春の蕾(13)

 孵化ふかした蝶を止められるものはいなかった。サイド深くを舞い、中央に侵入すると、針を縫うようにディフェンスを翻弄。気づいた時には、ゴールネットにボールが置かれていた。


 紬はピースサインを見せた。


 一番大切であろう人を差し置いて、他の誰でもない俺に。


 それからウインクひとつ。


 まるであなたに捧げたよ、なんて言わんばかりに。


 そして、片翼に感化されたもう片方の翼も自慢のクロスでピンポイント狙撃。


 中央で両翼を広げた巨人の利き足——利き頭が爆発する。


「うがぁぁぁぁ————————っ!」


 野獣の雄叫びに、スタジアムも野生に帰る。


 エースの得点に、スタジアムは熱狂に包まれた。


 これまでの鬱憤うっぷんを晴らすかのようにFW陣は開花し、そして新しい血に支えられたディフェンスで前半を危なげなく折り返す。


「さて諸君」


「あ、監督はんがいつもの調子に戻った。つまり、ウチの出番も間近ってことやな!」


「しかし拒否する」


「なんでや!? ウチも点取れるで!? 電光石火が炸裂するで!?」


 調子の良かった両翼を変えるつもりはなかった。


「何故ならば最終兵器は取っておくものだからだ」


「その手があったんかいな! なら最終兵器らしく、ベンチ暖めて、発射ボタンが押されるまで待っとかなな! けど暖めすぎるとベンチが爆発するで!?」


「自爆は辞めてくれ」


 試合前は棺桶だったロッカールームに生き血が注ぎ込まれ、笑顔が戻った。


 杏奈の存在は大きい。試合に出てなくても、ムードメーカーとして空気を変えてくれる。もちろんそこに至るまでの三得点がそうさせたのだが。


「後半、もっと点取ってこい。良い攻撃は良い守備からだ」


「「はい!」」


 良い流れができていた。


 けれど、一人波に乗り切れていない選手がいる。


 動きは鈍くないのに、真帆のパスは精彩を欠いてた。多分前節のイメージが先行し過ぎている。やろうやろうとした時ほど、上手くいかない。


「真穂」


 首傾げていた彼女に声をかける。代えられるのかと思ったのか、びくりとしていた。


「最後まで行く。勝ち味を知ってこい」


「……いいの?」


「調子が上がらなくても、戦う術を身につけてこい」


「うん、頑張る」


「頑張らなくていい。そういう時は。適当に調子の良さそうな選手を使って、仕事をしてるフリをするんだ」


 そうしてると、それでいいやって思う時は何をやっても上手くいかない。それが気持ち悪いと感じれば良くしようと微調整するようになる。心と体のバランスは繊細だ。試合中での調律は経験を積むしかない。


「まずは自分を知ることから」


「わかったっ」


 試合再開後、両翼の猛攻は続く。右サイドを支配する紬と、左から工場のラインのように職人技を生み出し続ける由佳。二人の期待に応えるように香苗がゴール前で奮闘するが、ファインセーブに阻まれ、ポストに嫌われ、追加点が遠かった。


 良いリズムを決めきれない時は必ずしっぺ返しを食う。


 攻め気で前がかりだったウチのサイドを突かれて、サイドバックがオーバーラップしたところを絶妙に狙われた。


「スペースケア! 逆サイ絞って!」


 真賀田が活を飛ばす。しかし彼女が言うまでもなく、当然、萌と芽はすでに指示を出していたし、萌はカバーに入っていた。


 迫り合いから相手は萌を振り切ってクロスをあげる。CFと芽は落下点に走り出していたが、一歩二歩、芽の方が早かった。しかし、弾き返したボールは繋がらず、再び相手ボールからスローインで再開。


「確かに監督の懸念はわかりました。半歩先だったら、私なら確実に味方に繋げています」


「さすがに真賀田さんになれってのは一回りも下の木崎姉妹に求め過ぎでしょ」


「しかし繋げられないとしても、一点を確実に防いでくれる読みは、弱点を補って余りあるものです」


 俺は頷いた。追加点が遠いあとの反撃弾は嫌な取られ方だ。相手に追い上げムードを与えてしまう。今まであっけなく刈り取られていたゴールが、首の皮一枚繋がって、次の課題へと繋げてくれている。


「けれど、今日は真穂の調子が良くありませんね。普通、一週間でコロコロ調子が変わるもんでもないんですが」


「天才肌ってのはそう言うもんなの」


「月見監督もそうだったんですか?」


「お、俺のことはいいじゃない!」


「月見選手は試合中にも調子変わってましたもんね」


「ぐふぅ」


 そうこう言っていると、真穂がボールを受けた。得意のダイレクトサッカーは展開せず、溜めを作って、一旦DMFにさげていた。


 それでいい。


 今俺たちは三点リードしている。優先すべきは、勝つ為の手段。時間を使ってワンチャンスを確実に取ればいい。焦って調子をあげようとしたり、無謀なパスを出してリズムを悪くするくらいなら消極的なサッカーの方がまだマシだ。この状況においては。


「監督、サイドバックが限界そうです。変えますか?」


「もうちょっと様子を見たいんだけどな……」


 けど誰で行くか。


 DMFを一列下げて、心美を入れると言う選択肢が現状ベターだ。そろそろ試合勘を取り戻し始めてもらいたい。


 俺はアップしている風景を眺めた。

 勝っているこの状況で、新しいことを試そうかとも考えた。


 杏奈はストレッチをしながらぼーっとコートを眺めていた。


 ちょっと言い過ぎたか。


「心美を準備させて」


「了解です」


 後半二〇分、中央でリズミカルにパスが繋がって、抜け出した由佳からクロスが上がった。


 相手は散々やられた香苗を警戒していたおかげで、飛び込んできたDMFが注意に入っていなかった。ゴールを狙い澄まして追加点。そして心美が入り、逃げ切り体勢。相手は攻撃的な選手を入れて反撃の構え。


「さすがに安全圏です。……よね」


 心美が入って、中盤での舵取りに安定感が出た。


「十中八九。でも何が起こるかはわからない。安心はしちゃダメだ」


 勝った——そう思った瞬間、集中は切れる。

 逆転はサッカーじゃ良くある。けれど得点が多ければ多いほど難易度は上がるし、修正できる猶予ゆうよがある。そう言う意味じゃ、後半三〇分を越えての四点は九十九・九%、セーフティーリードだ。相手が逆転するには残り十五分で五点。すなわち平均して三分で得点をあげなければならない。


「いけ……そう……ですね」


 こう言う時、能力あるドリブラーは有難い。安全なサイドで時間を使われ、相手は焦りが出てくる。勝っている分こちらは冷静だから、相手の動きを予測しやすい。


 ピッと笛がなる。


 紬がファウルを誘い、フリーキック。


 由佳がボールを放り込むが、さすがに職人技も陰りが見えた。疲れているのだろう。香苗には合わず、弾かれた。


 セカンドボール落下点に真穂が入るも、圧倒的な体格差で吹っ飛ばされる。笛はなし。


 すると相手FWはここが攻め時とトップギアに入れた。変わったばかりのフレッシュな選手。


 DMFの包囲を掻いくぐり、立ちはだかる萌を一蹴。カバーに入った芽もフィジカルで跳ね除け、さながら重戦車のようにコート中央を踏み荒らした。


 敵の主砲が火を噴いた。

 キーパーとの対決はあっけなく相手に軍配があがる。


 時計は三十五分。これで九十六%くらい。まだ十分に安全圏だ。


 しかし追い上げられるプレッシャーを知らないイシュタルFCの選手たちは途端に浮き足立っていた。疲労もあったろう。どうすればいいのか頭が回っていない。八十八%。


「慌てない! できることを一つずつ! 状況確認から!」


 真賀田の声はあまり届いていなかった。


 特に走り通しだった前線の選手は足が止まり、前線からのプレスフォアチェックが甘くなり、簡単に縦パスを許してサイドを突かれた。


 そして連続失点。頼みの綱の木崎姉妹も、二枚で重戦車に立ちはだかったが、粉砕された。


「監督、選手の交代を——」


「いや。最後までこれで行く」


「どうしてですか!? このままでは黄色信号です!」


「今出ているメンバーが最高出力だ。彼女たちには最も価値のある勝ちを知ってもらう。もしそれで引き分けたり負けたりしても、今日の試合は十分に得るものがある。だから変えない」


「しかし——」


「ここで逃げ切れないようじゃ先はない。ブサイクでも、あと一点取られても、最後は勝てばいい。その方法を自分たちで知るべきだ」


 最初の一歩。


 新チームになっての初勝利。


 それが現実になりつつあり、しかし相手は必死に追い上げてくる。


 この重圧に勝ってこそ——、勝たなければ未来はない。


「俺たちはここから始まる。本当のスタートラインだ」


「監督!」


 そう声をあげたのは、闘志をたぎらせた杏奈だった。


「うちはいつでも行けるで!」


 俺はニコリとして頭に手をおいた。


「おせえよ。今日はもう出番なし。帰って自主練すっか。いや、今から行くか」


「ほんまか!? 月見健吾が直々に教えてくれるゆうんか?」


「ああ、光栄に思え」


 じゃあ真賀田さん、あとはよろしく。


 と、俺はベンチを後にするのだった。


 もう次の試合は始まっている。


 俺は一つ嘘を言った。


 まだこのチームは最高出力じゃない。ピースはまだ全部揃っていない。


 結城学、待ってろよ。


 あんたのサッカーをぶっ潰してやる。


 どちらの遺伝子が正しいかを懸けて、


 殺しあおうじゃないか。

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