、どういたしまして」
紫苑と別れて、事務所に向かう。
あの言葉はなんだったのだろう。諦めて絶望して、奮い立たせようとしたあれはなんだったのだろう。そんなことを思いながら事務所に入った。電気をつけようとしたところでふと何かが触れた。すぐに直感した。サッカー選手の骨ばった手ではない。柔らかく、肉体労働をしていない優しい手だ。
「佐竹……さん?」
暗闇の中で人影が袖口を引く。ちょうど弾けた花火の光が、彼女を照らした。
「どうして……?」
しかし夏希は答えず、窓際に俺を誘導した。
「君は一体何がしたいんだ?」
背中を向け、窓のそばで彼女は立ち尽くした。
「私だって!」
強く発して彼女は振り返る。
逆光を浴び、うっすらと泣きはらした赤い目が浮く。
「私だって同じ場所に行きたいって思ったんですよ」
「意味がわからない……。ここにいれば、同じ場所じゃないのか?」
涙をぬぐい、彼女は強い眼差しを向けた。
「少し前まではそう考えていました。でも違うんです。違ったんです。私のやりたかったことは、誰かを評価して、誰かを切り捨てたりすることじゃないんです」
なし崩し的に任されたクラブ経営のことだった。
「私はサッカーが好きです。好きになりました。あなたがここにきて、選手たちが頑張って、勝って負けて、一生懸命になって戦う姿を見て、余計に好きになったんです!」
「じゃあ余計に……どうしてなんだ?」
「私はサッカーをやったことがありません。運動も苦手です。でも、それでも私だって一緒に戦いたいと思ったんです。だからそのために、そうなれるように、ううん。私にしかできない協力の仕方を考えたんです」
「それは……?」
「待っていてください。必ず、追いつきます。私も皆がいる場所に行きます」
「……今からサッカー始めても難しいと思うけど」
「ばかっ! おばか!」
いや。なんとなくわかるけれども。
「これは私が始めた物語です。私が歪めてしまった月見さんの人生です。だから、私がちゃんとゴールに導いてあげます。私が犯した罪を、きっちり償います。だから待っていてください。いいえ。必ずもう一度、あなたに同じセリフを言ってみせます」
ああ、あの手紙はそういうことだったのか。久しぶりに読みが外れた。いや、この人は俺の予想をいつも覆す。
夏希もより高い世界を夢見てしまったのだ。
「半年以内。約束します。そして約束してください」
彼女の見えている景色は想像がつくし、俺も同時に——いや、少しずつ考え始めていたことだ。すでに紬には約束している。
「結局俺は、口だけの男だった。何一つ結果を残せなかった」
「何言ってるんですか。十分すぎるくらいに結果を残しているじゃないですか」
「でもまだ足りてない。そこにたどり着くにはきっと」
「かもしれません」
「もしもまだ信じてくれているなら――いや、失望してしまっていたとしても、君の抱いてくれた夢だけは嘘にしない。するつもりはない。勝負の世界だから実現できるとは言い切れない。多分、幻で終わってしまうだろう。でも俺は諦めない。諦めることを諦めない」
「そんなあなたが私は好きです。好きになりました」
俺はまぶたを叩いた。
「二人で、世界へ殴り込みに行きましょう!」
拳を握って見せたあと、彼女は俯いた。
「だからその……えっと……」
微かな違和感を覚えた。
「……あれ本気だったの」
「はい?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「いや、佐竹さん、よくわかんないとこあるから。真面目なのかギャグなのか、本気なのか嘘なのか」
「私はいつだって全力で本気ですよ。嘘をついたことがありません」
「ああ、うん」
「それは返事的な解釈でいいですか?」
ん?
会話が噛み合っていない気がする。
「もしかしてだけれど、佐竹さんさ。こないだのこと覚えてる?」
「何の話ですか?」
ああ、なるほどね。
なるほどなるほど。
今理解した。
てっきり、口調ははっきりとしていたから記憶はあるもんだと思っていた。
「佐竹さんさ、二度目だってことは気づいてる?」
「え」
目をぐるぐる回して、頭を抱えて、青ざめていった佐竹夏希はじたばたした。
「もしかしてですけれど……」
「あー、」
お茶を濁す。追撃をかけるべきか、そっとしておくべきか。
「私、何か変なこと言ってました!? ディティールを覚えていないんです!」
お酒飲んだもんね。
「もしかして私、恥ずかしいこと言いましたか!?」
「恥ずかしさの度合いでいうと、埼玉戦の時の熱弁の方が」
あと、だいぶ誘ってた。
「佐竹さんはお酒飲まない方がいいと思う」
「あ、わ、わ、わ、わ、わ、」
佐竹夏希が壊れた。
しかしそんな彼女が嫌いになれないばかりか。
いつも糸の切れそうなところで手を差し伸べる彼女のことは。
「——————」
長く長く、耳に残る。
自分が何を言ったかわからないほどの爆音にかき消えた。
綺麗に咲いて、儚く散っていく。
しかしどうやら伝わったらしい。
目を開いたまま大きな瞳から一滴だけこぼれ落ち、それから。
重なって、気づく。
「……また飲んでるな!?」
アルコール混じりの呼気が喉から鼻を抜けていく。
唇が離れて、俺は視野を広げた。そして見つける。ビールの缶を。
「飲まないと、好きだなんて言えるわけないじゃないですか!」
「ノーカンだ! シラフでしか受け付けない! 前言撤回する! 今のはなしだ!」
「そんな! 乙女の気持ちを返してください!」
こっちのセリフである。
「どうせ明日になったら忘れてるんだろう?」
「じゃあ忘れないようにもう一度」
と。
しっかりと記憶に刻まれた。
「少しの間、お別れです。次に会う時は」
「一緒にサッカーをしようか」
いつものように屈託無く笑った。
夏に目一杯咲くひまわりのように。
「はいっ」
花火なんかよりもずっと綺麗な笑顔が咲いていた。
そんな夏の始まり。
残りは半分。その先にさらなる未来が続いていると信じて。
立ち止まっている暇がない。
**第3部(上)完**
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