空中分解(3)

 二枚つけて、ようやくイザベラを好きに仕事はさせなかったものの、それでも危うい場面は何度か作られた。


 幸い失点は許さず、後半の半ば、十一番がコートに立つ。


 紫苑は髪留めを口にはさみ、髪を束ねる。白銀の髪が尻尾のようにくくられると、つかの間彼女は目を閉じ、胸を大きく膨らませた。


 その時——まるで天に祝福されるように、サッカーの女神様に見初みそめられたように、晴れ間が差し込む。


 紫苑は十字を切ると、ピリリとした雰囲気を放ちながらピッチへと向かった。


 ベンチに戻った香苗は水分補給をしながら、頭にタオルを被りうつむいていた。


「あの子は……紫苑は悔しいくらいに才能を欲しいままにしています」


 その紫苑にボールが入った。

 ファーストタッチ、俺はカッと目を見開いた。


 フェイント一つ交えてターン。香苗が四苦八苦していたC Bセンターバックを置き去り。追いかけてきたもう一方のCBもターンで間を空け、ミドルシュート。


 惜しくもポストを掠めゴールキック。


「スピード、テクニック、そして何よりもゴールへの嗅覚。紫苑はFWに必要なものを全て持っているんです」


 確かに杏奈にも引けを取らないスピードに、紬とは方向性の違うものの同等に近いテクニックを持っていた。


 今まで俺たちは十一人の役者をすべて使ってゴールへの舞台を整える点の取り方だったが、彼女は——宇都宮紫苑はたった一人でこじ開ける突破力を持っていた。


「言うなればあいつは……」


 香苗は唇をむと、ぼそりと呟いた。


「月君健吾の生き写し」


 言われなくとも、俺自身が真っ先に気づいていた。守備をしないところも、どこか味方を頼っていないところも似ていた。


「嫉妬しますよ。私が半年かけて追いついたと思ったのに、あいつはもっと先にいるんですから」


 化学反応は真っ先に出ていた。


 ここまでイマイチだった真穂から目の覚めるようなスルーパスが通った。反応した紫苑はゴールラインの深い位置までえぐり、体勢を崩しながらもキーパーの真横をズドン。GKは反応すらできなかった。


 ゴールして喜ぶかと思いきや、紫苑は真穂に近づくと、何か言っていた。真穂はきょとんと首を傾げている。


「あいつは気に入らないパスが出ると、試合中も関係なしにああやって文句を言いに行くんです。それで以前、チームメイトと何度か口論になって、チームがぐちゃぐちゃにかき回されたんです」


 香苗の言いたいことはわかったが、少々傲慢ごうまんな性格をプレイで押し黙らせるほどの力も持っていた。


「どうしてあんなやつに才能が……っ」


 香苗は怒りに拳を握っていた。


「お前何か勘違いしてないか?」


 香苗は疑問を表情に表してゆっくりと俺を見上げる。


「わかんねえならそれでいいけどさ、あんなもん才能でもなんでもねえよ。まあ確かに、速筋と遅筋のバランス配分が才能ってのはあるかもしれねえけどな」


 俺と似た選手だからこそわかる。


 彼女は、紫苑はただ才能に恵まれただけの選手ではない。確かに、パスの軌道や落下点など、ボールの行き先をいち早く見極める目と空間認知能力は優れているかもしれない。


 だがそこにたどり着くためのスピードは決して才能なんかではない。


 例えばの話、陸上選手が練習もせずに記録を出せるかという話に行き着く。なんてことはない。紫苑は自分の特徴を知り、長所と短所を知り、自分の武器をひたすらに磨いてきただけなのだ。


 この世に天才なんていない。


 これは幾多の選手を見てきた俺の持論だ。もちろん、素晴らしい選手を表現上、天才と言うことはできるけれど、真の意味での天才を俺は未だ見たことがない。そんな選手はきっとこの世に存在はしない。


「でもあいつは……皆んなの前で練習なんてほとんどしてません。今週だって、ちょっと戦術練習に加わっただけで——」


 ではしないだけ。


 過去のビデオ映像だけで、俺が試合に使うはずもない。現状六割だとしても、その時点ですでに香苗より使える状態だったから。皆の前ではリハビリメニューをこなし、皆が帰ったあと、ひたすらウェイトをこなしていた。想像以上に紫苑はストイックな選手だ。途中交代の難しい場面でも、ほんの数分でスイッチを入れるのは一流選手のそれ。


 はっきり言って紫苑はレベルが違った。

 香苗には厳しい現実かもしれないが、それがプロの世界。


 しかし試合は後半終了間際、イザベラの個人技が炸裂し、1-3で敗北した。



 そして、東京イシュタルFCはリーグ前半を五位で折り返すことになった。

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