3章

ミッシングリンク(1)

 暖かな日差しが差し込む五月の朝。


「うひょぉぉぉ! 監督はん、毎朝こんな愛妻ご飯食べてんのかいな!?」


 杏奈は食卓に並べられた食事に目を輝かせていた。


「そだよー」真穂が答える。「このエロ監督は佐竹さんに、栄養に気を配られたご飯を三食もらってるの」


 真穂はどこか羨ましそうな目をしていた。


「さあさあ二人ともたくさんありますから、遠慮なく食べてください」


「「ほーい」」


「いや、食いすぎはダメだから」


「ケチやな」「ドケチぃ」


 ここ最近の朝は賑やかである。


 杏奈との秘密の特訓が始まり、彼女は毎朝ウチを訪れる。それから四人での朝食。杏奈は寮生活で、栄養士からの相談を受けながら献立を作っているそう。


 もちろん、ほとんど一人暮らしのような真穂も交えて、毎日がプチ合宿だ。


「ごちそ様! じゃ、行ってきます!」


 爛漫らんまんな笑顔を見せて、制服姿の真穂は学校に向かった。


「いってらー、練習遅れなやー」


「わかってる!」


 俺たちは、岐阜ユナイテッドFCとの試合に勝利してから波に乗った。四月の残り三節は毎度点を取られながらも打ち合いを制しての連勝。岐阜戦を含めて四連勝だ。順位は一気に上がり、七位に付けている。勝利の味を知った観客も次の勝利を待ち望み、客足は開幕からほぼ満杯をキープ。


 この調子で一気に首位を捉えたいところだ。


 そう思って俺はタブレットPCからリーグ順位をざっと流し見る。


 現在首位は東京ギャラクシーエンジェルスSC。


 結城学率いるチームだ。


 TGAとの試合は今から七週後の、第十六節。昇格を目指すなら当然、もう負けは許されないし、勝ち続ければ優勝を賭けた決戦に至るだろう。


 俺は今シーズンに入ってからのTGA戦を穴が空くほど見ていた。


 もちろん他チームの分析も怠らない。俺たちが弱小の事実は変わらないのだ。


「なんや真穂たん、青春しとるなあ。ああ、制服が懐かしいわ」


「何黄昏てんだよ。杏奈もまだピチピチの十八だろ?」


「ピチピチとかおっさんくさいで? 魚ちゃうで?」


 とはいえ、真穂の好不調の波は激しく、途中交代が多い。杏奈もまた新たな挑戦に取り組んでおり、試合の後半から投入している。


「なあ監督。ウチが一番向いてるのはどこなんやろ」


 珍しく弱気な発言をする杏奈。


「自分で考えろ」


「ひど! サイドバックせえ言うたん監督やで!?」


 俺のプランで杏奈を使う場所はそこしかなかった。右ウイングには絶対的なドリブラー紬がその地位を確立していたし、左ウイングにはクロス職人のレフティ由佳がいる。サイドハーフを採用する気のない俺に、杏奈の居場所はサイドバックしかなかった。


 それゆえ、俺と杏奈は一対一の特訓をしていた。


「監督の命令だけに従うのが選手じゃない。本当にウイングやりたいなら、紬や由佳を越える武器を見せればいい」


「ウチには俊足の両足があるんやで!」


「それだけじゃ足りないな」


「クロスか? スタミナか? 守備か?」


 正直、全部欲しい。うちのシステムで杏奈の足を生かしたオーバーラップがズドンとくれば、またひとつ手札が増える。


 CBの木崎姉妹が安定感をもたらし、FWの三人の爆発力、そして時々魔法を繰り出すトップ下。これが俺たちの今ある武器だ。足りないのは、中盤の底とサイドバック。


「と言うかさ、杏奈。俺がやらせたいサイドバックと、杏奈がやりたいウイングを合体してウイングバックってのはどうだ? ディフェンスもやる、攻撃もやる、そんなサイドの覇者になれば、いいんじゃね?」


「その手があったんかいな! さすがは監督やで!」


 杏奈は扱いやすくていい。


 もちろんウイングバックも昨今のサッカーではちらほら見かける。


 二枚の翼ではなく、三枚——いやあるいは四枚となれば、ウチはもっと羽ばたける。


「そろそろ練習場に行こうか」


「やったるでぇ! 今日も美少女ゴールデンルーキー、杏奈ちゃんやったるでえ!」


 ともあれ、この元気さは毎日見ていて気持ちい。




 練習場に着くと、香苗や由佳、それから紬が血相を変えて走り込んでいるのが見えた。


「今日はハードだな。まだ週明けだぞ?」


「そんなことより監督! また脱走!」


「何!? あいつ、またラントレサボってんのか!?」


 ちらりとグランドに目を向けると、黄金の髪をなびかせて、逃走するゴールデンレトリーバーのような少女が見えた。心美だ。彼女の別メニュー調整はまだ続いている。


 俺は目を細めた。


 あいつリバウンドしてね?


 心なしか心美のボディラインが一回り大きく見えた。


「また太ったのか?」


 香苗たちは小さく頷いた。


 よく見ると、心美の手には両手いっぱいのドーナッツ。


「ハードトレが続いてストレス溜まったんだってさ」


 香苗が返し、俺はため息を吐いた。


「皆は自主練に戻っていいぞ。俺が説得する」


「お、監督のお説教タイム炸裂やな?」


 香苗と紬はそれぞれ罰悪そうに視線を泳がしていた。


「ん、なんや皆んな、そんなひどいこと言われたんか? 香苗っちはなんとなくわかるけど、紬たんが怒られることなんてそうないやろ?」


 由佳はキョトンとしていた。「えー、なになに? 二人とも、監督に何か言われたの? もしかして香苗が謝ってくれたのって、監督の差し金?」


「まあ……そのさ」歯切れの悪い香苗。


「……」紬は押し黙ってしまう。


「さ、さーて、練習に行こうかな!」空元気の香苗。


「そ、そうね。今日は妙にウェイトに励みたい気分っ」立ち去ろうとする紬。


 慌てて立ち去ろうとする二人の肩をがっちりと掴む由佳。


「ふふ、なーんの話かな? キャプテンに教えてくれる?」


 香苗がキャプテンを降りて以来、由佳はその任を引き継いでいた。


 口数少ないが怒らせると怖い。それが由佳の評価だった。


 そんなこんなで俺はその場を後にして、心美の元へ向かう。

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