ミッシングリンク(8)
じめじめと肌にまとわりつく六月。
アウェイで迎えた第十四節、スタンドの沈黙が気持ち良いくらいにゴールコールに破られる。
憑き物の取れた真穂は躍動し、ピッチを縦横無尽に駆け回る。小鳥のように軽やかに。神出鬼没に現れて見たこともない轍を描き出す。
試合を支配する貴婦人ですらも、魔法使いのテンポに合わせるので精一杯だった。
まるでその試合の時計を操ったかのように。
凍りついたディフェンスの隙間へと次々にパスが送り出されていく。それに負けじと、ライバル心を燃やした紬も華麗なダンスステップを刻んで相手を翻弄。
終わってみれば6-0の圧勝だった。
相手チームが弱かったわけでも、調子が悪かったわけでもない。
ゾーンディフェンスがまったく通用しなかったのだ。その二人のレベルが違いすぎて。
何度か相手も反撃に転じたが、戻ってきた木崎姉妹の呼吸と、リスク恐れぬアグレッシブな守備の彩香がDMFとして相手の攻撃をシャットアウト。
彩香はハードワーカーとして心美の相方の地位を確立し始めていた。時に鋭く、常に粘り強く、相手のトップ下に仕事をさせない働き振りが、相手のやりたいサッカーを殺した。
それから、前回チャンスを逃した
続く第十五節、ここまでフル出場だった由佳がふくらはぎの違和感を訴え、欠場。前回の試合終了間際でファウルを受けた箇所だった。骨や筋に異常はなく、次の試合には間に合うと聞き、胸をなで下ろす。
ウイングに入った子は、由佳よりも数段落ちる選手ではあったものの、舞い込んできたチャンスを掴もうと奮闘し、彼女からのアシストで試合は動いた。
前半の終盤まで均衡の破られない緊迫した試合ではあったが、頼れるエースストライカーが硬い守備をこじ開けて、点取れることを示せば、立て続け。アディショナルタイムにもう一点を加えて前半を折り返す。
しかしさすがはリーグ二位の執念から、後半中盤に一点を返された。こちらは点を取り返そうと前掛かりになったところ、カウンターを食らう。ペナルティエリアの外でファウルを誘われフリーキック。これを直接決められ、同点を許す。
相手は要所要所をしっかり押さえ、追加点が遠い。
そして試合終盤、一瞬の隙を突かれ、コーナーキックからの失点。相手は前線の選手をごっそり入れ替え、守備的な選手で逃げ切る構えだった。
これを崩せず時計の針は九〇分を迎える。
ラストワンプレー。
心美がボールを持った時、俺は最高の道筋を見つけた。
速いボールが真穂に入り、ディフェンダーに背を向けたままダイレクトで紬へ。紬もまた同じように背を向けたままダイレクトパス。
ツインテ快速お化けはゴールまで一直線。
風とゴールを切り裂いて、試合は終了した。
試合後、選手たちが引き上げる中、ある男が姿を現した。
結城学だった。
選手たちを真賀田に任せ、俺と結城は人の
まだ興奮の熱を残すスタジアム。
差し込まれる夕日は眩しく、芝生が紅く燃えていた。
「よくここまで立て直したな。シーズン前は一〇点も取られるようなチームを」
今何位だ? と結城は視線を送る。
俺は答えなかった。
腹わたが煮えくりかえるのを抑えるので精一杯だった。
「五連敗から、五連勝と引き分けを挟んでの三連勝で、今日はリーグ二位に引き分け」
結城はイシュタルFCの戦績を口にした。
「そして現在は勝ち点差同じのリーグ三位。このままいけば昇格も夢じゃない。リーグ前半が終わりつつあり、それぞれの立ち位置がほぼ決まった。イシュタルFCは間違いなくリーグトップの攻撃力を持つ。その破壊力は一部リーグでも通用するほどだと俺は見ている」
結城は微笑みを見せた。
「な、言っただろ? 木崎姉妹は必要だって。最終ラインが安定したから君のやりたいサッカーができるようになったんだ」
俺は結城を一瞥したが言葉は返さなかった。
「そう怒るなよ。俺ならそうしたってだけだ。正直、レッドカードの子が一気に台頭するとは普通思わない。それを言うのなら、ウイングのドリブルが上手い子や、トップ下の好不調の波が激しい小さい子や、ちょっと前まで体の緩んでた子なんかが、短期間で一流選手に近づくなんて、普通は誰も思わないさ。俺は自分の目に絶対の自信を持ってる。俺がイシュタルFCの監督なら、全部使わない。全部要らなかった」
そう言うと、結城は破顔して、くつくつと笑い始めた。
腹を抱えてしばらく笑い方けた結城はピタリと笑顔を消すと、鋭い視線を向けた。
「なあ月見くん。君には一体何が見えている? 君には選手の何が見えるんだ?」
「前に進む意思」
俺は短く答えた。
「確かに意識はスポーツ選手にとって重要だ。だが結局は効率的なトレーニングとそれを辞めなかったものだけがグランドに残る。そして最後は身体能力の世界。いわゆる才能ってやつだ」
「確かに才能が物をいう世界だろう。そしてあんたの言う通り、諦めの悪い奴が残るんだろう」
俺は一度諦め、そしてコートを去ったからこそわかる。
「なあ結城さん。試合が終わったあと、選手たちがどんな顔してるか見たことあるか?」
結城は眉根を寄せ、疑問の視線を向けてくる。
「そりゃ当然、勝ったら喜び、負けたら悔しがっているだろう?」
「ほら、あんたには見えていない。何も。選手一人一人の何も見えてない」
「どう言う意味だ?」
「勝って、笑っている子もいれば、俯く子もいる。悔しがったり、今日はやりきったって顔する子もいる。かと思えば負けて清々しい表情をしていたり、当然納得してない顔もする。全然違うんだよ。あの子達の見せる表情は」
「それが試合とどう関係する?」
「いや特には」
息を吐いて結城は鼻を鳴らした。
「どうやら時間の無駄だったようだ」結城は
そうして彼は姿を消した。
俺は誰もいなくなった客席でポツリとひとりごちた。
「でもさ、結城さん。一度だけ全員が同じ顔をしたことがあったんだよ」
ボロボロに泣いて、唇を噛んで、拳を握って。
悔しさを吐き出した日から半年。
「だからあんたには感謝してる」
あの日——TGAとの練習試合が終わったあと、彼女たちは口を揃えて言った。
『勝ちたい。次は勝ちたい』
「たったそれだけなんだよ。俺たちが強くなった理由は」
あんたを——。
結城学を、TGASCを倒すことが、俺たちの目標だった。
ただ俺はその手伝いをしただけ。
より強い意志で戦おうとする選手を見つけただけ。
「なあ結城さん。あんた変わったよ」
中心選手をごっそり引き連れて彼はTGASCに移った。
結城学の進化論に切り捨てられた選手たち。
結城学が去年捨てたチーム。
それがイシュタルFCだった。
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