真賀田コーチと練習試合(3)

 翌日俺はブーイングの嵐を受けることとなった。


「体重五百グラムも増えたんやけど! 美味しかったからついつい食べすぎてもうたやん!!」


 杏奈が泣きそうな顔をして俺を怒鳴った。


「ウチ、ただでさえ、今年はお餅ぎょうさん食べてもうてんで!」


 他の子達もウンウンと頷きながら怒りの矛先を向けていた。


「あと二キロは増えてもらう」


 俺は平然と言いのけた。体重を増やして自重による負荷を増やす。これは少ない時間で効率的に練習する苦肉の策だ。


「メニュー以外の運動はストレッチ以外禁止だ。心配するな。増やすのは今月だけ」


 年頃の乙女は皆絶句。


「もうすぐバレンタインデーがあるんやで!? 監督はんには絶対、チョコあげへんからな!!」


「いや。糖分が多すぎないか試食する。増えすぎた分はフルマラソンで落とすからな」


 今度は悲鳴があがる。


「横暴です。これ以上はオーバーワークです」


 と香苗が剣幕で言った。


「監督には従えません。皆、前の練習メニューに戻るよ。食堂のおばちゃん達には私が言っておくから。監督命令よりキャプテン命令優先で」


 選手達がほっと胸をなでおろしたのもつかの間、


「ところが香苗はキャプテンを外された」


 と俺は冷静に返す。

 香苗は即座に振り返った。


「横暴にもほどがあります!」

「そうか? 俺は香苗も結構横暴だと思うけどな」


 俺は他の選手に同意を求める視線を送ったが、女子達が頷くはずもなかった。


「イラついたらボールを要求しまくる。キャプテン命令で仕方なくボールを集めなければならない」


「私に高さで勝負させれば点取れるんです! これは事実です!」

「いい加減、その高さに頼るのやめたらどうだ?」


 香苗程度の高さは世界にゴロゴロいる。

 高さだけでは今後行き詰まる。早い内にそれに気づいてもらいたい。


「足元もそれほど劣っているとも思えません」

「じゃあ勝負するか」


「何の?」


「俺と一対一。普通にやってもフェアじゃないだろうから、俺がボールに触れていいのは利き足じゃない左だけ。勝った方が練習メニューを決めるってことで」


「いいでしょう。男だからって女を舐めないでください」


 ストライカーにとって負けん気の強さは必要な資質だが、固執しすぎるとただの頑固職人だ。職人はどこの世界でも肩身は狭いもの。


 そうして俺と香苗の一対一の勝負が始まった。


 ルールは攻守を交互に入れ替えての三本先取勝負。

 ゴールキーパーを添えているものの、おそらく香苗の味方だろう。


 先行は香苗。最初に俺にパスを出して、ボールを受け取った瞬間からのスタートだ。


 香苗がパスを出し、俺はプレミア標準のパススピードで返してやろうかと思ったが、さすがにそのあとの展開は有に読めてしまい、冷たい目で見られるのも気が引けたので優しく返してあげた。


 香苗は当然、俺が使えない右側から仕掛けた。

 しかしフェイントは読めていた。


 香苗は素早く切り返すが俺はちょこんと足を出して、香苗の足元からボールを離した。慌てて香苗がボールに詰め寄り、背を向けてキープする。


 体重のかけ方は上手いが少しユニフォームを引っ張って脇腹を摘めば、

「セ、セクハラ!!」

 と慌てふためきながら香苗はバランスを崩した。


「女だから舐めないでと言ったのは香苗。これくらい、ピッチ上じゃ当たり前」


 香苗は悔しそうに唇を噛み締めた。苦し紛れにターンしようとするがボールへの注意が疎かで、小突けば簡単にボールが転がって行った。


 香苗はフェイントで揺さぶりかけて俺を抜き去ろうと必死になるが、右側から抜けようという魂胆が丸見えだった。


 俺はあっさりボールをカットし、振り向きざまに股を抜いてキーパート一対一。遊び半分でゴール上部のバーにボールを当て、そのままヘディングシュートで一ポイント目を先取する。


 続いて二本目。香苗はダッシュからストップして緩急で抜き去ろうとするも、コースは読めていたし、足を出せば簡単にボールを奪えた。


 俺はボールを少し浮かし、跨ぎ越えてのヒールに当てた。香苗は頭上を越えられるだろうと予測して後ろに走り始めるが、ボールは俺の尻とふくらはぎに挟まれていた。気づいた香苗が体重を前に載せたところで、ボールを地面に叩きつけ、再びのヒールで香苗を置き去りにした。


 ボールが落ちる前にまた背中越しにヒールを当てて、キーパーの上を越す。

 二ポイント目。


 三ポイント目はボールを左右からすくい上げるように素早く払い、〝エラシコ〟で抜き去る。左アウトサイドで回転をかけながらのポストに当ててのゴール。


「三ポイントだな。まだやるか?」


 香苗は顔を真っ赤にして、コートを立ち去ってしまった。

 俺は全員の元へ戻り、


「俺と勝負したい人は?」


 と問うたが、ほぼ全員が俯いていた。


「じゃあ練習を──」


 と言いかけた俺は選手達の間から手が上がっているのを見つけた。

 小さな真穂はジャンプして存在を主張する。


「監督っ、約束忘れてない!?」


 そういえば真穂とはまた一対一をする約束していたっけ。

 俺はニコリとして、


「じゃあ、真賀田コーチ、残りの皆には通常メニューを」


 と言って、真穂との一対一を始めた。


 真穂は初手からエラシコで股抜きを見せた。


 俺の先ほどのコピーにオリジナリティを加えて抜きに掛かったが、瞬発力の差で抜かせなかった。──危ない危ない。


 俺はボールを片足でキープしながら真穂を背負う。


「真穂は身長もフィジカルもない。どうやって俺からボールを奪う?」

「今考えてる」

「試合時間は短いぞ」


 と言った真穂は俺の死角からぬっと現れた。俺はヒールで右の軸足にボールを当て、真穂の狭い股下を通して抜き去った。


 すると真穂は悔しそうに口を尖らせ、


「左足一本だって言ったのに卑怯だよぅ。ぶぅ」


「今のはたまたま当たっただけだからノーカン」

「月見健吾がコントロールミスするなんてありえない」


 真穂は目の色を変えてボールに食らいついた。


「私の憧れの選手。絶対、月見選手に追いつく」


 少々大人気ないと思いながらも、体格差とフィジカルで真穂の身体を抑え込んだ。


「大切なのは自分に何ができて、何ができないのかを考えることだ。サッカーは十一人でやる。結果、点を取られなければいい。点をより多く取ればいい。この場面がどういう局面かを想像しながら練習に取り組むんだ。例えば、コーナーキックからカウンターを食らって、後ろにはディフェンスが二枚しか残ってない。味方が戻ってくるまで真穂は抜かれなければいい。つまりこのまま俺に振り向かせなければ、チームの勝ちだ」


 真穂は一人でに頷いていた。

 必死に俺の背中を押し返して、振り向かせようとしなかった。


「ところがだ。今君が相手にする選手はドリブルの名手だ」


 俺はフェイントを交え、真穂の体重が乗った軸足真横を通すターンで抜き去った。

 真穂は顔を真っ赤にして頬を膨らませる。


「卑怯……。こんな鋭い速さ、女子選手にはいないもん」

「俺並みの女子選手もいるかもしれない」

「もう一本っ」


 と言いつつ真穂はダッシュする。突っ込んでくる相手に有効なのはマルセイユルーレット。しかしこの技は両足を使ってのターンなのでオリジナリティが必要だ。左足裏でボールを止め、背中を真穂に向けながら体重移動の力を利用しつつ左足外側にボールを乗せ、くるりと翻り抜き去る。


「もう一度」


 と言われたが、俺は真穂にボールを渡して「今度は真穂の番」と言った。


 もしかしたら、と想像が巡ったのだ。予想どおり真穂は俺の真似をした。足の外側にボールを乗せるまでは模倣だったが、ターンの途中で足をひっくり返し、インサイドに当てて俺の股を抜いた。


 柔らかさとバネのような弾力性を持つ身体に感心せざるを得なかった。

 とはいえ、どうしてくるのか見えていたので、真穂がボールに触れる前に身体を入れ、完全には抜かせなかった。


 俺はボールを拾い上げ、


「今日はこのくらいにしよう」

「また勝ち逃げずるい」


 膝が少し熱を持っていた。


 完治したはずなのに、衰えた筋肉の所為か、これ以上は良くないと本能が言っていた。


「なあ真穂。こないだの紅白戦で一点目を取った時の場面を覚えてるか?」


 うん、と真穂は首を縦に振った。


「あの時、?」


 真穂は想像力豊かな選手だ。

 彼女の才能が花開いた時、俺を超える選手になるかもしれない。

 俺は心のどこかでそんな予感を感じ取っていた。


「空いたスペースが見えて……」真穂は首を振る。「ううん、実際には見えなかったけど、頭の中に光が見えて、そこにボールを出したの。実はあの後のこと、あまり覚えてない」


「最後、ヒールでFWに合わせたのも?」

「なんか後ろにいる気がして」


「でもあれはシュートを決めた子の歩幅に合わせた完璧な軌道だった」

「たまたま……かな」


 ということは、真穂にはほんの一瞬しか見えていなかった。まだゴールまでの筋道が完璧に見えているわけじゃない。


 でも俺にも見えたものと同じだ。


 俺は積み上げた経験則から一瞬の閃きで未来が見えるが、真穂の場合はもっと感覚的なものなのだろう。


 末恐ろしいのは、真穂はまだ一五歳だということ。


 俺が見え始めたのは一六の時。とは言っても、負けず嫌いな事を言わせてもらうと、俺が見えた時には全部が見通せていたが。


 もしかしたら俺よりも才能の塊なのかもしれない。


 この才能を伸ばすのはどんな練習よりもたった一つの試合が伸ばしてくれる。真穂には苦しい一年になるかもしれないが、経験値を上げる一年となるだろう。


「真穂。盗めるものは全部盗め。今年一年が勝負だ」


 魔法の世界は誰にだって一瞬は見える。

 FWやDF、GKだって。


 だけどそれがはっきりと自分のものになるわけじゃない。


「俺にも君の世界を見せてくれよ」


 真穂はキョトンとした目つきで、俺を見つめていた。

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