第2部

キックオフ

 晩秋の風は真夏のように熱気を運んでくる。


 紅葉したスタンドは勝利を信じて、声を枯らし声援を送ってくれていた。季節をひっくり返すほどの熱気で。


 リーグ最終節、優勝をかけた争い。リーグ三位につける俺たちと、二位につける宮崎ファルコンFCの勝ち点差は2。勝てば自動昇格が決まる直接対決。


 俺はスコアボードを見上げ、歯ぎしりをした。


 魔法は不発。


 両翼りょうよくはへし折れ、巨人のストライカーは手も足も出ない。そうして四門の主砲を閉ざされたイシュタルFCのスコアは0。俺たちに突きつけられた現実は、0-3だった。しかもたった一人にハットトリックを決められていた。


 時計は九〇分をとうに過ぎていた。


 もう……。


 諦めが脳裏を過る。だが、真綿でめつけるように、死刑宣告はいつまでも下されない。審判は何度も時計を見るが、笛を吹かなかった。何かがおかしい——。そう思ったが、俺はまだ気づかない。


 相手FWがボールを持った。駄目押しゴールを狙う気だ。一人、二人、三人とイシュタルFCの選手は吹っ飛ばされて行く。


 まるでトランポリンのように天高く飛び、星になって、帰ってこなかった。


 そこでようやく現実ではないことに気づいた。


 だが夢の覚め方がわからない。


 足元にからみつく芝生が、根を伸ばしてくる。俺の体を雁字搦がんじがらめにするだけではなく、選手たちの身も絡め取っていた。相手FWが放った大砲のようなシュートはゴールネットを突き破り、スタンドを破壊して、地球を一周した。


 ブーイングが雨のように降りかかる。

 ペットボトルが投げ込まれ、『帰れ』コールが響く。


 真賀田まがたコーチがきびすを返し、ベンチから立ち去る。宮瀬みやせコーチはキーパーのユニフォームを着て、蜘蛛のような足取りスパイダーディフェンスで俺をはばむ。いつの間にか背中には白井真穂しらいまほが乗っかり、「監督のえっち」とささやく。


 背後ではつむぎが傘の上でボールを転がして曲芸をしていた。


「見てください、監督。私、上手になりました」


 心美ここみはお菓子に囲まれ、お相撲さんのような巨体になっていた。香苗かなえは巨大ロボになって、スタジアムを「ウガガガガガ」と破壊する。


 杏奈あんなはスポーツカーを乗り回し、彩香あやかはイエローカードとレッドカードでトランプをしていた。キャプテンマークをつけた由佳ゆかはマイクを持って、俺に「敗因は?」とインタビューして、木崎きさき姉妹は二人から四人、四人から八人に分裂する。


 結城学ゆうきまなぶがスーツを脱いでふんどし姿で踊っていた。それから、佐竹さたけさんが遠くから俺を見ていた。今にも泣き出しそうな顔をして、何かを言いかけて口を開いては閉じてを繰り返す。


 なんだこれ……。

「なんなんだよこれェェェェ————————っ!?!?」




 ——そこで俺はハッとした。


 寝汗をびっしょりかいていた。


 荒ぶった呼吸を整え、俺は頭を抱える。現実の認識が追いついてきて、夢……か、と心でとなえる。


 まだ外は暗かった。

 ざーっと雨の音が響き、たくさんの雨滴うてきが窓を伝っている。


 まだ梅雨の開けない六月の後半。

 ふと見を起こすと、テレビが付けっ放しだった。


 ——ああそうか。また寝落ちしたのか。


 画面には、次のファルコン戦の録画が再生されていた。


 正夢にならない保証もなかった。もちろん非現実的なことは起こり得ないだろうが、手も足も出ずに敗北することは案外、簡単に起こり得る。


 テレビを消して、俺は冷蔵庫へ向かった。ミネラルウォーターでのどうるおすと、携帯電話がバイブレーターを鳴らす。電話を拾い、画面に目を落とすと見知らぬ番号からだった。


 ベッドですやすや眠る佐竹さんを一瞥いちべつし、音立てぬようベランダに出ると呼び出しに応じた。


「よお、月見。お前にいい知らせがある」


 男の声。


 どこかで聞いたことのあるような気もしたが、思い出せなかった。


「えっと、どちら様でしょうか?」


「んなことはどうでもいい。お前を欲しがってるクラブからのラブコールだ。月見、今すぐ荷物をまとめてスペインにこい」


 ああ、向こうはちょうどナイターゲームが終わったくらいか。


「二年契約だ。あちらさんはお前のために左ウイングを開けてくれた」


 次第に頭の働いてきた俺は「え?」と言葉を返した。


「選手に戻れ、月見。お前の居場所はそこじゃない」


 トクン——と心臓が高鳴たかなった。


 雨の音が脳にまで響いてくる。

 夢じゃないらしい。


 古傷がジンジンとうずいていた。

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