真賀田コーチと練習試合(8)

 ようやく全員に説明した頃にはすっかり日が暮れていた。この日は走り込み中心のメニューだけで終わらせたが、練習が終わってすぐ真穂と香苗が俺を捕まえ、


「自主練させてください」


 と決意した表情で言ってきた。


 二月に入ってから練習ペースを落として、自主練禁止令も出したままだ。

 来月からシーズンが始まる。オーバーワークはダメだと断ろうとしたが、


「三十分だけです」


 香苗は願いを込めるように俺に言った。

 真穂もウンウンと強く頷く。

 熱望の眼差しを向けられてしまっては断れなかった。


 息をつく俺は、


「で、何をするんだ?」


 真穂はフリーキックの練習で、香苗は足元への早いパスを出してほしいとのことだった。俺は片付けを始めていたスタッフを呼び止めて、三人連なった人形とコーンを持って来てもらう。


「真穂は正確なパスが出せるからフリーキックも大丈夫だと思うけど」


 それにずっとフリーキックの練習はしていたはずだ。

 真穂は目を輝かせながら、


「月見選手がビッグロンドン・ダービーで見せた一点目のロングシュート!」


 本気かと問いかければ、真穂は大きく首を縦に振った。

 つまり無回転シュートらしい。


 筋力もまだ十分とはいえない真穂には簡単なことじゃない。とはいえ、二人とも自分の意思で新たな武器を身に付けたいという意思は素直に嬉しいものだ。


「分かってると思うけど、真芯を引っ掛けずに蹴る。力みすぎると結構余分な力が伝わってしまう。インパクトの瞬間から振り抜くまで、足先までの意識を集中させる」


 俺は身振り手振り交えながら説明する。


「イメージは振り切るよりも当て抜くって感じだな。意識は足先ももちろんだが、股関節、膝、足首の関節の点。そのラインが重要だ。その三点を真っ直ぐ保つ。ミートポイントにしっかり、足の甲の中心が正面で当たるイメージを常に持ち続けること」


 真穂はメモを取りながら真剣に聞いていた。


「無回転を意識しすぎて、縦から真っ直ぐ蹴ってしまうと縦回転がかかりやすくなるから、軸足を遠目において、斜めから倒す感じだ。重心をボールの前に置いて、重心に腿を引きつける」


「お手本、お願いします!」


 真穂は俺にボールを託した。

 俺は少し関節をほぐしながら、ボールを置いて、二、三歩下がった。


「最初は助走をあまり取らずに一歩で真芯を捉える練習をすればいいよ」


 俺はどっちの足で蹴ろうか悩んだ挙句、元々の利き足かつ怪我した方の右を使うことにした。


 すっとボール横に入って、真芯からほんの少し下を当て抜く。

 三枚の壁を越えていくボールはゴール手前でシンカー気味に落ち、サイドネットに吸い込まれた。


「おおっ!」


 真穂は感嘆をあげた。

 俺も右足の状態は悪くないことを知って満足していた。


「気持ち、真芯の下に当てれば、壁の上を越えるから。まあ、人によって足の長さや足の形、関節の可動域も異なるし、一概には今のアドバイス通りにはいかない。あとは反復練習のみ」


 真穂が早速練習を始め、一本目からきっちり無回転シュートを実現した。

 まあ壁の真正面に当たったが。


「さすがだな」


 真穂は褒められて嬉しそうだった。


 俺のアドバイスを受けただけで、即座にやってのける真穂のセンスの高さに感心するばかりであった。


「最初は壁をおかずに、低い弾道で打てるようになってからフリーキックに応用させればいいよ」


 真穂にそう告げ、今度は香苗に目を向ける。


「早いパスだったっけ。どれくらいのレベルがいい?」


 香苗はワンタッチ目で足元に収める練習をしたいのだろう。

 え、と香苗が聞き返す。


「河川敷の親子の触れ合いレベルから、プレミアリーグレベルまであるけど」

「じゃ、じゃあ、プレミアレベルで!」


 お望み通りのパスを蹴ったが、ほぼシュートのパスに香苗は驚いて背を向けた。ボールは香苗の軸足に跳ね返り、奇跡的に俺の足元へ帰って来た。


「……ナイスパス」

「シュートじゃないですか! やっぱり、女子レベルで……」

「はいはい」


 しばらく香苗にパス出しをしていると、なぜ彼女が足元があまり得意ではないのかの問題点がはっきりとして来た。


 止まっている時のトラップはそれほど悪くないばかりか、チームでもそれなりに上手い方だった。


 そこで俺は香苗を走らせて、受けさせることにして、問題の根幹に気づいたのだ。


 香苗の特徴は何よりも背の高さだ。


 背が高いと言っても二種類ある。

 胴が長いパターンと足が長いパターン。香苗の場合は足が長い。


 つまり、足が重い。


 重心点がおそらく普通の人より下にある。加えて、女性という骨格の特徴から股関節が柔らかい利点があるものの、早く走ろうという意識から大股で動く。したがって、走りながら受けるという動作の際、ボールを止めるために調整する反応速度レスポンスがどうしても遅れてくる。


 それがワンタッチ目、ツータッチ目の動作に遅れが生じる。


「香苗。もしかして、サッカーする前は陸上とかしてた?」


 佐竹が集めてくれたデータには書いてなかったのだが、香苗は自らの口で高飛びをしていたと言った。


 これでようやく合点がいった。


「ボールを受ける前だけ小股で走ればいいよ。ほら、踏み切る直前のような感じで」


 とアドバイスして、パスを受けた香苗はボールを足元にすっぽりと収めた。


「いや、驚いたよ。上手いじゃん」


 香苗も褒められて「いや、それほどでも」とニヤケ顔で頭を掻いていた。ゲームキャプテンを外すと正式に宣言してから、どこか肩の荷が降りていた感じだった。


「監督、感覚を忘れないうちにもう一本!」

「はいはい」


 練習とは身体の使い方を感覚に染み込ませる行為である。


 スポーツは運動能力のセンスを問われがちだが、結局、筋肉を動かすという行為は脳から始まる。


 したがって運動音痴とは大多数が自分の身体の使い方をよく分かっていないだけ。理屈を理解できれば、大抵の人がそれなりに動けるようになる。これはどのスポーツでも共通すること。センスのいいタイプっていうのは、理屈でなく感覚でイメージできる。


 三十分だけだったはずが、結局一時間半は付き合わされ、俺の方がヘトヘトだった。


 体力的にという意味ではなく、できるだけ二人を褒めて伸ばそうと意識して気疲れしたのだ。


 二人をトレーナに預け、クラブハウスに戻ろうとした時、心配した表情を浮かべていた中年女性が二人待っていた。


 おそらく真穂や香苗の保護者だろう。

 俺は軽く説明して、二人がマッサージルームにいることを告げた。


 事務所に戻った俺は冷凍庫から氷を袋に詰め替え、膝をアイシングしながらソファに腰掛けた。


「膝ですか」


 と真賀田が声をかける。

 口を聞かれたのは喧嘩をして以来だった。


 俺は「まあ」と曖昧に返事し、


「結果であって、原因じゃないけど。それに膝はもうほとんど完治してる」


 ぶっきらぼうに返した。


「精神的な不調という噂は本当だったんですか。天才って脆いんですね」

「真賀田コーチは手厳しいなあ」


 すると真賀田は突然ジャージの裾を上げた。

 彼女の左ひざには手術痕が残されていた。


「前十字靭帯断裂。私も四年半前までサッカー女子でした。自慢じゃないですが、新人ながら一部リーグで年間先発フル出場していました」


「でもメスを入れたってことは、復帰も視野に入れて?」


 真賀田は静かに首を振った。


「選手に手本は見せられるくらいにはボールを蹴れるように。ユースのスタッフでバイトをしながら大学でスポーツ科学を学びました。卒業したと同時に、ユースの監督を任されました」


 真賀田は殺気立った目つきで俺を睨んでいた。


「だから、まだプレーのできるあなたを憎んですらいます。ここの選手の半分近くが、ユースチーム時代の後輩です。私にとっては妹達みたいなものです。だから、かき回されると殺したくなります。私は月見健吾を監督として引き抜くと聞いて、断固拒否しました」


 つまり団結しているのは選手だけじゃなく、真賀田も一緒だということ。


「今も?」


「このチームに要らないと判断すれば、私がクビにできるという権限をもらっています。せいぜい、私に嫌われないことですね」


「努力するよ」

「冗談ですよ」


 冗談を言っているよう目ではなかった。猛禽類のように鋭く光る冷たい目つきだったが、少し眉尻を下げた真賀田は、


「ただ……あのシステムを聞いた時、私の構想よりもあの子達を活かせられるような気がしたんです。監督が先発として選んだ子達はゆくゆくは私も使いたかった選手がほとんどです。私には思いつかなかったことです。だから嫉妬がありました」


「歯車が噛み合わない事には絵に描いた餅。机上の空論だけど」


「それに香苗が監督に自主練を願い出るなんて、以前の彼女からすればありえないことです」


「だから言ったでしょ。あの子は自分から変われる子だって。ここの子達は良くも悪くもまだ純粋なんだろう。俺達が気づかせてあげればいいだけのこと」


「でも監督はヘイトを全身に浴びる方針のようですね。精神的ドMですね」


 真賀田は失笑気味にそう言った。


 最初は致し方ない。意見や不満をぶつけるのは悪いことじゃない。でも俺はきっと理解し合えると思っている。


「真賀田コーチだって俺のシステムに反対したけど、今は納得してくれたはずだ」


「私はこのシステムが機能し、彼女達が成長してくれればベストだと思っただけです。今でもこれで開幕から戦うのは懐疑的です。何より、ウチの売りである守備が半分以下なんですから」


「もしかしたらリーグ全敗で三部降格もありえるかも」


「その場合は監督がここを去るだけです。あとは私が引き継ぎますから」


 俺はふと思いつく。


 もしかして真賀田が監督を受け入れなかったのは、ずっとこのチームであの子達の成長を見たかったからではなかろうか。


 マッサージの終わった香苗と真穂が事務所に顔を出して挨拶をした。彼女らが帰っていく際、真賀田は今まで見せたこともない穏やかな表情をして送り出した。


 俺が真賀田と会ってから初めて見た表情だった。


「結局、真賀田さんもバカってことか」


 俺もまた頬をほころばせた。


「どう言う意味ですか?」


 だから俺達はいつまでもサッカーを辞められない。

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