蕾(3)

 前回の練習試合からあっという間に一週間が過ぎようとしていた。

 二月もすでに後半に差し掛かっている。


 しかしその間、紬は一度も練習に顔を出していない。真賀田と佐竹が協力して懸命に連絡しているというらしいが、空振りの日が続いていた。

 俺はもう戻ってくる気はないだろうと薄々予感していた。


 いや、確定だっただろう。


 つい昨日のことだ。

 試合以来練習に顔を一切出さなかった紬がようやく来たのかと思えば、突然辞めると言い出した。バレエに本腰を入れたいのだと。


 その時隣にいた真賀田コーチが必死になって止めようとしたが、本人の決意は固かったようだ。


 真賀田が紬を止めようと思う理由も分からないではない。


 俺だってできれば残って欲しいと思う。ただ、練習試合の直前までは来ていたことから、トドメとなったのは、あの日俺が紬に向けた心無い言葉だったのではないかと思っていた。


 想像以上にプライドの高い子だったのかもしれない。


 俺は今日まで選手の特徴をプレーでしか見ていなかった。

 香苗の件を振り返って見ても同じ過ちを繰り返そうとしていた。開幕に間に合わせたいという意志から、どうしても先発にばかり意志が向いていた。


 そんな風に自分の言動を反省しながら俺はマラソンを終え、シャワーで汗を流してから事務所へ入った。


 俺の入室に気づいた佐竹が振り向いた途端、声を張り上げる。


「ちょっと! 月見さん! した、した!!」


 佐竹は俺を指差しながら、目を手で覆っていた。

 え、と俺は目線を落とす。タオル一枚だった。


「ああ、ごめん。考え事してて……」


 俺はベンチコートを羽織る。


「これでよし」

「……いや、あの。それ、裸コートですよね?」

「ところで佐竹さん」


 しかし佐竹は細い目で、


「ノーパン監督」

「見えなければ何も問題はない」

「マスコミにファックス流しますよ。セクハラ監督って」


「誓っていうが選手達には絶対に手を出さない。こればかりは絶対に負けられない戦いだ」


「つまり、真賀田コーチや私になら手を出すと?」

「さすがに真賀田さんは怖くて……」

「分かりました。では、今からホテルの予約を取っておきます」

「佐竹さんの言葉って、たまに冗談に聞こえないんだけど」


 佐竹はバッグを背負うと立ち上がり、ダッフルコートを手に持った。


「何か話したいことがあるんでしょう? もう終電ギリギリですし、近くのホテルに泊まります。『守護神』っていう居酒屋にいますので、話があるならちゃんと着替えて来てください。ここは女子チームなんですからその辺、しっかりしてくれないと守りきれませんから!」


 佐竹は口を尖らせながら颯爽と事務所を後にした。

 ところが、すぐに戻って来て、


「消灯と戸締りお願いしますよ!」


 と言い残して出て行った。

 俺はパンツと靴下だけは履いて店へと向かった。


 店に入ると、カウンターでビールジョッキに口をつけかけていた佐竹を見つけ、隣に座る。


「ラーメンが美味しいですよ」


 と佐竹が言う。俺は熱燗あつかんを注文しかけたが、酒は辞めたことを思い出して烏龍茶とチャーシュー麺を注文する。


「それで?」

「紬のことだけど」


 そう切り出して、なんとか戻ってきてもらえないかと相談を持ちかけた。


「俺は鹿野紬を口説きたいと思う。何か方法ないかな」


 もちろんプレイヤーとして口説きたいと言う意味だ。


「こればかりは本人の意思がありますからね……」


「スポーツ選手って結構繊細な子も多いのが事実だと思う。いや、才能ばかりに恵まれた子って意外にメンタル弱い子も多い」


 プロとして長く残っている選手ってのは必ずしも才能ばかりに恵まれているからじゃない。折れずに残っていける精神力ってのもある種の才能かもしれない。

 俺も逃げた側だから紬の気持ちは分からなくもない。


 スランプってのは怖い。今風に言えばイップス。


 自分の理想状態とかけ離れた状態が続くってのは精神的にキツイ。

 でも俺には分からないことがあった。


「プロフィールを見たけど、紬はかなり小さい頃からバレエとサッカーを両立させてたんだろう?」


「ええ。ご両親が有名なバレリーナということもあって、紬ちゃんはサッカー界よりもバレエ界の方で有名ですから」


「紬の本心はどっちにあるんだろうね」


 きっと迷いなんだろう。

 紬は人知れず自分と戦っているのかもしれない。


「去年の時点で辞めることはほぼ決まっていたんです。何とか真賀田コーチがサッカーに傾いてくれないかと、引き止めていたんですけど……」


 天は二物を与えないというが、紬には三つも四つもある。あの柔軟性はバレエをやっていたからこそだろう。そして、タッチの柔らかさは誰にもないものを持っている。


「契約金上げるとかで引き止められない?」


 言ったものの、その程度で揺らぐようなら向上心はすぐに燃え尽きてしまうだろう。


「難しいでしょうね」


 昨シーズンは出番も少なかったこともあり、フロントは考えを変えないだろう。


「でも今日までサッカーやってたのは別にサッカーが嫌いだったわけじゃないと思うんです。ただ、決め手は監督の一言だったかと」


「……やっぱそうか」


「精神科医曰く、紬ちゃんは愛されたいんです」


 佐竹は事あるごとに精神科医を持ち出す。その人物の言葉は俺に関して当たっている節は多かったが、今回、紬に対して当て嵌まるかは現段階では不明だ。


 佐竹は紬のプロフィールを語り始めた。


 裕福な家庭に生まれたものの、両親は紬をバレエ選手としてしか見てくれなかったらしい。厳しい練習を躾けられ、家族の会話はバレエの話だけ。


 幼い頃、スタジアムに行ったことが一度だけあったのだとか。

 それで憧れて、サッカーを始めたそうな。

 しかし両親に大反対されて、今は一人暮らしだと。


 バレエに戻ろうとしているのは、向こうの先生や舞台を見たファンの人達の熱烈ラブコールに気持ちが揺らぎ始めているようだ。


「紬ちゃんは自分が人として、子供として愛されていないと思ってるようです」


 愛されたい……か。


 ふと俺は紬が「注目されたい」と言った言葉を思い出していた。

 あれはそういう意味だったのだろう。


「だから試合のあと、月見さんが紬ちゃんを軽くあしらってしまったことが辞める最後の引き金になったと」


「……そういうことは先に言っておいてくれないと」

「すみません。私もあの時はまさかあれがこうなるなんて思いませんでした」


 俺が今更必死に呼び止めようとしてもたぶん気持ちは変わらないだろうと思えることができた。


 一度崩れた信頼関係を取り戻すにはそれ以上の熱量やプレーがなければならない。


 紬自身、俺に対して実力を見せられないことからも、なあなあでは済ませたくないのだろう。


 そういう意味でプライドの高い子だ。


「あのさ、佐竹さん。もう一試合だけ出てもらうってことはできないかな。次の練習試合だけでも出てもらいたい」


「説得はしてみますが……」


「俺も慈善事業ではやってない。もしもそこで何も見せなかったら、本人の意向通り辞めてもらう」


 ここは学校の部活じゃない。プロの世界。意思のない選手は必要じゃない。

 俺は淡々とした言葉で述べたあと、


「ただ俺は、紬のプレーを生で観て見たいのが本音だって伝えてくれ」


 険しい表情をしていた佐竹だったが、その言葉を聞くと少しだけ表情を緩めた。


「分かりました。一言一句漏らさず伝えます。それから月見さんが紬ちゃんがタイプだとも言っておきます」


「いや、最後のは言ってないけど」

「でも、口説くんでしょう?」


 佐竹は悪戯に微笑んだ。


 確かに垢抜ければとびっきりの美人になるとは思っていた。今から唾をつけて置きたいという思いをぐっとこらえるのが、絶対に負けられない戦いだった。だから冷たくあしらってしまったこともなきにしもあらずだと言い訳をさせて欲しい。


 俺自身、相手が女子ということに加えて、しかも若い子達ばかりだということに、距離感がまだ掴めていない。香苗や真穂、それから杏奈は積極的で自分の意見を主張するタイプだが、他の子はどうにも奥手なタイプが多い。


「私のプロファイル的には月見さん、紬ちゃんみたいな子がタイプだと思うんです。美人さんでちょっとミステリアスな感じが」


 俺は逸れかけた話を戻すべく、ごほんと咳払いして、


「フォロー頼むよ佐竹さん。辞めるにせよ、ウチのチームでできることは何でも協力してやってくれ」


「もちろんですっ」


 佐竹は笑顔を咲かせ、両手でガッツポーズを見せた。

 彼女の仕草もいちいち俺の琴線に触れる。

 そう意味じゃあ、佐竹もまんざらでは……。


 俺はお花畑脳を振り払うべく、すっかり伸びきってしまったラーメンを食べるのであった。

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