春の蕾(10)

 後半が始まっても苦しい展開は変わらない。三点を取って引いてくるかと思ったら、相手は攻勢に出て、息の根を止めにかかっていた。


 一度はポストに救われたが二度の奇跡は起こらず、サイドからのクロスにミスマッチという四回目のパターンで、ついに喉元に手を掛けられた。


 へばっていたサイドバックを先に変え、ゲームは再開。


 数的不利の中、紬が得意のキープ力で溜めを作る。デコイとして走り込んだ真穂に相手ディフェンスの気が一瞬逸れる。それを利用して紬が一人を抜き去った。サイドを上がっていた由佳にボールが出され、ボールをピタリと収めてからの丁寧なアーリークロス。


 タイミングはピシャリ。


 飛び込んだ香苗の頭に当たるが、惜しくもキーパーのファインセーブに阻まれる。


 しかしコーナーキック。


「追いつくならここで決めたいですね」


「追い越すならな」


「現実問題、四点差をひっくり返すのは厳しいかと」


「俺たちが信じなくてどうする。それにフォワードは、何点でも取りたいって生き物さ」


 そんな中、退場した選手がベンチ裏に姿を見せ、祈りを込めていた。


「香苗。君の言葉なんかいらない。欲しいのはただ得点だ」


 由佳の蹴ったボールは高めのボールだった。キーパーが飛び出し手を伸ばす。ディフェンダーも懸命に飛び、ボールを跳ね返そうとしていた。


 そこには当然、香苗がいた。


 そして、そのボールは。


 何百回、何千回と蹴り込まれたであろうボールは、その頭に吸い込まれるようにするすると曲がっていく。


 まるで高跳び選手のような美しい跳躍で。


 空を飛んでいるのかとさえ思う滞空時間の長さで。


 香苗とキーパーとディフェンスの三人がもみくちゃになる中、頭一つ飛び抜けた香苗がネットに叩き込んだ。


 敵地のスタジアムは沈黙する。


「うがぁぁぁぁ————————っ!!!」


 野獣は吠え、香苗はベンチに一本指を捧げた。


「吹っ切れるのが遅えよ」


 俺も拳を突き返した。


 でも安心はできない。セットプレーの得点は相手の守備を崩したわけじゃない。


 奇襲のアーリークロスは二度も通じず、きっちり修正され、弾き返された。セカンドボールを拾われ、相手は安全策でボール回しを始めた。じわじわと時間が削られる。


「杏奈」


 と呼びつけた。


「いつでも行けるで!」


 しかしなかなかボールが切れない。


 ディフェンスラインで回されるボールを懸命に追いかける香苗。足はもう上がっておらず、限界だ。隙を突かれ、縦のボールがFWに送られる。


 が、リスクを恐れずスライディングで飛び込んだ由佳がボールを奪取。


 笛は鳴っていない。


 転がったボールを真穂が受け取り、二タッチ目には紬に渡った。


 ワンステップ。


 ターン一つで相手を抜き去って、紬はサイドに散らした。


 そこには走り込んでいた由佳が待ち受け、ダイレクトで最終ラインの裏へと放り込まれた。


 走り込む香苗とディフェンスが迫り合い、ボールは後方に流される。


 胸で受け取った紬はキックフェイント。

 スライディングしたディフェンスをかわす。


 狙い澄ましたシュートはサイドネットに吸い込まれ、二点目。


 時計を確認する。まだ十五分。いける。


 ヘトヘトだった香苗と杏奈を交代し、相手チームも選手を交代した。守備的な選手を入れ、逃げ切るつもりだ。


「ナイスガッツ、香苗」


 返事をする元気もなく、彼女はロッカーへと引き上げて行った。


 元気の有り余った杏奈は早速チャンスを演出する。インターセプトから一旦真穂に預けてのワンツーの抜け出し。しかしこれはキーパーの執念に阻まれた。


 中盤での奪い合いが続き、時間は舐めるように過ぎていく。中盤から前線の選手たちは走り通しでミスが目立ち始めた。彼女たちの本能が楽を求め、大味なロングボールから杏奈のスピード頼りになった。しかしきっちりと縦を防がれ、流石に守備の粘り強さを見せられる。


 もう一手。もう一つの手札が欲しい。


 ベンチメンバーに視線を向けた時、「おおっ!」と声が上がった。


 コートに目を戻すと、ゴール前で杏奈がボールを押し込んだところだった。


 相手ディフェンスは凍りついて立ち止まっていた。


「今、どうなった?」


 問いかける真賀田は目を見開いたまま、口を開けていた。


「いや……えっと、口で説明するのはちょっと……」


 宮瀬に視線を向けるも、「何が起こったのか私にもさっぱり……」


 リプレイ映像が流され、俺はぞくりと鳥肌が立つのを覚えた。


 サイドの深い位置に流れたボールを拾った真穂は、ゴールラインすれすれで反転しながらボールをすくい上げてディフェンダーの頭を超え、さらにもう一人寄って来たディフェンスをワンタッチで再び抜き去り、スリータッチ目には杏奈の足元にピタリ。曲芸的なスーパープレイだった。


 観客や敵味方関係なく驚きに包まれていた。


 けれど俺にはさほど驚きはなかった。そのプレイは公園で一人練習して来た彼女にとっては当たり前のものだったろうから。


 しかしこれで一点差。射程圏内。時間は残り五分。


 もう点を許さないと気を引き締め直した石川ヴィーナスに、まだ追い越せると畳み掛けるイシュタルFC。完全に流れはこちらのペースだった。十人で戦っていることを忘れさせるほど、連動した動きを見せ始める。


 その中心にいたのは真穂だった。


 その小さな少女がボールを持つと、選手は勝手に動かされていた。


 空いたスペースへ魔法のようなパス。ディフェンスラインを縫うように、回転のかかったボールがキーパーとの間に送り込まれ、杏奈が足を伸ばす。


 が、ほんの数センチ外を過ぎた。


 ゴールキックで再開されようとしたのだが、杏奈がまだ倒れこんでいて、一目散に宮瀬コーチが救急箱を抱えながら飛び出していく。


 ばつ印を掲げた宮瀬コーチだったが、すぐに立ち上がった様子から大事には至らなかったようでホッとする。


 最後のカードを切り、戻って来た宮瀬は「こむら返りです。両足」と報告し、杏奈と一緒に引き上げていく。


 杏奈は去り際「ごめんな、ハットトリックできへんで」と謝っていた。


 本気だったのかと俺は苦笑を浮かべた。


 しかし高さもスピードも失ったウチの反撃はそこで終わりを迎えた。

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