空中分解(4)

 オフが開けた月曜日、駐車場に着くと、見知らぬ男と紫苑が車の中で何かを話し込んでいるのが見えた。


 男は紫苑に名刺を渡していた。

 隣で佐竹が心配そうに眉を潜める。


「もしかしてあれ……」


 俺もなんとなく予感したが、追求はしなかった。


 それから練習が始まる。香苗はどこか心ここに在らずと言った感じで、イージーミスを連発していた。他の選手たちもどこか上の空で、集中し切れていなかった。


 すると紫苑がキャプテンの掛川かけがわ由佳の元へ行き、何かを伝えていた。


 由佳は困惑した表情を浮かべ、紫苑は呆れていた。そこへ香苗が合流して、怒鳴り声が上がる。選手たちはぎょっとして、練習を止めた。

 香苗は紫苑に掴みかかり、俺を含めたコーチ陣は慌てて二人の元へ駆け出した。


 他の選手たちに抑えられながらも香苗は罵声を浴びせた。


「いい気になんなよ! ちょっと監督に気に入られたからって、ちょっと活躍したからって、スカウトに移籍話持ち込まれて、その高くなった鼻をいつかへし折ってやるから!」


 熱くなる香苗に対して、紫苑は冷然とはしつつも喧嘩を買った。


「はあ? 誰がいい気になってるですって? そりゃ、点を取れば気持ちいいし、誰かさんのポジションを奪うのはザマアミロだわ」


 香苗の額に青筋が浮かぶ。


「たった一回で、たった一点取ったくらいで、自分好みのボールを要求してんじゃない!」


「フォワードが点を取れるボールを要求するのなんて当たり前じゃない。あんたみたいに背が高くないからハイボールよりも足元か裏へのボールを要求するのは普通じゃない? 私はクロスしか大して取り柄のない由佳に、レベルアップの手ほどきをしたのよ」


 ブチリと何かが切れる音がした。


「それが傲慢だって言ってんの! その性格じゃチームの信頼なんて得られない! あんたがいなかった半年、私はチームの連携を深めてきたの! よく周りを見なさい!」


 香苗が今にも手を挙げそうというのもあったけれど、紫苑の周りには


「あんたは一人なのよ! 確かに才能あるけど、あんたから才能取ったら何も残らない! チームメイトの信頼ないあんたに誰もボールは出さない! あんたが点取れなくなったら、あんたは一人になる。そしたらあんたは、また他のチームに行くしかないんだから!」


 夏希からチラリと話は聞いていた。紫苑はここに来る前も、ユースチームを転々としていたらしい。


 紫苑は白い肌を真っ赤にして、香苗を睨みつけると練習技ビブスを脱ぎ捨て芝生に叩きつけた。


「そんなに私が嫌いなら、はっきりそう言えばいいわ。ええ、じゃあお望み通り去ってあげる。さようなら」


 紫苑は脱ぎ捨てた衣服を踏みつけ、グランドから立ち去った。


 誰も彼女を追いかけなかったのが、香苗の言葉を証明していたのかもしれない。




「えー、皆さん。マネージャーから今後の予定を……説明する雰囲気ではありませんね」


 夏希はチラリと助けを求める視線を俺に送った。


 香苗と紫苑の喧嘩のあと、選手全員はミーティングルームに集まっていた。もっとも、予定通りの連絡だったのだが、空気は最悪だ。香苗はずっと舌打ちと貧乏ゆすりを繰り返していたし、紫苑はそもそもこの場に来ていない。


 俺は天井を仰ぎ、ため息をつく。


「リーグ前半戦が終わり、本来なら明日から合宿の予定だったが、今週はオフにする」


 選手たちは不安げに隣の子とヒソヒソ確認しあっていた。


「ただし合宿は予定通りやる。参加したい子は佐竹さんに報告を。休息を取るのも自由にする。通常の練習再開は来週から。各自それまで調整期間とする。以上」


 そうしてコーチ陣はミーティングを切り上げ、自然と事務所に集まった。


 俺たちは皆頭を抱えて、嘆息する。


 本当はこのあと、リーグ後半戦に向けての勝利祈願に飲みに行こうかとの話だったがそういう雰囲気でもなかった。


「香苗くんの熱血っぷりは、ほとんどがチームの起爆剤になってくれるんですが、今回は悪い方向に出てしまいましたね」


 宮瀬コーチが呟いた。


「確かに香苗は言い過ぎるところがありますが、紫苑も紫苑です」真賀田が返す。

「けど、移籍話というのは本当なのでしょうか。佐竹マネは何か聞いてますか?」


 俺と目合わせたあと夏希は「いえ」と首を振る。


 確かに、もうすぐ第二次登録期間が始まる。つまり夏の移籍市場だ。目の肥えたスカウトマンなら、紫苑の復帰を心待ちにしていても不思議じゃない。


「でもなあ……紫苑取られると痛いなあ」


 俺は漏らした。


「けれど監督。紫苑と香苗のポジションが被りますし、今のシステムで行くならどちらかがベンチになるでしょう。あの仲です。同時に使うのは試合を破壊しかねません」


「そう、まるで水と油のようにね」


 宮瀬コーチの口癖であるたとえが炸裂するが、誰も笑わなかった。


「俺は結構あの二人、良い具合になると思うんだけどな。貝と昆布って感じでラーメンの出汁ダシにはぴったりだ」


「なんですかそれ……」


 真賀田はぽかんと口を開け、宮瀬はツボに入ったらしくお腹を抱えて笑っていた。


「香苗の言ってることもある意味正しいし、紫苑の言ってることもある意味正しい。方向性は違うけどさ、結局のところあいつら勝ちたいから打つかるんだよ」


 誰よりも勝利に貪欲なのだ。


「だとしてもあの二人が噛み合うなんて私には想像できません」


「そう、まるで水と油」宮瀬がぼそり。「まさにラーメンです」


 しばらく無言が続き、


「「「はあ~」」」


 俺たちはため息を揃えた。


 そんな中、コンコンと扉が叩かれ、真穂が姿を見せる。


「あのさ、監督」


 どうした、と目を向けると、真穂はちょこちょことした小走りでそばに近づき、耳打ちをした。


 どうやら真穂は紫苑を探して、見つけたようだ。話を聞こうかと持ちかけたらしいが、突き返されたらしい。


「で。監督のお説教ターイムじゃない?」


 期待してくれるのはありがたいが、正直紫苑に言ってやれることはほとんどなかった。彼女は必要なことを自分からできる選手だし、技術的にも才能的にも誰かが教えて開花する段階を当に過ぎていた。つまり一流選手の領域に入っているのだ。超一流になるには、自分で切り開いて行くしかない。


 ましてや超一流になれなかった俺に言えることなんて。


 俺の不安げな表情を察したのか、


「監督ってさ、多分紫苑ちゃんと似てるよね?」


 俺は答えなかった。自身、紫苑と俺が似ていることは気づいていたし、おそらく紫苑も知っている。むしろ俺に似せているところがある。意図的だろう。だからこそ彼女は真似をする段階を終えているのだ。


「私さ、こないだの試合、全然んだけど、一瞬だけコースが見えたの。今までは自分が調子良い時だけ見えていたんだけど、あの瞬間、紫苑ちゃんが見せてくれたような気がするんだ。月見健吾とサッカーしたらあんな感じなのかな?」


 さあな、と俺は肩をすくめた。こればかりはやってみないことにはわからないし、男子と女子が同じピッチに立つことはない。机上の空論だ。


「紫苑ちゃん、出て行っちゃうのかな?」


 真穂は、去りゆく恋人を惜しむような憂いげな目を練習場へ向けていた。


「もっと面白そうなことできそうなのに……」


 わかってはいる。俺がそうだったから、紫苑を決して孤立させてはならないことくらい。しかしなんて言えばいいのかわからない。


 俺が真穂に興味を抱いたのは——恋 人パスの出し手に感じられたから。言い換えれば、紫苑にとって真穂は最愛の人パサーになり得る。


 実際、前の試合での得点、真穂から紫苑に通ったパスからはラブレターホットラインを感じた。

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