春の蕾(12)
オフが空け、早速木崎姉妹がチームに合流した。
簡単に自己紹介を交え、戦術練習に加える。
調子のいい真穂がトリッキーなプレーでサイドを翻弄するも、ラストパスを完全に読んでいた萌が弾き返した。続いての、由佳と香苗のホットラインも完全に対応し、攻撃チームの得点には至らなかった。
「やはりあの読みは素晴らしいものがあります。まさに阿吽の呼吸ってやつですね」
宮瀬が絶賛し、真賀田も満足そうに頷いていた。
「このレンタル移籍は成功ですよ。来年は正式な契約をしてぜひ、うちの最終ラインを背負って欲しいものです。……監督? どうしたんですか難しい顔をして」
「いや……うん……まあ……そうだな」
「不満げですね? 何か問題でも?」
「奪ったあとのフィードが速攻狙いのFW一辺倒だ」
「しかしDFは安全策を選ぶべきでは?」
「そうなんだけどさ、なんかこうもやっとする」
「的を射ませんね」
「ディフェンスは申し分ないよ。ただ、準備できてない相手に精度の低いロングボールってのはどうなの?」
実際、セカンドボールはすべて攻撃チームが拾い、守備チーム側の攻撃が続かなかった。
「一回さ、フルコートの実戦形式でやってみようか。Aチームに木崎姉妹を入れて」
そしてフルコートゲームの二十分ハーフをやらせてみて、やはり俺は自分が感じた違和感に間違いはないと確信を得た。
そのことを証明すべく、結城に電話を入れた。
「ははは! やっぱり気づいたか! 月見くんの目は誤魔化せないなあ。そうだ、木崎姉妹はサッカーを始めて間もない」
「いつから始めたんですか?」
「高一だ」
つまり四年目。
たったの四年と言うべきか、まだ四年と言うべきか。それでも熟練のディフェンダーのような読みを得ているのは賞賛に値するが。
「彼女たちはこれからどんどん成長する。まさに君のチームにぴったりな人材じゃないか」
「……騙したな?」
「敵チームに塩を送るとでも思ったか? ……てのは冗談で、あの才能を
「俺たちのチームは未来への踏み台じゃない。俺たちは今、真剣に戦ってる!」
「だったら尚更、木崎姉妹は必要なはずだ。冷静さと判断力、それがCBに求められる資質だ。試合開始数分で、一発退場するCBなんてチームの爆弾でしかない」
「あんた——っ」
「事実だろ。幾ら気持ちが高ぶったからとはいえ、CBは常に冷静でなければならない。それが欠けている選手はチームのお荷物になる。君だってこれからの試合、あの子を使うつもりはなくなったはずだ」
俺は前回退場に至った彼女を見つめ、奥歯を噛み締めた。
「誰にだって失敗はある。たった一度の失敗で切り捨てたりはしない!」
「甘いな、月見くん。我々はそう言う世界にいる。たった一度のミスが失点に繋がり、あるいは選手生命を棒に振ることもある。それを君が一番よく知ると思うけどね」
「結城さん、あんた変わったよ。昔はもっと義理人情に厚い人だった」
「勝負の世界にいると冷酷になる。君もいずれそうなっていく。使えない選手は切られ、使える選手だけがコートに残る。選ばれた十一人だけ。それがこの世界のルールだ。それじゃあ月見くん、次は試合で会おう。それまでに彼女たちの弱点をなんとかしてくれよ」
通話が切れ、腹に据えかねた俺はベンチを後にした。
*
第六節までの時間はあっという間に過ぎた。相手は現在十位につける中堅どころ。岐阜ユナイテッドFCは黄色と白のユニフォーム。システムは4-4-2。それから今日はホームゲーム。
「先発を発表する。CF香苗——」
淡々と今一番使える選手を読み上げていく。由佳、紬、真穂。DMFとサイドバックは先週と変わらず。
そしてCBに差し掛かった時、出掛かった言葉と一緒に苦いものがこみ上げた。レッドカードをもらった彼女は当然今回は出場停止だが、もう一方のCBは特に問題を抱えているわけではない。ここまで苦しいながら最終ラインを支えてくれた。
だがふと、『19』と言う数字が脳裏を掠めた。
ここまでの総失点数。言うまでもなくリーグダントツの失点数だ。
「……CB、萌と芽」
名前を呼ばれなかったCBの子の、悔しむ視線を見てられなかった。相方だった、出場停止の子が「ひっ」と悲鳴のような声をあげていた。
責めるなら俺を責めてくれ。
監督てのは、悪魔な職業だ。
「出陣だ。今日は勝とう」
俺のテンションの低さが伝播したのか、いつもの円陣に覇気がなかった。それか、ユースから一緒だったこのチームに異質な血が入って、困惑していたのかもしれない。
コーチ陣も、結城との電話から察したらしく今日までほとんど俺に声をかけてこなかった。試合前にはいつも軽く会話をするが、今日はそれもなかった。
一番影響を受けていたのが真穂で、つい昨日までの練習ではキレていたのに序盤からパスミスの連続。それを深くまで持ち込まれ、あわや一点という場面を木崎姉妹に救われた。
ホッとした自分が余計にイラついた。
「監督」と真賀田が声をかけた。「ここはプロの世界です。我々は勝たなければならない。そのために必死になってます。ましてや我々にはあとがない状況です。客足が減れば負のスパイラルに陥ります」
「……そんなのわかってる」
「いいえわかってません。あなただって、このまま勝ち星が挙げられなければ、途中解任もあり得ます」
「佐竹さんはそんなことしない」
「本当にそうでしょうか? 彼女、ああ見えて結構冷酷な経営判断を下しますよ? 自分の領域以外に対しては優しい人ですが、以前、財務担当がぽかした時、簡単に首を切りましたからね」
嘘だろ、と俺は見上げた。
確かめるように宮瀬に視線を向けたが、彼女はさっと目を逸らした。
「残念ながら事実です。ほら、事務所には人があまりいないでしょ? あれって佐竹さんが怖くて近寄らないんですよ。今はほとんどメールとかでやりとりできますからね」
「そんなはずは……」
だって彼女は行き場のなかった俺を拾ってくれ、毎日栄養のあるものを作ってくれた。
「月見健吾を選んだのだって、知名度ゆえ。全部経営的なことです」
「嘘だ」
「信じないのは勝手ですが、負けた先に未来はない。それだけが事実です」
わかってる。
負け犬に未来はないことくらい。俺が一番よく知っている。
誰も手を差し伸べちゃくれない。日本に帰ってきた俺に誰も興味を持たなかった。一人だけ俺に慈悲をかけたが、それは利用価値があったからで、俺だって利用価値のある選手を選んでいる。そこに疑問を持っていてはこの世界で生きてはいけない。
俺のやってきたことは正しかったのだろうか。
俺はまだ何一つ結果を残せていない。ただのビッグマウスで、ただのホラ吹きで、ただのお飾り。厳しいことを言って、わかったようなことを言って、監督っぽいことを言って、それで悪者になった途端、嫌気がさした。
『君も監督になったらわかる』
『もう辞めてしまおうか』
ああ、そうだボス。あんたの言う通りだったよ。あんたはいつもこんな重圧に耐えてきたのか? 負けられない試合で、自分勝手な俺を、それでも使ってくれたあんたの度胸は狂ってるよ。
俺はまた逃げ出そうとした。
試合の最中なのに放棄して、ベンチを去ろうとした。
「監督」
声がした。真賀田でも宮瀬でもなかった。
振り返ると、ライン側に紬が立っていた。
「トイレに行くと、最高の瞬間を逃しますよ?」
俺は無言を返した。
「今日の私、調子良いみたいです。だから見ててください。王様はそこでどっしりと」
紬は客席を見上げた。
「お兄ちゃんもきてくれてるみたい」
笑顔を零して紬は身を翻した。
まるでその瞬間を知っていたかのように、紬の足元にボールが送られた。
ぞくりと、全身が粟立つ。
背中越しでボールを受け、刹那、ボールはサイドバックの頭上を越えていた。
羽が。
羽ばたいた。
それは蝶のように優雅で、鋭く接近する
華麗に、息の長いドリブルはまるで足元に吸い付いて離れない。
一人、二人、三人、四人——その先に彼女を阻む者はいなかった。
歓声が割れた。
轍はゴールまで一筆書き。
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