ミッシングリンク(4)

「だはぁー」


 杏奈は仕事を終えたおっさんのような声を出し、ベッドに寝転がった。


「食ったあと寝たら牛になるぞ?」


「大丈夫やて。心みんみたいにはならへんて。なんてったって、チーム一の運動量、ツインテの快速やからな」


 なんか二つ名がいっぱいあるな。


「でも試合後はいっぱい食べられるから試合大好き」


 真穂も今日はゆえに疲れてベッドに伏せた。


 ちなみに本日の試合は4-1で俺たちが勝利した。


「先に風呂入れよな。それからマッサージするから」


 はーい、と間延びした返事をしてバスルームに向かう杏奈は振り返る。


「真穂たんどったん、一緒に入らへんの?」


 二人はほぼ毎晩一緒に風呂だったが、真穂はベッドに伏せたまま「んー後でいい」と返した。


 杏奈が姿を消して、真穂が少しうれいげな視線を向けてくる。


「ねえ監督。今日の試合——」


「自分のやりたいことができなかった。なのにそれなりにボールに絡めた」


 真穂は頷き見せた。


 真穂は今日アシスト2。そのいずれも心美に動かされてのものだった。


「もやっとする。自分の力じゃないのに……」


「悪いことじゃない。もう一つレベルアップするには、心美のに自分のを加えれば」


「うん、でもなんかいまいち乗り切れない。なんでだろ。石川戦は点取らなきゃって思ったら気持ちいいくらいに世界が見えたのに、最近点取らなきゃって思っても全然見えない。私がトップ下でいいのかな……」


 多分色々なことを考え過ぎているんだろう。ほんのわずかな意識の差だ。石川戦は十人になって、ある意味相手はどこか余裕があった。だからまだルーキーの、しかも見た目的に強そうには見えない真穂に対してのプレッシャーは緩かった。それを肌で感じた彼女は「いける」と思ったのだろう。


「いける」「できる」「やらなければ」——それらはニュアンスが違う。


 一番いい精神状態の時、一番いいプレイが発揮される。


 最近よく言われる「ゾーンに入った」ってのは、頭で考えていては遅い。考えてできるようなものでもない。もっとも、超一流のプレイヤーはそれをまるでスイッチのように切り替えて意図的にゾーンに入ることもできるが、経験の足りない真穂にはまだ難しいだろう。しかも人それぞれでゾーンへの入り方は違う。


 しかしそういう意味でいうと、最近の紬は意図的にゾーンへ入れている節があった。


 そういえば彼女は試合前、ぼーっと窓外から花壇を眺めていることが多かった。それからふと俺の方を向きにこりとする。あれが多分紬にとってのルーティンだったのだろう。


「試合前になんか色々やってみたら?」


「試合前?」


「そ。試合が始まる前に、相手の情報やその日やりたいことを一度頭の中で整理しておく。それで試合前に自分が落ち着ける方法をやってみる。例えば音楽を聞いたり、読書したりするスポーツ選手もいるって聞いた。身近な例でいえば、今日の試合、心美は大好きな菓子パンを一口だけ食べて気持ちを入れていた。そういう、自分にとってテンションが上がる行動をするんだ」


「監督もそういうことしてた?」


「俺は観客を数えてたな」


「何万人いるの!?」


「全員数えて終わったこともある」


「……それでいいの?」


「そういう日もある。何をどうしたってどうにもならない日はある。でもそうだな、俺が一番乗れた試合ってのは、子供を見つけた時かな。んで、目があったら『見せてやろう』って気になる。まあ他にもスイッチの入れ方はあったけど、それが何も考えずに一番入りやすかったな」


「子供好きなの?」


「いや別に。むしろ苦手」


「何それ」


「そういうもんだよ。最近のスポーツは科学が取り入れられて、多くのことが解析され、数値化されたけれど、何千年経ったあとでも科学では解明できない超自然的な部分があると俺は思う」


「ふーん」


 真穂は納得していない様子だった。


 すると杏奈が風呂からあがった。


「真穂っち、ドライヤーお願いな」


「ええ、やだよぉ。今日はもう疲れた」


「ほなら、マッサージしたるから、お願いやで。真穂っちに頭触られるとな、なんかエエ気分になって、次の日ごっつ調子ええんやわ」


「杏奈ちゃんのはそれか!」


「ん、何の話や?」


 そんなこんなで夜は更けていく。



      *



 オフが開け、サッカー選手にとっての日常が舞い戻ってくる。


 選手たちは自信と活気に満ちあふれ、麗しく快活な声をあげていた。まるで芝生の上に咲く色とりどりな花たち。あるいはボールを巡って踊る小鳥たち。


 一つの勝ち星を機に連勝の波に乗ったイシュタルFCのムードは明るいものだった。心なしか練習にまで足を運んでくれるファンも増えていた。


「監督ってさ」


 カップ戦の終わった木曜日、戦術練習をしているさなか、木崎姉妹が両脇を挟んでベンチに座り、そう言った。ちなみにだが、出場機会の少ないサブメンバーを試すのは変わらず、そして結果は引き分けで終わった。


「監督ってさ」


 木崎姉妹に、右と左とで同じことを言われると、どっちがどっちかわからない。


「「どっちが好み?」」


「え?」


 からかわれているのか、真剣に言われているのかわかりかねた。


 どっちがどうと言われても、双子の彼女たちに違いが見出せない。


「突然どうした?」


「だって最近」

「だってこないだ」


 二人で順に言われると頭が混乱する。


「関西弁ギャーギャー女が」

「関西弁キャンキャン女が」


 杏奈のことだろうが、その言い方はどうなのだろうか。


「監督は」

「監督は」


 一方で喋って欲しい。


 と思っていると、


「芽、あたしが話してるんだから、邪魔しないで」

「ううん、萌、あたしが先に話しかけたの。芽はあとにして」

「じゃあ萌、お先にどうぞ。あたしはお姉さんの余裕で譲ってあげるわ」

「何を言っているの芽、たった数分違いで姉ぶらないで」


 バチバチと火花を飛ばし、何やら喧嘩の予感。


 しかし俺は、目元に涙ぼくろがある方を、萌だと認識した。


「要点をまとめてくれ」


 木崎姉妹は目を打ち合わせた。


「じゃあ萌が話すわ。監督は女子を篭絡ろうらくしつつあるって噂があるの。本当?」


 俺は飲みかけたスポーツドリンクを吹き出した。


 あ、杏奈のやつ……。


「最近、調子を上げている子たちは皆んな、を受けたからだって言っているわ。宮瀬コーチによると、大人の階段を登ったとか」


 宮瀬コーチ! あんたも敵か!?


 そんな風に視線を向けると、宮瀬はニカリと白い歯を見せ親指立てる。


「その……」芽は頬を赤らめながら打ち見た。「少し調べたんだけど、そういうことをすれば上手くなるの?」


「馬鹿か。そんなわけないだろ」


 まあでも、恋をして強くなる人もいるのかもしれない。


「どこをどう勘違いしたのか知らないがな、俺は何もやってない」


 俺はため息をつく。


「もしも選手たちが急激に成長してる風に見えるのならばそれは、自分で自分の花を咲かせただけだ。確かに意識の変化、メンタル面の不安が解消されて、一気に調子を上げることもある。でもそれは、今までやってきたものが身に染み付いているからだ。努力は嘘をつかない。その大きさが違って見えるだけ。君らもいつかそういう急激な変化を感じる瞬間がくる。いつになるかはわからない。だけどそれを越えた時、サッカーがめちゃくちゃ楽しく感じ出す。もし何か不安があるなら相談に乗る。俺に言いにくいなら、他のコーチやサッカーに関係ない人でも誰でもいい」


 すると木崎姉妹は目を丸くしてお互いを見つめ合う。


「どうやらこれは本当らしいわ」

「ええ、萌。一瞬籠絡されかけたわ。この男、ナチュラルに口説きに掛かっているわ」


「口説いてねえよ!」


 さてはこの二人、毒舌だな。


「でもま」「それはさておき」

「本当は感謝を」「言いたかったの」


 二人は順に言葉を揃えた。


 感謝? と俺は投げかける。


「ええ、だって行き場のなかった私たちを拾ってくれたから」

「捨て犬みたいに溺れている私たちに手を差し伸べてくれたから」


「感謝するなら結城さんにすれば? あと真賀田コーチや宮瀬コーチが君らの才能を欲した」


「あの男は嫌よ」

「あの男だけには死んでも頭を下げない」


 俺は疑問に首をかしげる。


「だって結城学はこの世で最も私たちみたいなプレイヤーを毛嫌いしているもの」

「結城学の戦術美学に掃除屋スイーパーは必要ないの」


 確かに現代サッカーのCBに求められるのは、フィジカルとスピードをベースにしたマルチな能力だ。身体能力面で木崎姉妹は一枚見劣りするのは事実。


「あの男のサッカー論を潰す」

「あの男のサッカー観を壊す」


「あいつは私たちを否定するために他所のチームに送ったの」

「あいつは掃除屋スイーパーだった自分を否定されてスイーパーを嫌いになったの」


 そういうことかと納得する。


 そう言えば、結城さんの現役時代はディフェンダーだったっけ。


敵愾心てきがいしんってのも時には重要だけどな。そればっかりに囚われてると、本質を見失う。結城さんと何があったのかは知らないが、俺のやるサッカーは潰すとか壊すじゃない。サッカーは爆発だ!」


 呆れ顔で芽はため息をつく。


「……相談した私が馬鹿だったわ」


 頭を抱えて萌は嘆息する。


「ええ、私たち以上に馬鹿だった」


 こうして話してみると、芽は主観的な性格で、萌はどちらかというと客観的なものの見方をしているのかもしれない。そういえば、と試合中のことを思い出しても、一対一や空中戦を仕掛けるのも芽の方が多く、萌はカバーリング中心のディフェンスだ。


 なるほど。だから二人で一人なのか。


 ストッパーとスイーパーを合わせた現代CBを、二人で一つ。


「でもま」「ええまあ」


「変だってことはわかった」

「悩んでるのが馬鹿みたいってこともわかった」


 立ち上がる木崎姉妹は手を取り合い、コートに視線を馳せる。


「不思議とここは居心地がいい」

「妙に落ち着ける」


「てか木崎姉妹! いつまでサボってんねや!? はよコートに戻ってきいや! こっちはぶち抜きたくて足が疼いとるちゅうねん!」


「出たなツインテ関西女」

「現れたな俊足しゅんそく縦お化け」


 三人は格闘術の構えをして、何やら不穏な空気である。


「サッカーで決着はつけような」

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