ミッシングリンク(6)

 続く第十二節は萌の代わりに彩香がCBの一角を担い、試合は始まる。慣れない二人の連携ミスから先制点を許したものの、ダイレクトでどこからでも繰り出される魔法のパスが両サイドへと供給され、逆転して前半を折り返す。


「ぐりぐりぃ」


「あふん!」


 どうやら真穂は気持ちの入れ方を知ったらしい。試合前も杏奈のツインテールを弄っていた。


 一人が多かった——いつも一人で練習していた真穂にとって、共にスタメンへと地位を確立した杏奈は精神的な支えだったのだろう。また、平日も杏奈と過ごす時間が多く、心を許せる存在だったのかもしれない。


「さて諸君、今日は取れるだけ取ろう」


 特に指示することなく皆を送り出した。


 トリッキーな動きでマークを外し、そして意想外なパス。これが前線の高い位置で出されることにより、両サイドが仕事をしやすくなりいい循環を生んでいる。しかしそれだけではなく、時に真帆を経由せずの速攻がいいスパイスとなり、相手は翻弄されていた。これを生み出しているのは貴婦人の指揮だ。


 ポストプレー一辺倒だった香苗も、ただ貪欲にゴールを目指す姿勢を貫き、泥臭いゴールでもフィニッシュを決め、点取り屋としての地位を確立し始めていた。


「けど監督。CBはどうするんですか?」


 真賀田は口元を綻ばせ、少し嬉しそうだ。


 スタメンに返り咲いた桐生彩香のプレーは冴えていた。前節はトラブルもあって途中から加わったバタつきはあったものの、今週の練習では芽と意思疎通を明確にし、彩香と芽コンビは機能していた。


 一方をDMFって手もあるし、このままで行っても面白そうだとは思う。それかサイドバックという手もあった。


「来週の練習で色々試してみよう」


 十六節を迎える前に、形を整えたい。


 できればその前に完成形を試したいとの思いがあった。





 試合後、いつもは俺の部屋にやってくる真穂だったが、今日は帰ると言ってそのままエレベーターに残った。杏奈もまた疲れがあったらしく寄らずに寮へと帰った。


 ちなみに試合の方は快勝し、俺たちは現在四位につけていた。リーグトップのTGASCがダントツで突き放しているのは別として、二位から五位までの勝ち点差は一ゲーム差以内の接戦だ。


 佐竹がご飯を作ってくれている間、俺はベランダに出てTGAの今日の試合を復習していると、


「お母さんなんて嫌い!」


 頭上から真穂の大声が聞こえた。


 喧嘩だろうか。心配になり、外出ると階段を駆け下りていく音が聞こえた。あとを追うと、案の定真穂はマンション下の公園に来ていた。さすがに練習はしておらず、ブランコで体を小さくした真穂の姿があった。


 春に鳴く虫と、しゃくり上げるようにすすり泣く声が「ひっく、ひっく」と夜の公園の中で木霊する。


 俺は何も言わず、隣のブランコに腰掛けた。


 しばらく月を見上げ、今日の試合を思い起こす。今でも脳裏に、真穂のパスは焼き付いていた。


 やがて鳴き声は止んでいき、真穂は呟いた。


「もっと巧くなりたい。私、もっともっと巧くなれる」


「俺もそう思うよ」


「だからね、チームの寮に入りたいって言ったの。そしたらサッカーのことずっと考えてられるから。寮から学校に通うって」


「反対されたか」


 真穂は頷いた。


「最近杏奈ちゃん、どんどん巧くなってるし、他のみんなだってすごく成長してる。このままじゃ置いてかれるって思ったの。だから少しでも練習時間増やせるようにしたくて」


 真穂の焦る気持ちもわかるし、母子家庭の母親が真穂を心配する気もわからないでもなかった。難しい問題だ。


「そしたらさ、寮を反対されるだけじゃなくて、監督たちの部屋に行くのもダメだって。夜練習するのも、朝練習するのも全部ダメだって言われた」


 確かに他人に預かられるのは気持ち悪いのかもしれない。


「今までお母さん、一人で頑張ってくれたから。私を育ててくれたから。だから私、お母さんを楽させてあげたくて、サッカー選手になろうと思ったの。いっぱいお金稼いで、美味しいもの食べて欲しくて。それなのに、私の気持ちなんてわかってくれない」


 奥歯を噛んで、真穂はまた目に涙を溜めていた。


「どうしたらいい? 私、どうしたらもっと巧くなれる?」


 余計なことを考えるなとは言えなかった。家族の問題に口を挟むのもやりすぎだし、下手なことを言って、こじらせたくもなかった。


 沈黙が続く。


 結局俺はただ彼女の頭を撫でてやることしかできなかった。



      *



 翌日のオフ、佐竹は朝早くから出張に出かけた。さすがに今日は自分で作ると言い、彼女を送り出した。


 それから買い出しに出かけ、近くの商店街を歩いていると、ふと声をかけられた。


「よ、月見監督! 今週も期待してるぜ!」


 魚屋の店主は俺を呼び止め、大きな魚を担がせた。


「景気祝いのタイだ。持ってけ泥棒!」


「はぁ……ありがとうございます」


「お、監督じゃねえの」


 と今度は背後から肉屋の主人に呼ばれ、ササミを数キロ頂いた。


「いや、こんなには食い切れない……」


「自分一人で食う気か? バッキャロ、選手たちの差し入れに決まってんだろう」


「はあ、そういうことなら……」


「そうだ、監督。これから練習と言う名の集まりがある。どうだい、見てくかい?」


 遠陵します——と返したのだが、拒否権はなかった。


 魚屋と肉屋の二人は、がっちり俺をマークして、配達用の軽トラックに詰め込む。持たせた土産を肉屋の主人は回収し「あとで送るとよ」と言って、一度店の方へ戻った。


 それから俺はとある会館に連れられた。


 ホールには大勢の人が詰め掛けていて、横断幕や、太鼓、それから皆何かしらのチームグッズを身につけていた。どうやらイシュタルFCの応援団らしい。


「皆、ちゅうもーく。なんと今日は月見監督が応援に駆けつけてくれた」


 一手に視線を浴びる。


 中年男性が中心だったが、中には若い女性や高齢者もちらほら。


「ほら、白井さん。挨拶を」


 すると痩せ型のすらりとした男が近づいてぺこりと頭を下げた。


「ども。白井です。一応応援団リーダーをさせてもらってます」


 気弱そうな人物だった。応援団を率いるのだから、もっと血の気の多い人物かと思ったが、物腰の柔らかい男だ。


「なんとなあ、白井さんの娘はあの——」


 魚屋の主人が言いかけた時、白井は「それは内緒で」と遮った。


 しかしピンときた俺は、


「もしかして真穂の——」


 すると白井は「ええまあ」と苦笑いを見せる。


 ウンウン、と何かに納得した魚屋の主人は俺と白井の背中を押し、「保護者面談でもしてきな」と会館の外へと追い払ったのだった。


 俺と白井は自販機で缶コーヒーを買い、駐車場の縁石に腰を下ろす。


 何から切り出していいのやら、と言葉を探る俺に、白井が沈黙を破った。


「その……なんというか、うちの娘がお世話になっています」


「いやこっちがお世話になっているというか。真穂には欲しい場面で助けてもらってます」


「そう言って頂けると……」


「もしかして白井さんはずっと来てくれてたんですか?」


「ええまあ。でも本人には内緒ですよ。調停中なんで、知れたら色々不利になりますから」


「白井さんがサッカーを?」


 すると彼は首を振った。


「私は何も。まあこれでも昔はスポーツをやっていましたが、私から進めたことは一度もありません」


 曰く、仕事が忙しく真穂は小さい頃から独りが多かったそうな。それでよく、公園で遊んでいたそうだ。サッカースタジアムが近いこともあって、一度連れて行ってから真穂はサッカーに興味を持ったらしい。


「それから休みを見つけては真穂とサッカーをしました。けれどサッカーに関して素人だった私はあの子をサッカークラブに入れたんです。するとメキメキ頭角を現して、あっという間にユースチームから声がかかったんです。私は嬉しく思いました。だからあの子のためになればと、土日に休みが取れる仕事に移りました」


 しかし給与が減って、快く思わなかった奥さんとその頃から行き違いが起こったのだという。


「遠征にもつきっきりで、まるで真穂を独り占めしているとでも思ったんでしょう。……っと夫婦の話はどうでもいいですね」


 白井は缶に口をつけ、苦笑いを浮かべた。


「母親は真穂がサッカー選手になることに反対しています。一生食っていける職業でもないですからね。けど私としてはあの子が望む道を応援してやりたい。そう思って応援団で陰ながら支えています」


 心底どうでもよかった。


 実にくだらない。実に腹が立つ。


「白井さん。はっきり言っとくが、私情をコートに持ち込まないでくれ。もしそれで真穂が使えなくなったら俺は彼女を切る。プロってのはそういう世界だ。親が子供の将来を考えるのは勝手だし、口出しする気もない。だからあんたも、あんたの母親も、俺たちの世界に口出ししてくれるな。真穂は今プロで戦ってんだ。それをゆめゆめ忘れてくれるな」


 俺はコーヒーを煽って、空にした缶を蹴飛ばした。


 ゴミ箱にシュートを決め、その場を後にした。

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