真賀田コーチと練習試合(5)

 事務所に戻るとソファに座っていた香苗が目に入った。佐竹は「ファイト」と言った風にガッツポーズを見せ、静かに部屋を去って行く。


「……悪かったな。厳しく当たって」


 香苗は泣きはらした顔をしていた。

 膝を抱えて、顔を埋めると少し震えた声で、


「いえ……分かってます。自分に何が足りないのか。前の監督にもずっと言われてきましたから。でも分からなくて……。シーズン後半は途中交代が多くなって……。キャプテンなのに、チームの中心なのに、何もできない自分が悔しくて……」


 俺はコーヒーマシンにカップを置いた。さっきもコーヒーを飲んだが、何かをしないと重苦しい間に耐えられない。


 コーヒーが注がれる音が事務所に響き渡る。


 香苗に対するフォローの言葉がすぐに思い浮かばない。

 香苗は抱えた膝をぎゅっと握りしめていた。コーヒーが出来上がって、カップを二つテーブルに置いた。


「香苗は去年、チームでトップの得点数。その事実は素直にすごいと思ってる。だからこそ、今年はもう一つ上の段階へレベルアップして欲しい。その為には、いろんな責任を背負うんじゃなくて、自分だけに目を向けて欲しいって思っていた。結局さ、それが一番、チームの為になるんだよ」


 香苗は目を合わせるでもなく、コーヒーに口をつけ、熱さに顔をしかめた。


「……私、正直に言えないんです。強がってしまうんです。ほんとは皆が思ってくれている以上に、メンタル弱いんです。皆から、『最近の香苗は意固地になってる』って言われてました。前、結月に強く当たってしまったのも、本当のことを突きつけられてムカついたからです」


 香苗は本心ではほっとしたと言った。

 キャプテンを外すって言われた時、心の底では安心したと。


「そんなこと思ってはいけないのに……」


 香苗がここまで脆いとは思わなかった。

 佐竹が言っていたように香苗は意外に繊細だった。しかし、どういう性格なのかわかってしまえばやりようはあるのだ。


「これは小学校時代の監督の受け売りだが」


 俺はコーヒーにフレッシュと砂糖をたっぷり入れて、かき混ぜながら口を開いた。


「信頼は言葉じゃなくプレーで勝ち取れって言われた。結局そのクソ監督は俺を一度も試合に使ってくれなかったがな」


 俺は苦笑を浮かべる。

 香苗は少しだけ顔を上げ、意外そうな表情をしていた。


「悔しくて俺は必死に練習しまくった」


 中学に上がって、先輩達を全員抜いた。


 十八人抜きだった。

 あの時は爽快だった。


 しかしそのあとは鉄拳教育を受けた。

 くだらないと思った。心の底からくだらないと。


 こいつらはプライドのためだけにサッカーをしているんだと思った。

 それから親に頼み込んで、他のチームを探し回った。


「俺は昔からあまり背が高くない方で、身体が少し当たれば吹き飛ぶような豆腐っ子だったよ」


 それでも足の速さだけは負けないと自負していたが、どのチームも俺の身体つきを見た途端、門前払いした。


「向いてないんじゃないかとすら思ったよ」


 母も球技はサッカーだけじゃないと述べ、別のスポーツを進めた。


「でもさ、奇跡的に俺を拾ってくれた人がこう言ったんだ。サッカーはゴール入れてなんぼだ。十一人で点を取ればいいって。あの時、俺の価値観が変わった」


 俺はコーヒーを口にし、口の中を湿らせた。


「君はいいプレイヤーになる。これは本当に思っていること。この先、君が代表や世界に行った時に通用する選手になって欲しいと思ってる。いや、なる。技術なんて一日や二日で身につくもんじゃない。何年も何年も掛けて、ようやく自分のものになる。でも俺はそこに辿り着く前に君が潰れる気がした」


 背の高いポストプレイヤーには二種類の選手がいる。剛健なパワーでねじ伏せるタイプと身体の柔らかさで粘り強く押し込むタイプ。

 香苗は後者だ。


「足元が身につけば、センターフォワード以外にも選択肢が増えてくる。ロングボールを受けて、高い位置でタメを作る。すると遅攻サッカーができる」


 その時、香苗の才能が活きてくるのだ。


「卑怯です……」香苗は小さく呟いた。「なんで黙ってたんですか」

「俺もあまり本音が言えるタイプじゃないからな」

「そうじゃなくて」


 香苗は潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見ていた。


「真穂から聞きました。監督はあの月見健吾ですよね?」

「え、言ったろう? 初日の挨拶で」


 すると香苗は消沈していた面持ちから一転、声を張り上げた。


「同姓同名の別人だと思いましたよ!」

「俺ってそんなにオーラ出てない?」


「出てませんよ! まだ現役だって思ってましたし、髪だって黒に戻して長くなってるじゃないですか」


「いや、それは色々あったというか」

「噂は本当だったんですね……」

「噂?」


 すると香苗は、俺の疑問を無視して、テーブルにあったマジックを俺に押し付ける。

 ウインドブレーカを剥ぎ取るように脱いで、ユニフォームを伸ばした。


「サインください!」


 サインを書き始めると、


「監督は……月見選手はずっとここにいるつもりですか?」


 さあ、と俺は言葉を濁した。

 どうにも俺は選手として戻ることをいろんな人から望まれているらしい。


 応えなければならないという強迫観念がある一方で、果たして俺は選手としてもう一度通用するのかという不安がぐるぐる頭の中で巡っていた。


 香苗は少し寂しそうな表情をしたが、明るい表情を無理に浮かべた。


「でもあの月見健吾に教えてもらえるのは光栄なことです。ここにいる内に、いっぱい盗ませていただきます」


 ぺこりと頭を下げて、香苗は事務所を後にした。

 俺はなんとなくモヤっとする感情を抱えながら、残ったコーヒーを口にした。


 砂糖を足してもコーヒーはほろ苦かった。

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