ミッシングリンク(5)

 第十一節は苦しい試合展開が続いた。


 序盤早々に失点を許してから、相手は引き気味のロングカウンターでチャンス一本を鋭く狙い、こちらは両ウイングを徹底的なマンマークで伝家の宝刀を封じられる。かろうじて心美と真穂のゲームメイクで中盤の主導権イニシアチブを奪うも、決定的な一本が通らず、ゴールが遠い。真綿で締め付けられるようにじわじわと消耗し、集中の切れかけた前半終了間際にコーナーキックから失点。


 木崎姉妹が加わってくれたおかげで失点率は激減したものの、守備の脆さが完全に払拭されたわけではなかった。むしろサイドバックのスペースを突かれてのクロスからの攻撃が、不本意な黄金パターンとして出来上がりつつある。


 二点ビハインドでハーフタイムを迎え、真賀田はカウンターの対処策を矢継ぎ早に支持していた。


「簡単にCFへボールを入れさせない。真穂は縦の進路をカットし、相手のワントップには芽が対処。セカンドボールをこちらのDMFで拾う——」


 そんな中俺は「香苗」と声をかけた。


 彼女は俺のいわんとすることを察したらしく、ドリンクを飲みつつ空いた手は拳を握っていた。


「相手はCFより、両ウイングを警戒している。これが何を意味するかわかるな?」


「……わかってますっ」


「君はこれまで身長を活かして得点を稼いできた。それが通じなくなった。じゃあ次の打開策を考えろ」


「でも私に突破力は……」


「そんなもん求めてない。君の一列下に突破力を持った選手がいる。彼女を活かせ」


 そう言って俺は、真穂に目を向けた。


 真穂は杏奈の背後に立ち、「ほい」とツインテールを引っ張っていた。


「ウギャア!? 真穂っち!? いきなり何すんねん!? うちのツインテは敏感なんや! 空間を把握する触覚って言っても過言ではないんやで!?」


「だって、杏奈ちゃん、真穂に頭触られると調子良くなるんでしょ?」


「せやかて、不意打ちは背中があふんってなるやん!」


「なんか、杏奈ちゃんのツインテぐりぐりしたら、やる気が湧いてきたで! ぐりぐりぃ」


「ぎゃあ、ツインテが乱れるぅ!?」


 香苗は怒る気も失せたらしく、頭を抱えていた。


「前節」俺は告げる。「心美からのパスで、香苗が落としての真穂からサイドへのスペースへ繋がったの覚えてるか?」


「……はい?」疑問交じりに香苗は見上げる。


「今日はサイドを使えない。じゃあ中央をかき回せ。君が為を作って、ファンタジスタをシャドーストライカーに変えてやるんだ」


 隣で、カリッとクッキーバーを鳴らした心美がほくそ笑む。


「だってさ、香苗。キツイのガンガン入れるわよ」


 同意の旨を示して、香苗と心美は拳を付き合わせた。


 さて、これが功を奏した。


 マークの緩かった一瞬の隙をついて、指揮者のタクトは振るわれた。香苗は苦しい体勢でボールを拾い、DFを背負いながらも粘り強くキープ。相手マークを振り切った真穂が飛び込んでくる。短い横パスからボールを受けた真穂は柔らかいタッチからDFを抜き去った。


 しかしペナルティエリア前で倒され、イエローカード付きのフリーキック。


 陣形を整える間、由佳と心美はじゃんけんし、由佳がキッカーに立つ。しかし短いパスが心美に送られ、ミドルシュート。かすかにキーパーの手に触れ、バーをかすめる。


 続いてのコーナーキック、香苗に人もボールも集まったところ、巻いたボールは心美の利き足にピタリ。これをダイレクトのボレーシュートでネットを貫いた。


「地獄のブートキャンプは」


 と、宮瀬コーチが得意げに語る。


「徹底的に足腰を鍛えました。彼女のパスはどちらかというとショートパスサッカー主体でしたが、もう一つ上のレベルに行くには早いロングボールが必要でした。つまりそれはミドルを打てることとほぼ同義。彼女のスペースを見出す目はシュートにも生かされる。そう、まるで狙撃手スナイパーのようにね」


「あとは」真賀田が口を挟む。「サイドバックですね」


 杏奈がオーバーラップしたあとすぐのカウンターはある意味仕方ない。それでも杏奈の足の早さは、少しの遅延ディレイをかければ、追いつくほどだ。


 が、今回は少し運が悪かった。一瞬判断を躊躇ためらった萌が飛び込んだ時には足をかけてしまい、イエローカードを食らう。


「気にしない、切り替え!」


 チームメイトが声をかけるも、どうにも萌の様子がおかしかった。蒼白した顔つきで、ポジションに戻る足取りが重い。


 そして芽も顔をしかめていた。


 イエローをもらったのは初めてだろうか? カードをもらうってのは見た目以上に選手のダメージはでかい。「お前は危険だ。次やればコートを出てもらうぞ」そんな意思を込められたあの黄色い札は重たい。ましてや一発レッドは、死刑宣告と一緒だ。


 ハッと嫌な予感を感じた俺は、バッグからタブレットPCを取り出して、今シーズンの出場記録をあらためた。


「……そういうことか」


 覗き込んできたコーチ陣も眉根を寄せていた。


 移籍前、萌は古巣のチームでほんの二節だが出場記録があった。そこで一枚イエローをもらっていたのだ。つまり次の試合は累積で出られない。


 視線をコートに戻すと、立ちすくんだ萌からあっさり抜かれて失点を許していた。1-3。いよいよ苦しくなってきた。


「真賀田さん、萌を交代。もうこの試合、立ち直れない」


「じゃあ三岳みたけを——」


 確かに三岳はサブに甘んじる選手ではあるが、安定感はある。守備的なポジションであれば、真ん中からサイドまでこなせるマルチな選手だ。緊急事態にも動じない強い精神力が売りである。これまでディフェンスを見てきた真賀田の判断なら間違いはない。


「じゃあ——」


 交代を指示しようとした時、


「私に行かせてください」


 そう強い眼差しを向けるのは、以前一発レッドを食らって退場した桐生彩香きりゅうあやかだった。彼女はあの日以来、出場していない。


「もう失敗はしません。お願いします。やらせてください。最後のチャンスをください」


 決して体格に恵まれているわけではない彩香は最後の戦場に向かう面構えだった。頭でお団子を作り、切り揃えられた前髪の下からは大きな瞳が訴えかけてくる。


 コーチ陣が判断を仰ぐ視線を向けた。


「彩香。君はクレバーな選手だ。俺が君を使わなかったのは、退場の危険性からじゃない。君が失敗を恐れて自分の持ち味を消してしまったことだ。カードなんて取られてなんぼ。時にリスクを冒さなければならない守備もある。恐るな。怖がるな。攻撃的に、前向きに守備をしてこい」


「はいっ」


 彩香を投入して、萌が引き上げてくる。


 萌、と声をかけると彼女は視線を泳がせて、助けを求めるように相方の芽に視線を送っていた。


「いつか君たちは一人で戦わなくちゃならなくなる。ずっと二人で引退なんて夢物語だ。早いこと一人で戦う術を身につけろ。自分の長所を知り、短所を知り、芽を頼らなくてもいい選手になれ」


「そんなの気づいてるっ」


 やや語気を荒げて萌は言い返した。


「芽は、萌がいなくても一人でやってける。でも私は……ううん、私こそが時代に必要とされないプレイヤーなの。読みとカバーリングだけじゃ通用しない。最初の二点だって、私に当たりの強さがあれば防げたはず。スピードがあれば対処できたはず」


 現代サッカーにおいて、専門家スペシャリストはどんどん死んでいる。万能性を望まれ、より総合職ジェネラリストが求められる。そうはなれなかった選手はやがてピッチを去った。


 確かにフィジカルは芽の方が優れている。双子とはいえ、違いは十分にあった。


「そう思うなら進化すればいい。足りない部分を補えるほどの読みで相手を封じ、そして最終ラインの司令塔となれ。君は周りがよく見える選手だ。巧さを身につけろ。芽とは違う方向に進化して、二人で完璧になれ。チームになくてはならない双子姉妹になれ」


 唇を結んでコクリと頷いた萌はクールダウンに向かった。


 その時、スタジアムで歓声が上がる。


 ディフェンスを背負った真穂は、背中越しにループパスを送り、これが由佳へと繋がって追加点。誰も予期しない場所へ、パスを受けた由佳ですらも反応がギリギリといったボールだった。


「本当にあの子は……」真賀田は絶句していた。


「でも真賀田さんのも負けてない」


 中央で真穂が撹乱したおかげで、サイドへの警戒心が逸れた。紬は一瞬の隙をついてサイドを抉ってから、ゴールエリアの懐まで潜り込み、香苗に預けての同点弾。


 しかしあと一点が両者遠く、試合は引き分けに終わった。

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