6章

孤独な天使たち(1)

 前節の勝利から数日後。


 オフが開け、サッカー選手にとっての日常が舞い戻ってくる。

 選手たちは自信と活気に満ち溢れ、芳しい声をあげていた。


 まるで芝生の上に咲く色とりどりな花たち。

 あるいはボールを巡って踊る小鳥たち。


 一つの勝ち星を機にチーム全体のムードもガラリと変わった。この効果をもたらしたのは、一度は辞めようとさえ思っていた鹿野紬だ。試合が終わって数日経った今でさえ、紬が描き出したゴールまでの轍が鮮明に焼き付いていた。息を飲むほどに美しいあのドリブルを俺はもう一度見たいと思った。


 いや、俺だけじゃない。チームメイトも当然だし、真賀田コーチだってそうだろうし、いつも熱心に応援してくれているファンですらそう思っているはずだ。


「つむちゃん!! ドリブル見せてくれぇ~っ!!」


 と、フェンスの外から声を立てるファン。

 早速、横断幕をお手製してくれたらしく、


『飛び立て!! 天使の羽』


 なんて過大広告。

 心なしか、ファンたちのレプリカユニフォームには背番号7番が増えていた。

 もちろん、7番は紬の背番号だ。


 ちなみにだが、ウチのチームで一番ファンが多いのは点取り屋の香苗だが、香苗のファン層は強面というか、レディースというか、鼻っぱしが強いファンが多い。


 子供に人気があるのが杏奈。サッカー通の年配たちは心美が好みらしい。


 若い男女に支持されるのは、琥珀と玲奈のサイドの二人。ピッチ上で縦横無尽に働く姿にシンパシーを感じるのだろう。


 俺が監督に就任してからの新チームはなかなか成果が出なかったが、去年の一部チームから初白星をもぎ取ったという意味は非常に大きい。


 選手達にも大きな自信となった。


 どうでもいいことだが、一番勝利を喜んでいたがオーナーだったのは言うまでもない。しかし選手達は決して一回の勝ちに満足せず、気を引き締めて練習に取り組んでいた。


「ようやくいいイメージが定着しましたね」


 いつも仮面を被ったかのような表情をしている真賀田右京コーチですら表情を緩めるほどであった。


「いや、定着するのはあれが何度もできたら。今はまだ五合目……三合目くらいかな。こういうのは練習で反復するのがいいけど、そんな時間はないしね」


 点を取れたパターンを忘れないように何度か同じ状況をシミュレーションさせ、身体に染み込ませるのだ。咄嗟の状況で反射的にそのパターンが使えるようにする。それこそが練習の本質だ。


 そうして武器が一つ増えていくのである。


「監督は時間がないと言いますけど、私は──」

「あと二年。長くても二年で俺はここを去る」


 俺の言葉に真賀田は少々驚きを見せていた。


「誰になんと言われようとも変えるつもりはない」


 だからこそ二年の間に残せてやれることを残してやりたい。


「二年というのは何か理由が?」


 俺は言うべきか少し迷ったが、隠すほどでもないと思って告げることにした。


「一年のつもりだったけど、この子達を見て延長することにした。俺はあと二年でサッカーを続けるかこの世界から去るかを決める」


 真賀田は無言で目を向けた。


 俺はこっそり身体を作り直してる。次のワールドカップが四年後。そこに滑り込むには最終予選の始まる二年前には現場に復帰しておきたい。


「多分一年くらいで戻せると思う。真賀田さんには俺の恩師の話をしたっけ?」


 真賀田は首を振る。


「ユース時代に俺の価値観を変えてくれた人でさ、どうにもその人が次の監督に選ばれそうなんだ。俺が選ばれなかったら辞めるつもり」


「……そうですか」


「選手にもマスコミにもまだ内緒だから」

「口外はしません。こう見えても口は堅い方なんです」


 どう見ても堅そうなひとなのだが──。真賀田に目を向けた俺は言葉を飲み込んだ。侘しそうな遠目が軽口を望んではいない雰囲気を解き放っていた。


「何か言いたそうだね」


 真賀田は一瞥する。しかしすぐに選手たちに戻して話題を変えた。


「監督は気付かれましたか? 今、真穂の調子が非常に良さそうです」


 当然気付いてる。真穂の動きはというよりも冴えていた。

 まったくの無駄のない動き出しに、巧みなボールコントロールだった。


 もしかしたら次に開花するのは──。

 俺は二つ目のピースがしっかりと嵌っていくのを感じつつ俺はほくそ笑んでいた。


 全体練習が終わると、選手達は緊張感をほどき、ファンたちの元へ向かった。

 握手とサインに応じ、そのあとは個別の自主練。


 俺の監督としてのやり方は、チーム全体のことを提示するだけで、個々の練習は選手達自身に委ねるやり方だ。これは、彼女達がまだまだ若いからというのも理由の一つである。技術や基礎の高さは同世代と比べてもずっと高いが、俺はまだ伸び代があることを感じていた。ウィークポイントを消すよりも、自分の武器を研ぎ澄ます方がずっと先の未来を考えた時、為になる。


 俺はスタッフに混じり、片付けをしていると、フェンス越しから若い女性に手招きされた。内心、差し入れでもくれるのかと期待していた俺だったが、近づくと開口一番、


「イシュタルFCの初勝利は、去年一部だったセレソン大阪でした」


 そこで、隣にいた男がさっとハンディカメラを手に持つ。

 ──マスコミか。


 女性はメモとペンを取り出して、

加藤莉子かとうりこです」

 と自己紹介を始めた。


 大手テレビ局の新人アナウンサーらしい。俺と同じくらいの歳の頃で、しっかりとめかし込んだメイクに、カメラマンが出すカンペ通りの質問をする。


 お茶の間のおじさん連中が好みそうなお天気お姉さんというよりは、しっかりとした芯を持っていそうな眼差しだった。


「サッカー界隈では、月見選手の引退にまだ動揺が広がっていますが、監督として女子チームを率いることにしたのは何か理由が?」


「ウチの子達には才能がありますからね」


 のっけから敵意を向けてくるわけではなかったので、俺は応えることにした。


「ところで、月見選手が引退した理由には、チームメイトとの確執がまことしやかに噂されていますが、実際のところはどうなんでしょう?」


 加藤アナは特別サッカーが好きというわけでもなさそうだった。俺の電撃引退──いや、失踪に関して悲劇でも作り上げるつもりなのだろう。


「さあ。他人の気持ちなんて、結局分かりませんからね」


 言葉を濁す俺に加藤は顔をしかめた。カメラマンとアイコンタクトを交え、次の質問をするようにカンペをめくった。


「月見監督はスタメンの中で誰に期待を寄せていますか?」


「全員です」

「強いて言えば?」


「前節、素晴らしいドリブルを見せてくれた紬はもちろん、ウチの大黒柱である香苗のさらなる成長にも期待しています。あと目立たないですが心美なんかも玄人好みな働きをしてくれています」


 ただ、と含みをもたせて、


「紬に魅せられたのは何もファンだけじゃありません。俺は、紬に魅せられた選手が感化され、思わぬ大輪を咲かせてくれるだろうと感じています」


「それは一体……?」


「次の試合は見逃さないでください」


 俺は不敵な笑みを浮かべ、身を翻した。


 目線の先には、キラキラと目を輝かせながら心美を軽くあしらう真穂がいた。

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