蕾(4)

 そうして次の練習試合の日がやってくる。


 シーズン開幕前に勝って、モチベーションを上げたいとの思いから勝てる見込みのある相手を探してもらった。


 何も俺一人の意見ではない。

 真賀田や佐竹も同じ意見だ。


 新システムを練習してきた成果が今の俺達には少しでも必要だった。

 だが、俺達はそれを放棄するかもしれない。


 これが一部で優勝争いを狙うチームだったのなら、たった一人のためにそんなことは絶対にできない。


 それでも紬にはもう一度チャンスをあげてもいいと思わせるほどのものを持っている。


 俺はもう鹿野紬というプレイヤーに惚れていたのだ。


 もしも辞めることを決心していたのなら、紬自身、今日ここには来ていないだろう。まだ迷っているのだと俺は確かに感じた。


 紬は天邪鬼というか、本音を言えないタイプなのだろう。だから辞めると言ったり、試合後バレエに行くなどと言った。おそらくバレエは言い訳。そうじゃなければ一人暮らしをしてまでサッカーを選んでいない。


 真賀田からスタメンが発表され、紬を右ウイングで起用することを告げた。

 真賀田といくつかの会話を交わした紬が俺のところへやってくる。


「迷惑かけてすみませんでした」


 と意外にも節度ある態度で謝られて、俺は少し面食らう。


「今日は精一杯プレーします」


 その言葉は本当はここに居たいのだという気持ちを改めて汲み取った。

 しかし俺はあえて厳しい言葉を紬に突きつけた。


「紬。俺も君もプロだ。ここに甘えはない」


 誰もがピッチの十一人に立ちたいと思ってる。

 それは自分の力を示して立つもの。


「君はまだ俺に何も示せていない。今、君が立ち去ろうとしても俺は止めない。言っている意味わかるな?」


「はい……」


「俺の気持ちをプレーで動かせ」


「はい!」


 そうして十一人はコートに立つ。

 監督、と真賀田が声をかけた。


 普段はあまり表情を変えない真賀田が不安げな表情を見せていた。なぜそんな悲しそうな顔をするのかは明白だ。


「分かってる。多分、今日も絶不調だね」


 アップの動きを見てればわかる。なぜ前の試合で紬があんなに集中力を欠いていたのかもビデオを見て分かってはいた。彼女は非常に好不調の波が激しい選手。野球風に言うのならスロースターターだ。


「真賀田さんには釈迦に説法だろうけどさ、調子が悪くても、リーグ戦は決まった日に行われ、勝ち負けが記録に残る」


 あの日は調子が悪かったからノーカンなんて通用しない。大事な試合の日にコンディションを調整できなかったチームや個人の責任だ。


 願わくば俺だって、紬のベストプレーを見たい。


「……どうするんでしょうね」


 そしてホイッスルが鳴らされる。


 この二週間、ほとんどの時間をシステムの理解力を高めるために費やした。

 個人の成長よりも、とりあえずチームとして開幕には間に合う形にするためだ。


 だが紬はその練習に参加していない。


 当然、自分の動きがわからず、右往左往していた。

 まるでサッカーを始めたばかりの子供のように。


 しかし試合に出ている以上、そんなのは情状酌量の余地もない言い訳。

 本当に残りたいのなら、しがみついてでも練習に来るべきだった。


 俺はそうしない選手達が何人も辞めて行ったところを見て来た。

 最後までコートに残れる選手とは結局、諦めなかった選手だけ。


 じゃあ、俺は?


 もちろん、逃げた。

 逃げて俺はここにいる。


 そんな俺が紬に厳しく言う資格があるか?

 当然ない。


 紬に向けた言葉はそっくりそのまま、俺の胸に突き返される。


 ──なんで俺はここにいるのだろうか。

 ──彼女達を率いる資格があるのだろうか。


 そんな見え透いた答えを探しているフリをしながら、俺は試合を眺めていた。


 相手は黒のユニフォーム。去年、三部リーグで五位だったチームだ。

 実力はおそらく黄菊高校と同等か少し上。

 厳しい相手だが、勝てる見込みがあったから組んだ。

 今、このチームでは急激に成長している選手がいる。


 その二人で十分に行けるはずだ。


 真穂がボールを奪取し、低い弾道の長いボールを紬に送った。

 おそらく真穂も紬が今日先発だという意味を知っていてボールを集めている。


 むろん、他の選手も分かっているだろう。


 チームにとって必要じゃない選手に普通はそんなことはしない。

 しかも同じチームであってもポジション争いをせねばならないライバルでもある。

 しかし信頼されるプレイヤーというのは自然にボールが集まってくるものだ。


 紬は周りから信頼されている。

 それに君は答えられるか?


 紬の才能は、おそらく長い時間をかけてボールと向き合い続けたもの。いや才能というよりか、努力の結晶だったろう。


 しかしその才能をまだ活かしきれていない。

 瞬発力も悪くない。一瞬の加速力なら足の速い杏奈にだって引けを取らない。


 けれど、それは調子のいい時。


 紬はフェイントを入れ、中に切れこもうとしたが、カバーに入っていた選手が見えておらずカットされる。


 そして速攻のカウンター。


 CBの芽依がクリアしようと飛び出すが、反応は一歩遅れていて、頭の上を越える。


 相手チームのFWがボールを拾って、GKと一対一だった。

 キーパーの上を狙った山なりのシュートが放たれる。


 真奈美は辛うじてボールを弾くが、軌道はギリギリゴールの中へと向かっていた。真奈美が身を起こして追いかけるが、向こうのFWは弾かれたボールに詰め寄り、押し込んで先制点を許した。


 イシュタルFC側は一試合も落とせないトーナメントを闘っているかのような緊張感に包まれていた。


 程よい緊張は集中力を高める上で必要不可欠だが、必要以上の緊張は筋肉のへの神経伝達を阻害する。


 そして、なぜか緊張感とは空気を通して伝播するのだ。


「声が出てませんね」

「一番の基本なんだけどな。まあ、もうちょっと様子を見よう」


 こういう時、キャプテンが率先しなければならない。

 チームに漂う空気を払拭するのがキャプテンの支えだ。


 香苗が今まではそういう役目をして来た。

 しかし俺は、あえて今日、香苗には声を出さないように言っていた。


 香苗は何か言いたそうに口を何度も開きかけたが、俺の方を見て、口を噤んでいた。


「やっぱ、香苗がキャプテンかな」

「良くも悪くも、ウチの選手は結構内気な子が多いですから」


 俺と真賀田がそんな会話をしていると、


「何俯いてるの。二点返して勝つよ。ラストゲームが負けだなんて嫌でしょ!」


 言ったのは心実。彼女も冷静で口数少ない方だが、真っ先にチームに喝を入れた。紬と一番長く接していた心美だからこそ、今日の意味を深く理解していたことだろう。


 俺はホッとして、少し強張っていた足を延ばす。


「なんとかなりそうかな」

「だといいですけど。あとは……」


「真賀田さんも一旦、紬に入れ込むのは辞めよう。そんな鋭い目してガン見してたら、嫌な気配を感じ取るもんだよ」


「は、はい……」


 ゲームが再開され、再び紬にボールが渡された。


「フォローッ!」

「紬、後ろいるからガンガン行っていいよ!」


 皮肉なことだが、一点先制されて声が出始めていた。

 紬はいいものを持っているのに積極性がない。


 それが弱点であり、克服すれば大きな武器に転化するはずだ。

 じゃあどうやって自信に繋げるか。


 それはたった一つの成功例以外にないのだ。

 結局、チャレンジと失敗を越えて成長するしかない。


 紬をカバーするように三葉が横に、玲奈が後ろに入った。紬は突破しようとする素振りを見せ、ヒールで一旦玲奈に戻す。


 紬が縦に走り始め、玲奈はダイレクトで真穂に戻す。


? 真穂」


 俺は呟いた。俺には見えていた。


 確かに今日は紬にとって重要な試合であろうが、義理人情でサッカーをするのはプロじゃない。


 真穂はバックスピンの回転をかけた速いボールを逆サイドの杏奈の前に放り込んだ。ここまで紬中心で攻めようとする姿勢を見せていたおかげで、一瞬だけ、相手の右SBの死角から杏奈が走り込んでいたのだ。


 杏奈は自慢の脚力を発揮し、あっという間にゴール前までボールを運んだ。


「杏奈!」


 と要求したのは逆サイドを走り込んでいた紬だった。

 杏奈は体を紬に向けてパスを出そうとした。


 フェイントでGKを交わし、一点を返す。

 杏奈はボールを抱えてセンターサークルに向かう中、


「紬、ナイスランやで! お陰でいいデコイなったで!」


 紬はキュッと唇を結んで親指を立てた。

 隣で真賀田が、


「でも今のは紬に取らせたかった──」


 コーチ、と俺は窘める。


 俺は別に飾り付けられた結果には興味なかった。

 あそこで紬がゴールしていたとしても評価は変わらない。


「わ、分かってます。チームとして一点返せたんです。喜んでますよ!」


 その後、均衡したゲーム展開が続く。

 ボール支配率はこっちが上回っていた。


 ただし攻め手に欠ける。杏奈のスピードは警戒され、向こうのサイドバックは杏奈から絶妙な距離を保ちつつ、裏を取らせなかった。


 真穂がワイドに広く展開するも、相手のプレスは早く、紬は倒されカットされる。


「今のはファウルです!!」


 真賀田が怒鳴った。

 こちらが用意した審判といえど、困惑した顔で首を振った。


「真賀田さんて熱血タイプ?」


 顔を赤く染め、真賀田はこほんと咳払い。


「とはいえ、向こうはオフに相当走り込んだんだろう。なかなかプレススピード早いね。もしかしたら今年二部に上がるかも」


 そんな調子で前半が終わった。

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