春の蕾(7)

 水曜日のカップ戦は新しい血を試そうと、スタメンから登録外までごっそり入れ替えて挑むことにした。


 俺の見立ては決して間違ってはいない。


 そう思ったのは、先発で使った大東心美から繰り出されるロングフィードが良いカウンターになっていたからだった。とはいえ2-3と惜しくも白星を逃した。週の半ばに挟むことになるカップ戦は選手を試す場と割り切って、勝ち負けは二の次だ。


 試合終了後、バスに乗り込もうとしていた心美を俺と佐竹は拉致する。


「え、なに? 監督? 佐竹マネ? え、なになに!?」


 佐竹の車に放り込んで、俺たちはクラブハウスへと急行した。


 トレーニングルームに着いて、心美を体重計に乗せた。


「六——」


「佐竹マネ、言わないで! 体重は乙女の秘密なのぉ! 監督も聞いちゃダメェ!」


 俺は細い目を向ける。


「なあ、心美。君はチームでも頭一つ抜けて上手いはずだ。それに去年は先発でもあったし、今より太っていなかった」


「ふと……。どうせ太ってますよ! ぽっちゃり系ですよ!」


「理由を聞いていいか?」


「えとそれは……」


 恋です。


 と、佐竹が耳打ちした。


「恋?」


 ハッとした心美は顔を真っ赤にして、佐竹に掴みかかるとポカポカと叩いていた。


「佐竹マネ、それは言わない約束でしょ!」


「失恋したのか?」


 こくり、と心美は頷いた。


「好きな子がいたの。同じ学校の人でね、卒業式の日、頑張って告白したの。そしたら、その人なんて言ったと思う!?」


 鋭い目を向けた心美は胸ぐらに掴みかかった。


「『俺は痩せてる女の子より、ぽっちゃり系が好きだ』って言われたのぉ! だからね私、頑張ってお菓子とかご飯とかいっぱい食べて、太ったの。それでもう一度、その人に告白したの。そしたらなんて言ったと思う?」


「やっぱり痩せてる方がいいとか?」


「『実は俺、おっぱいが好きなんだ。おっぱい大きい子はぽっちゃり系だろ?』って! ひどくない!? ちょーひどくない!? 頑張って太ったのに胸は大きくなってなかったの! 胸トラップするから!? ボールが凹ませるの!? もうそんな男、こっちから願い下げよ! って言ったんだけどね、元の体重に戻そうとしても、失恋のショックで、てゆか、そんな人を好きになってしまった自分が情けなくて、ますますお菓子もご飯も増える一方なの!」


 色々同情した俺は、ポンと心美の肩に手を置いた。


「よし、事情はわかった。今日から心美は別メニューな」


「へ?」


「おーい、コーチぃ」


 と呼ぶ。


 フィジカルコーチの登場に、蒼白の心美。


「まさかまさかよね? 今時、食べながらダイエットとか、一日わずか五分で体重が激減ダイエットとか、この科学的ダイエット社会において、まさか古典的なトレーニングをするとか言わないよね?」


「そんなものは幻想だ。食べたら太る、これ摂理」


「質量保存の法則です」


「さあ大東くん、一緒に恋に効くダイエットをしようじゃないか!」


「ヒィ!?」


 心美は素早く身をひるがえし、窓から逃亡。


「こら、待ちたまえ!」


「今の私はお菓子が恋人なのぉぉぉぉ————————っ!」


 俺も心美のあとを追ったが、クラブハウス前にふと見慣れた姿を見つけ、声をかけた。


「結城さん?」


 彼はチームウェアもスーツも着ず、ラフな私服だった。


「お、月見くん。探したぞ」


「どうかしたんですか?」


 結城はお猪口をあおる素ぶりを見せた。


「これからですか?」


 時計を見ると、夜の十時を回っていた。


「今週は遠征でね。他に取れる時間がなさそうなんでな。それに会わせたい子がいるんだ」


 結城は背後を振り返り、ベンチに腰掛けていた二人の少女がぺこりと頭を下げる。





 俺と結城は近くの居酒屋に行き、乾杯を交わす。


 ちらりと少女たちに視線を向ける。背が高く、顔立ちは瓜二つだった。双子だろうか。二人は共にサイドテールに髪をくくっているが、一方は右のサイドテール、もう一方は左のサイドテールだ。


木崎きさき姉妹。右サイドテールがもえで、左サイドテールがめい


 二人は揃って会釈を向けた。


「俺の姪っ子でな。去年まで札幌ウインターレのユースに在籍していた。今年からトップに上がったが、出場機会に恵まれず居場所を探している」


 俺は待ったをかけた。


「今ウチは手一杯です。移籍のことは俺よりも、フロントの佐竹さんに相談した方が——」


「その彼女がレンタル移籍なら考えてもいいと言ってきた。ただし、監督が許可をしたら、と」


 そういう大事な話は先に言って欲しいものだ。


「二人は完全移籍を望んでいる。二人一緒に、それが条件だ。それもあってか、他のチームでは渋い顔をされた。もしかしたら君のところだったら、と思ったわけだ」


 そう言って、結城はDVDをテーブルに滑らせた。


けなすわけじゃないが、イシュタルFCのディフェンスはお世辞にも安定しているとは言えない。勝てない——攻撃のリズムを作れないってのは底がバタついているからだ」


 木崎姉妹を一瞥いちべつし、結城に視線を戻す。


「彼女たちなら、今よりも安定すると?」


「それは君自身の目で確かめればいい。しかし親戚だからいうわけじゃないが、今獲得すれば美味しい話になる。将来を考えればうちが欲しいくらいだ」


「だったら結城さんが受ければいいじゃないですか」


「うちのCBの一人は元代表、ファンからの人気も高く、当分は替えが効かない。うちにきたところで出場機会には恵まれない。片方だけを出しても、彼女たちの能力は半分も発揮されない」


「どういうことですか?」


「まあ見たらわかるよ。これは俺の持論だが、ディフェンスは能力よりも経験と呼吸が物をいう。経験はまあ試合に出れば身につくが、呼吸ってのはなかなか難しい。連携とでもいうかな」


 近代サッカーにおいてCBはマルチに役割を求められる。試合の流れ、ボールの流れを読む力、全体のバランス把握、カバーリング、コーチング、空中戦に、そして当然、相手フォワードを止めるディフェンス能力に、フィジカルや冷静な判断力を持たねばならない。それからフィード能力も最近では重要視されている。


「オカルトに近いかもしれんがね、木崎姉妹はお互いの感覚を感じ合えるのだ」


 結城は左の芽の視界を手でおおい、摘んだ唐揚げを萌の口へ運ぶ。


「さて芽ちゃん、萌は何を食べたかな?」


「わかるわけないじゃないですか」


「そりゃ流石に無理か! あっはっは!」


 さては結城さん、すでに酔っているな?


 結城の手を振り払った芽は、


「でも、試合中に萌が何をしたいのかってのはだいたいわかります」


「私たちはこの感覚があったから今日までやってこられました」


 声もほとんど同じだ。


「検討はしますよ。でも、期待はしないでください」


「君はきっと欲しがる。というか、木崎くんたちは君のところへ行きたがっている」


 首かしげる俺に、


「真賀田詩織さんは私たちの憧れです」


「真賀田コーチのところで是非学びたいと思います」


 あの人そんなに巧かったけな?


 と思う俺に結城は、


「コーチング能力と、冷静な判断力。この二点において彼女以上の掃除屋スイーパーは、男子を含めてもなかなかいないさ。現代サッカーで死滅した最後のスイーパーだったと言っても過言ではない」


 選手を見る能力が確かな結城がそういうのなら間違いないだろう。

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