春の蕾(11)

 これで五連敗。カップ戦を挟めば六連敗。


 いよいよ昇格が厳しくなって来た。


 試合が終わり、自宅に戻った俺はベランダに出てホワイトボードを片手に、ああでもないこうでもないと言いながら攻撃パターンを増やすことに頭を悩ませていた。


 すると、公園の方からボールの蹴る音が聞こえ、まさかと駆け出していく。


 案の定、真穂は自主練をしていた。


「さすがに怒るぞ、今日は」


「うわ!? 監督! なんでまた!? ここは秘密の特訓場なのに!」


「家近いし」


「そなの? じゃあ真穂の家とも近いね。じゃあさ、ウチ来る?」


「遠慮しておく。こんな時間に男が来たら、ご両親も変に勘ぐるだろ」


「しないよ」


 いつもは明るい笑顔を見せる彼女が、ふと寂しさそうな目を見せた。


 俺は首を傾げる。


「監督が来てくれなくちゃ、真穂、ずっとここで練習するから」


「怒られるだろ流石に」


「怒られないよ。だって誰もいないもん」


 あ、と俺は間抜けな声を漏らした。


「お母さんは朝まで仕事。お父さんはずっと前に出て行った。だから夜は一人。だからずっと夜練習してるの」


 俺は真穂の手を掴み、ボールと一緒に抱えた。


「帰るぞ。今日は一緒にいてやる」


「……それって、えっちぃやつ?」


「俺を犯罪者にするつもりか。寝付くまでだ」


「ええ、ずっと一緒がいいなあ。今日はアシストしたし、そのご褒美的な」


「マッサージはしてやる」


「えっちな?」


「するか!」


「佐竹さんとイチャラブ同棲生活してるくせに」


「え?」


 その疑問に納得のいく答えが出たのは、マンションに着いた時だった。俺と真穂の自宅は同じマンションだったのだ。しかも上と下。上のポストには『白井』の文字があり、下のポストには『月見 佐竹』と書かれている。逃れようがなかった。


「監督ってさ、そゆとこ鈍いよね。時々ベランダに出てるでしょ? 『うーん』とか『違うな』とか言ってるの聞こえてたよ」


「そそうなのか」


「てゆかなんで一緒に住んでるの? 恋人なの?」


「アーエット、ソレハダナ。経費節約というやつでありまして、決して我々はやましい関係ではなくてですね、その件につきましては、しかるべき調査ののちに詳細を報告する所存でございまして」


「余計に怪しいんだけど」


 というか、思いついた俺は、


「だったら、夜はこっちで食べればいい。そうすれば真穂も暖かいご飯を食べられて、俺たちの間になんらやましいことがないと証明される」


 言いながら、自宅へと向かい、佐竹にかくかくじかじかであると説明した。佐竹は特に誤魔化す様子もなく、三人分の食事を作り始めた。


「てゆか、ベッドが一つなんですけど」


「俺専用。佐竹さんはミノムシ」


「それはそれでどうなの?」


 今日の試合映像の再生を始めノートにメモを取っていると、続々料理がテーブルに並び、最後に缶チューハイとグラスが置かれ、乾杯する。


「なんか勝手知ったる夫婦感出てるし」


「真穂ちゃんはオレンジジュースです」


「てゆか、スポーツ選手がお酒ってどうなの?」


「試合の日だけな。本当は勝った日に祝杯と行きたいが……とういうか、ごめん。ちょっと話しかけないでほしい」


 そう言って俺は映像を止め、ホワイトボードを手にとると、手早く書き込みを始めた。


「……監督、いっつもこんな感じ?」


「だいたいそうですね。一度自分の世界に入っちゃうと、うんともすんとも言わなくなります。気づけば朝ということもしょっちゅう。せっかくのお料理が冷めてしまいます」


「ふーん。大変そうだね」


「そうです、月見さんはしばらくポンコツなので、一緒にお風呂に入りましょう」


「いいよ。帰って入る。シャワーは浴びたし」


「ダメですよ。お風呂に入って血行をよくすることは疲労回復にも繋がります。というか問答無用です。ていや!」


「きゃあ! 佐竹さんのえっち! 監督の前で脱がさないで! 仕返ししてやる!」


 ……我慢だ我慢。見てはならない。


 しかし、本能に負けた俺はちらりと背後を振り返る。


「「えっち」」


 冷たい目が睥睨へいげいしていた。


 そこに脱いだ二人はいなかった。


「……騙したな?」


「佐竹さん、この人絶対むっつりだよ。本当はエロの塊だよ。むしろエロだよ」


「そうですね。これからはもっと警備を強化しましょう」


「すみません。ほんの出来心です」





 試合映像に集中していると、肩に重みを感じて現実に還る。時刻は深夜に差し掛かり、隣には寝息を立てる真穂がいた。


「お母さんには連絡しておきました。今日はここで預かります。ご飯温めますか?」


「いやいい」


 起こさないようにそっと真穂を抱え、ベッドに置く。


「今日の試合、真穂ちゃんが活躍しましたね」


「あと一歩ってとこまで迫れた」


 俺は遅れてご飯を頂くことにして、また試合映像を見返した。


 何かできることはなかったのか。本当に打つ手はなかったのか。そんなことを考えながら、真穂が試合を動かし始めた場面から見直した。


 すると、リモコンが奪われテレビは消された。佐竹が頭をもたげる。


「佐竹さん、酔ってる?」


「ええ酔ってます。ですからノーカンです。今日の試合もノーカン。ちょっとだけ運がなかっただけなのです。頑張ってます。皆んな頑張ってます。選手もコーチも月見さんも皆んな。そんなに頑張らなくていいってくらいに」


「それを言うなら佐竹さんもでしょ」


「頑張った人にはご褒美が欲しいですね」


「そうだな」


 けれど、これが俺たちのいる世界だ。いくら努力してもどうにもならないことがある。


「勝てないのは悔しいですね」


「ああ」


 でもあと一歩だ。今日で俺たちには爆発力があるってのはわかった。あとは中軸がしっかり通れば、自分たちのサッカーができる。


 そう言う意味じゃ、結城さんには感謝しなければならない。


 いや、くじ運を持った佐竹さんにもか。


 寝静まってしまっていた佐竹のポケットから、あの時の割り箸が見えた。こっそり手に取ると俺は苦笑を漏す。


 どこまで狙っていたのやら。


 割り箸は両方とも赤い色で塗られていた。

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