蕾(2)

 練習試合が終わって週が明ける。

 開幕まで残り二週。


 今週の練習試合を最後にリーグ本番が開幕する。その時までに新しいシステムをなんとか形にしたいと思っていが、間に合いそうもなかった。


 せめて一月の合宿中から準備できていればもう少しマシだったのだろうが、今更、過ぎてしまった時間を後悔しても遅い。


 アップが終わって、ダッシュメニューまで終われば、シュート、ドリブル、パスなどのサッカーにおける基礎的なトレーニングを一切放棄して、システムの理解度を深めるための練習に重点を置いた。


 ハーフコートにMF以下の守備的なポジションを務める五人を置き、攻撃的MFとFWを加えた五人に攻めさせる。


「ストップストップ。杏奈、縦ばっか狙うな。今、心美がワンタッチ目のトラップをどこに置いたかちゃんとみてたか?」


「そんな細かいことええやん!」


 杏奈は結構大雑把な性格だ。


「心美は右足の外側でトラップしたんだ。心美は右利きだ。つまり、杏奈の所へボールを出すにはもうワンテンポ遅れてしかボールが来ない」


 ただ心美としても、自身の蹴りやすい位置に置くとかしてもらいたい。杏奈の動きを先に見て入れば、もう少し先を見据えたプレイができたはずだ。


「今のタイミングだとオフサイドになる。じゃあ、香苗にボールが入った後のフォローを考えるとか、ディフェンスを少し引きつけて、琥珀が上がって来られるような動きを入れたりするんだ。予定が狂っても、すぐに次の動きができるように頭を働かせておけ」


 杏奈は一気に言われて、目を回してた。


 多分頭で考えるのは苦手な方なのだろう。実際に目にしてもらおうと、俺は先ほどのプレイを再現してもらい、ボールを持たない時の動きを実演して見せた。


 一人の動きを機に連動する動き。

 これがウチの目指すサッカー。

 その点は真賀田とも選手全員とも考えは同じだ。


「言われたことができたら、今度は自分達の判断で違うことをやってみろ。例えば、FW三人が一斉に下がって受けに来るとか、変則的なことも織り交ぜて、相手を混乱させるんだ」


 だが、混乱していたのはウチの選手達。香苗と杏奈が近寄り過ぎて思わず衝突事故を起こしそうになっていた。


 香苗は視野が狭い。そこに杏奈が合わさるとまるで噛み合わない。

 まあでもそれも個性の内だ。全員をクレバーな選手で揃えても面白味はない。


「右サイド左サイドのポジションにこだわる必要もない。どんどんスイッチして場所を入れ替えてもいいんだ。やりたいことがある時は、ちゃんとアクションを見せろ」


 イメージと違う動きが見られれば都度、ボールを止めさせ、動きの確認を行わせた。水分補給と休憩を兼ねて、サブ組とローテーションをする。


 人の集中力は意外なほど短い。短い時間でのオンオフを切り替えさせて、練習時間中にしっかり頭の中で自分なりの理屈を確立させようとした。


「月見健吾って」


 真賀田がぼそりと口にした。


「感性のプレイヤーだと思っていたのですが、意外とロジックでプレイする選手だったようですね」


「ロジックは一瞬の閃きを支えるのに必要かな」


 そのあとはミドルペースでの一キロ走を二本。学校が始まっているということもあり、午後七時前にはきっちり終わらせた。そのあとは三十分かけてのクールダウンとストレッチ。さらに一時間を使ってトレーナにマッサージを受けさせる。


 ただ、戦術理解度が開幕までに間に合わないかもしれないという不安より、大きな不安があった。


 こないだの試合でポカをやった鹿野紬のことだ。

 もっとも恐れていた事態が起こっている。


 香苗の自主練に付き合っていると、彼女はふとボールを止め、心配そうに疑問を口にした。


「監督はその……紬を不要だって思ってるんですか?」

「どうしてそう思う?」

「前の試合でちらっと会話が聞こえたから。それに……今日は来てないし」


 今日はではない。今日もだ。


 試合が終わってから数日が経ったが、紬は一切顔を見せていなかった。

 香苗を泣かせてしまったという前例から俺はできるだけ当たり障りなくあの時は言ったと思っていた。


 紬が来ない理由は他にあるんじゃないかと、真賀田や佐竹に問いかけたが、思い当たらないという。バレエを言い訳にしていたとも言ったのだが、そんなはずはないと不思議なことを返された。


 確かに紬はバレエを昔やっていたし、今でも独りでレッスンは続けているらしかったが、通ってはいないはずだと。


 俺としては今の所、紬を先発で起用する気もなかったし、本人には言えないが期待値は低かった。そもそもを言えば、俺は紬がどういう選手でどんなプレイを得意とするのかまったく知らなかった。昨シーズンも出番がほとんどなく、本当に目立たない選手だったし、紅白戦や練習中でもそのプレイを見せようとはしない。


 ただし、データ的には走れる選手で、使ってみようかなという考えは少なからずあった。だが前回のあれだ。


 しかも真賀田曰く、よくあることらしい。

 真賀田が試そうとした理由が全然わからない。

 それに香苗の言い方からしても、期待を寄せる言い方だ。


「香苗は紬をどう思ってる?」


「紬は私よりずっと上手いです。でも調子の波が激しくて、大事な試合ではいつも力を発揮できなくて、信頼が得られなかったんです」


 ウチの中から香苗より下手な子を探すのが難しいのだが。

 俺はフリーキック練習をしていた真穂にも声をかけることにした。

 真穂は首をひねって、深く考え込んでいた。


「私は今年上がったばかりだし、あまり周りのことは知らないんだよね。強いていうのなら、タッチの柔らかさは感じたかな。ただね、心美ちゃんは仲良かったみたいだからよく知ってると思うよ?」


 ふーんと返して、なんとなく気になった俺は心美にも聞いておくことにした。

 マッサージルームではちょうど心美がトレーナからマッサージを受けていた。


「はあん」


 なんて色っぽい声を出して、しかもベットからはみ出たワールドクラスの胸が……げふんげふん。


「あのさ、心美」

「んー? なんですか?」

「紬のことだけど」


 心美は極楽の表情から一転、険しい顔つきに変わった。


「もしかして紬、放出とか移籍の話があるとかですか?」


 心美はプレイ中とそれ以外じゃまるでキャラが違う。

 ピッチの中では頼れるお姉さん風だが、一度ピッチから離れると、穏やかで育ちの良いお嬢様という感じだ。

 おっとりしていて、他の子達からすれば相談しやすい相手だとか。


「いや、全然そういうことじゃないんだけどね。練習来てないし、心美なら何か心当たりがあるかなって」


「うーん、そうですね。私はそんなに心配していないですよ。たぶんあの子が一番、自分に足りないものを知ってると思いますし」


 どういう意味だと問いかけると心美は、おそらく自主練していると答えた。


 心美は小学生の頃から紬と一緒のチームだったらしい。イシュタルFCがプロチームとして設立されたその年に二人揃ってセレクションを受けに来たのだとか。


「たぶん監督は知らないと思いますけど、あの子はこのチームで一番上手いです」


 また俺の予想を越える回答だ。

 何せ心美の技術はチーム一、二を争うほどだ。

 その彼女に自分よりも上手いと言わせるのだから相当なのだろう。


「でも紬はあがり症なんです。あまり顔には出しませんけど、試合とかってなると動きが硬くなってしまうんです。人見知りもすごくて、監督が変わった去年もずっとあんな調子でした」


 試合で自分のプレイが発揮できないなんて相当な致命傷だ。


「でも昔はそんなプレイヤーじゃなかったんですよ」


 心美は悲しそうに眉尻を落とすと、


「昨シーズンの序盤、動きが鈍くって、前の監督にかなりキツイことを言われたんです。『期待していたのにお前は能無しだ』『お前のためにチームはあるんじゃない』『独善的なプレーでリズムを崩すな』って。それ以降、試合に出してもらえなかったみたいで」


「そりゃひどいな」


「でもそこまで言われるほどではないと全員が思っています。だからあの監督に仕返ししてやろうって、団結し始めたのもその時ですね」


「なるほど」


 俺は納得した俺は「ありがとう」と言って、立ち去ろうとすると、


「監督は紬を辛抱強く待ってくれますよね?」

「どうかな。紬がプレイを見せてくれないことには今の所なんとも」

「きっと、紬が素晴らしいプレイを見せてくれると信じてます」


 心美はニコリと笑顔を残した。

 それから事務所に戻ると真賀田コーチがスポーツドリンクを提供してくれた。


「お疲れ様です監督」

「真賀田さんが気を利かせるってのは裏がありそうで怖いな」

「概ね当たってます」


 真賀田は難しい顔しながら腕を組む。


 普段はジャージだから気づかなかったし、てっきり俺は細い人だと思っていたが、意外にだけに。

 なんつって。


「紬のこと?」


 真賀田は頷いた。流れからなんとなく分かってはいたし、紬に一番期待しているのはおそらく真賀田だ。


「真賀田さんは紬のプレイを見たことが?」


 真賀田は「はい」と力強く頷いた。


「私がユースの監督を任されてすぐ、すごい選手がいると噂だったんです。試合を見に行った私は、あの子に嫉妬すらしました。いえ、戦慄したと言いますか」


 寒さを覚えるように真賀田は身を抱いた。


「CBだった私が情けない話ですが、あの瞬間私は、十歳以上の年下に通用しないとすら感じました。まあその時はもう選手ではありませんでしたが」


 真賀田は一部リーグでの出場経験もある。俺の勘だが、真賀田も凄いプレイヤーだったはずだ。その彼女ですら唸らせるほどの選手。


 これはいよいよ、紬のプレイを見ないわけにはいかなかった。


「ただ、現代サッカーのシステムに合わせるには難しい選手だというのも事実でしょう。紬の名誉のために言っておきますが、サボっているわけじゃないんです」


 前監督が紬に浴びせた言葉からもどのような選手かはおぼろげに感じ取っていた。


「バレエはフィジカルトレーニングの一環として私が推奨していることですし、あの子、気分が優れない時は深夜でも関係なく一人で走り込んでいるんです」


「だからって練習に参加しないってのは逃げじゃない?」

「仰る通りです」


 真賀田は意外にも反論しなかった。


「無理にとは言いません。プロとして当たり前の意識が欠けているのはもっともだと思います。でももう一度だけチャンスを与えてやって欲しいんです」


 俺はぎょっと目を剥いた。

 何せ、プライドの高そうな真賀田が腰を折って頭を下げていたのだから。


「これを見ていただければお分かりになるかと」


 言った真賀田は一枚のDVDを置いていった。


 そこまでされて見ないわけにもいかなかったし、俺としてもチームメイトの多くに信頼されている紬が一体どんなプレイをするのか非常に興味が沸いていた。


 俺はリーグで対戦する全チームの対策を後回しにして、そのビデオを見ることにした。自室に戻って早速デッキにディスクを飲み込ませる。


 ここまで期待させておいて半端な選手だったら明日のラントレ、もう五本追加してやろうかと思っていた。


 ビデオは紬が出場しているシーンだけにわざわざ編集されていた。

 昨シーズンのビデオは見ていたはずだったのだが、紬のプレイは見落としていた。

 なにせ、その映像はすべて公式戦じゃなかった。

 ほとんどが練習試合。だから俺は見落としていた。


 真賀田がここまで熱心になる理由はビデオの中に確かにあった。

 素人目で見ても、プロの目から見ても積極性に欠ける動きだ。

 あっと驚かせるようなスーパープレイではない。


 だが俺にははっきりと分かった。

 その映像を見た俺は鳥肌が立つほど震えていた。


 この子は上手い。

 ぞっとするほど上手い。


 だが、その才能の半分も開花していない。前監督がなぜ、紬に対して無能だとか、リズムがとか、チームのためだとか言ったことも少なからず理解できた。真賀田の気持ちは分からなくもないし、紬が戻って来てくれると仮定して、どのポジションで使えば戦力になるだろうかと頭を悩ますのは楽しい思考実験だ。


 真穂とは真逆のプレイヤーだが、ある意味同じ匂いを感じた。

 紬は誰にもないものを持っていた。


「俺だって惚れたよ……真賀田さん……」


 俺は紛れもない本心を口にしていた。

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